『稲を選んだ日本人』2

<『稲を選んだ日本人』2>
図書館で『稲を選んだ日本人』という本を、手にしたのです。
注目点は要するに、水稲耕作という文化衝撃に抗った縄文人がいたのではないか?と思うわけです。


【稲を選んだ日本人】


坪井洋文著、未来社、1982年刊

<「BOOK」データベース>より
古書につきデータなし
 
<読む前の大使寸評>
注目点は要するに、水稲耕作という文化衝撃に抗った縄文人がいたのではないか?と思うわけです。

amazon稲を選んだ日本人


この本のメインテーマ「稲を選んだ日本人」あたりを、見てみましょう。
p68~70
<稲を選んだ日本人>
 古く豊葦原瑞穂国と称した日本の国土、そこの住人が等しく米を食べることができるようになったのは、昭和17年に国が制定した食糧管理法によるものであった。それまでの日本人の米をめぐる葛藤には筆舌につくせぬ歴史があった。

 また世界史的にみて、米食に固執してきた人間は日本人だけではない。しかしながら、他の米食民族と比較して日本人がなぜ独自の文化を構成してきたのかという問題は、誰もが納得のいくかたちで解明されているとはいえない。

 日本の文献にあらわれている限りにおいては、米は他の穀物や作物に比べて中核的な役割を果たし、宗教的儀礼に表現される世界のみならず、古代以降、米が国家の祭祀と財政の基礎であり、倫理の規範ともなっていて、稲作を国是とすることを絶対目的とすることが一貫した政策であった。にもかかわらず、植物学や考古学、民族学など特定の分野の研究によって、稲作の発生や渡来経路がしだいに開拓されてはいるが、なぜ日本人が稲を選択したのかという特殊性は問われていない。

 例えば、本稿でも筆者は、<稲>と<米>とはほとんど概念上区別することなく用いており、ただ文脈のうえで、水田に栽培されたイネ科の植物として食料化されない段階の総称して<稲>とし、<米>は脱穀して食料化されたものとしているにすぎないが、これが一般農村で「稲づくり」と「米づくり」と言う表現になると、ふたつは微妙にニュアンスを異にしてくる。
(中略)

 それでは、稲と日本人との必然的な関係について、これまでの先駆者はどう把えていたのか、民俗学に引き寄せて考えてみることにしよう。

 日本で栽培される稲の故郷がどこにあったにしても、また稲種子だけが漂着したとしていても、日本列島以外からもたらされたというのが常識であり、日本列島に在来した野生稲の栽培化であるという説は支持を得ていない。一般に特定の文化要素をセットとしてもった稲作民の渡来によって、日本に稲作が普及したとされているのである。

 その稲作民の渡来について、柳田国男は「日本列島の自然環境というものは特殊だよ。日本人の出くわした偶然というものは恐るべきものだ」ともいい、まず日本列島という空間の選択が偶然であったことを強調するのである。周知のように、柳田には、日本人の先祖は稲の種子をたずさえて渡来してきたという構想があり、晩年の著『海上の道』で仮説したように、その渡来経路は南西の島伝いであった。

 そうした人々は、ある者は島に定住し、ある者は本土にあがって適地に住んで稲を作ったであろうが、さらにもっと好条件を求めて北上を繰り返す者もあった。こうして、幾千、幾百年をかけ、その子孫たちによって北への移動がおこなわれ、その行きついたところが熱帯性の稲にはもっとも不適地の雪国、北の果てであったというのである。このような歴史の偶然は、日本列島に住むにいたった者だけが創り得た、日本的特殊であり、日本人の心性であるわけで、それは移住の過程に創出されたという背景を十分に考慮すべきだというのである。


更に読み進めたのです
p78~83
 筑波によれば、日本人の先祖が「主作物」に米を選んだことは謎としながら、おそらく最近の佐々木高明らの照葉樹林文化論を念頭におき、稲作以前に根菜類や雑穀類を中心にした焼畑農耕の存在した仮説を挙げて考えようとしたのである。しかし、稲作に先行する農耕が存在したとすると、「ますます日本人の先祖が、あとからきてイネを農業の中心にすえた理由がわからなくなる」といい、自己限定的な立場から「宿命的な選択」と結論しているのである。

 これはいうまでもなく、稲作文化一元論として日本文化を規定しようとする視点に近く、日本の農耕の成立が稲作に単一化され、したがって日本文化も稲作を母胎とした同質文化であるという枠を超えていない。稲作が特定の人間によって日本列島外から移入されたと仮定するならば、移入した者とそれを受容した者、受容を拒否した者との三者関係が成り立つわけであり、受容にしろ拒否にしろいずれも非稲作物の農耕者であったという前提なくしては、稲の選択の問題は起こり得ないのである。
(中略)

 古代から中世末へかけての、いわば民衆の漂泊的自由については、網野善彦の論著にも詳しいのであるが、それはのちに触れるとして、中世の民衆が権力者との契約にもとづいて自由であったことは、日常(ケ)と非日常(ハレ)を超えた次元の世界に在ったことを示し、稲作が民衆にとって生活上の決定的条件でなかったことを示すものではなかろうか。このことは、民衆が稲によらなくとも日常の生活が成り立っていたことを示唆するものであって、稲作以外の諸職、諸道による身過ぎや、焼畑とか定畑、採集や狩猟、さらに漁撈などの、自由な生産の保障が可能であったことを予測せしめるのである。

 とくに、自給自足的な意味を持つ畑作、それは雑穀と根菜類の栽培を中心とするものであるが、その畑作の比重がきわめて大きかったことを物語るのである。


『稲を選んだ日本人』2:稲を選んだ日本人
『稲を選んだ日本人』1:稲を拒否した日本人

この本も縄文人の世界R7に収めておくものとします。

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