『ぼくの翻訳人生』7
<『ぼくの翻訳人生』7>
図書館の放出本コーナーで『ぼくの翻訳人生』という新書を、手にしたのです。
巻末の著者来歴を見ると、東大仏文科卒で、共同通信社の記者、ワルシャワ大学の日本語学科講師などを経て翻訳家になったようです。
とにかく、米国留学を中退し、ポーランド文学、ロシア文学を専攻するというヘソ曲がり具合が大使のツボを打つのです。
戦中派ともいえる著者の翻訳人生を、見てみましょう。
『ぼくの翻訳人生』6:誤訳についてp222~223
『ぼくの翻訳人生』5:日本語は論理的でない?p241~242
『ぼくの翻訳人生』4:クール・ジャパンのような「日本語」p90~91
『ぼくの翻訳人生』3:第二外国語の学習p85~88
『ぼくの翻訳人生』2:翻訳家になる前の就職活動p56~59
『ぼくの翻訳人生』1:フランス文学体験p241~245
図書館の放出本コーナーで『ぼくの翻訳人生』という新書を、手にしたのです。
巻末の著者来歴を見ると、東大仏文科卒で、共同通信社の記者、ワルシャワ大学の日本語学科講師などを経て翻訳家になったようです。
とにかく、米国留学を中退し、ポーランド文学、ロシア文学を専攻するというヘソ曲がり具合が大使のツボを打つのです。
【ぼくの翻訳人生】 ![]() 工藤幸雄著、中央公論新社、2004年刊 <「BOOK」データベースより> 翻訳を手がけて半世紀。著者はポーランド語翻訳の第一人者であり、ロシア語、英語、仏語からも名訳を世に送り出してきた。満洲での外国語との出会い、占領下の民間検閲局やA級戦犯裁判での仕事、外信部記者時代の思い出。翻訳とは、落とし穴だらけの厄介な作業だという。本書は、言葉を偏愛する翻訳者の自分史であると同時に、ひとりの日本人の外国語体験の記録でもある。トリビア横溢の「うるさすぎる言葉談義」を付した。 <読む前の大使寸評> 巻末の著者来歴を見ると、東大仏文科卒で、共同通信社の記者、ワルシャワ大学の日本語学科講師などを経て翻訳家になったようです。 とにかく、米国留学を中退し、ポーランド文学、ロシア文学を専攻するというヘソ曲がり具合が大使のツボを打つのです。 rakutenぼくの翻訳人生 |
戦中派ともいえる著者の翻訳人生を、見てみましょう。
p101~103 ■翻訳は1世代、すなわち30年しかもたない ハンガリー党の親玉だったナジが敗北→逮捕→ソ連送りの果て58年死刑となる。この間ワイダ、ポランスキ、カバレロビチ監督らのポーランド映画に世界の注目が次第に集まる。フワスコが登場して若々しく冒険的な作品を発表したのもこのころだ。 こうして第一次自由化の波は姿を消すが、民族国家を束縛するソビエトに対する恨みは深まり、1968年のチェコ事件でソ連帝国主義は再びその正体を露呈する。68年の学生運動、70年12月の労働者決起という繰り返す騒擾をを経て、80年8月に爆発したポーランド市民の反抗がようやく実を結ぶのは89年の非共産政権発足である。翌年、中・東欧の諸国は揃って自由を獲得し、91年、ソ連帝国もついに崩壊した。 日本軍国主義と並んで敗退したヒトラー、ムッソリーニによるファシズム支配の終焉から、同根同類の共産主義の破滅まで45年を要した。軍国主義・ナチズム・共産主義という嘘と悪と恐怖の体制の崩壊を三つながら経験する世代に僕らは属する。振り返れば、無念でムダかつ遠すぎる道のりであった。ぼくの仕事の大部分には、そのことに向けた悔恨と怨嗟がかなり濃厚に染み出ているように思う。 わが愛読書サリンジャーの秀逸な短篇集『九つの物語』の劈頭を飾る『バナナフィッシュ日和』に登場して、海岸の浅瀬で幼いSybilと楽しげに戯れるSaymour Glassもまたぼくらと遠くない戦争世代のアメリカ青年だ。 エレベーターで乗り合わせた女性とのあいだで彼は言い争う…女性の視線が自分の足に向けられたことに立腹して…。数分後、ホテルの507号室に戻ったシーモアは、眠っているお昼寝の若妻を見届けたうえで、ピストルの筒先を右のこめかみに当て1発を撃ち込む。 さきほど、若死にした自殺者たちのことを書くあいだ、ぼくはシーモアに触れようとは考えもしなかった。彼らにもぼくにも、シーモア(=作者サリンジャー)と同じ世代の血が通っているのを感じる。たとい、地理的に離れていようとも、世界のある1世代は共通の思考法やら生活感覚を共有するのであろう。音楽やら映画やら文学の共有があろうと、またなかろうとも…。 右に世代という言葉が出たついでに書くと、モスクワの「翻訳シンポジウム」で唯一、記憶に残るのが「翻訳は1世代、すなわち30年しかもたない」という警告の発言である。この発言者の名はもう覚えていないが、ロシア語世界ではシェークスピア学者で翻訳者も兼ねる高名な方である。彼の言い方を和らげて書けば、翻訳書は30年も過ぎたら、次の世代には受け入れられなくなる恐れがあるというのだ。 この老学者の言葉には驚いた…変化の激しい日本語ならともかく、ロシア語でさえも30年もたないとは。だとすれば、サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』ばかりでなく、世界の名作の新訳が目白押し出版されていいはずだが、『キャッチャー』を除いて、そんな気配がないのは、なぜだろう。 |
『ぼくの翻訳人生』6:誤訳についてp222~223
『ぼくの翻訳人生』5:日本語は論理的でない?p241~242
『ぼくの翻訳人生』4:クール・ジャパンのような「日本語」p90~91
『ぼくの翻訳人生』3:第二外国語の学習p85~88
『ぼくの翻訳人生』2:翻訳家になる前の就職活動p56~59
『ぼくの翻訳人生』1:フランス文学体験p241~245
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