ミヒャエル・エンデ著『モモ』3

<ミヒャエル・エンデ著『モモ』3>
駅前のバザーでミヒャエル・エンデ著『モモ』という文庫本を、手にしたのです。
お値段は100円という「持ってけ泥棒」値段であり、汚れもない状態であり・・・
即、購入したのです。
ぱらぱらとめくると・・・
エンデ自筆の挿絵も載っていて、サービス満点でおます♪


【モモ】


ミヒャエル・エンデ著、岩波書店、2005年刊

<「BOOK」データベース>より
町はずれの円形劇場あとにまよいこんだ不思議な少女モモ。町の人たちはモモに話を聞いてもらうと、幸福な気もちになるのでした。そこへ、「時間どろぼう」の男たちの魔の手が忍び寄ります…。「時間」とは何かを問う、エンデの名作。小学5・6年以上。

<読む前の大使寸評>
お値段は100円という「持ってけ泥棒」値段であり、汚れもない状態であり・・・
即、購入したのです。
ぱらぱらとめくると・・・
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rakutenモモ



アンチヒーローでもある灰色の男たちを、見てみましょう。
p82~85
<第二部 灰色の男たち>


<6章 インチキで人をまるめこむ計算>
 とてもとてもふしぎな、それでいてきわめて日常的なひとつの秘密があります。すべての人間はそれにかかわりあい、それをよく知っていますが、そのことを考えてみる人はほとんどいません。たいていの人はその分けまえをもらうだけもらって、それをいっこうにふしぎとも思わないのです。この秘密とは・・・それは時間です。

 時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、っだれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか1時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。
 なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心を住みかとしているからです。

 このことをだれよりよく知っていたのは、灰色の男たちでした。彼らほど1時間のねうち、1分のねうち、いやたった1秒のねうちさえ、よく知っているものはいませんでした。ただ彼らは、ちょうど吸血鬼が血の価値を知っているのとおなじに、彼らなりに時間のだいじさを理解し、彼らなりの時間のあつかい方をしました。

 灰色の男たちは人間の時間にたいして、ある計画をくわだてていました。大々的な、慎重にねりあげた計画です。いちばん気をつけていたことは、じぶんたちの行動をだれにも気づかせないようにすることでした。彼らは目立たないように大都会の人びとのくらしのなかにしのびこんでいました。そして一歩一歩、だれにも気づかれずに、日ごとにふかくくいこんで、人間の心に手をのばしていました。

 彼らは、じぶんたちのもくろみにあないそうな人間のことは、あいてがそれと気のつくずっとまえから、すっかり調べあげていました。そしてその人間をつかまえる潮どきを待つのです。その瞬間がおとずれるように、くふうもこらします。

 たとえば、床屋のフージー氏の場合を見てみましょう。名高い理髪師というわけではありませんが、そのかいわいでは評判のいい床屋です。びんぼうでも、金もちでもありません。店は市の中心部にありますが、小さい店で、若い使用人をひとりおいていました。

 ある日のこと、フージー氏は店の入口に立って、お客を待っていました。きょうは使用人は休みをとっていて、フージー氏ひとりです。道路にはねる雨をながめていました。いやな灰色の日です。フージー氏の気持ちも、灰色です。

「おれの人生はこうしてすぎていくのか。」フージー氏は考えました。「はさみと、おしゃべりと、せっけんのあわの人生だ。おれはいったい生きていてなんになった?  死んでしまえば、まるでおれなんぞもともといなかったみたいに、人にわすれられてしまうんだ」

 ほんとうは、フージー氏はべつにおしゃべりがきらいではありませんでした。むしろ、お客をあいてに長広舌をふるい、それについてのお客の意見をきくのがすきだったのです。はさみをチョキチョキやるのや、せっけんのあわをたてるのだって、いやなわけではありません。仕事はけっこうたのしかったし、うでに自信もありました。けれどそんなフージー氏にも、なにもかもがつまらなく思えるときがあります。そういうことは、だれにでもあるものです。

「おれは人生をあやまった」フージー氏は考えました。「おれはなにものにもなれた? たかがけちな床屋じゃないか。おれだって、もしもちゃんとしたくらしができてたら、いまとはぜんぜんちがう人間になってたろうになあ!」
 でも、このちゃんとしたくらしというのがどういうものかは、フージー氏にははっきりしていませんでした。なんとなくりっぱそうな生活、ぜいたくな生活、たとえば週刊誌にのっているようなしゃれた生活、そういうものをばくぜんと思いえがいていたにすぎません。

ウーム 大人びた人生観がみえるけど・・・
そのあたりが「小学5・6年以上」といわれる由縁でしょうね。

ミヒャエル・エンデ著『モモ』2:ニコラとニノのけんか
ミヒャエル・エンデ著『モモ』1:円形劇場に住みついた

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