内田先生かく語りき9-R4

<内田先生かく語りき9-R4>
「内田樹の研究室」の内田先生が日々つづる言葉のなかで、自分にヒットするお言葉をホームページに残しておきます。
内田

最近は池田香代子さんや、関さんや、雨宮さんなどの言葉も取り入れています。
(池田香代子さんは☆で、関さんは△で、雨宮さんは○で、池田信夫さんは▲、高野さんは■で、金子先生は★、田原さんは#、湯浅さんは〇、印鑰さんは@、櫻井さんは*、西加奈子さんは♪で区別します)

・『「おじさん」的思考』韓国語版序文
・『市民講座』韓国語版のための序文
・空虚感を抱えたイエスマン
・大阪万博という幻想
・外国語学習について
・大学院の変容・貧乏シフト
・『知日』明治維新特集のアンケートへの回答
・カジノについて
・中国の若者たちよ、マルクスを読もう
・『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき
・直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」
・人口減社会に向けて
・時間意識と知性
・Madness of the King
・吉本隆明1967
・大学教育は生き延びられるのか?
・こちらは「サンデー毎日」没原稿
・奉祝「エイリアン・コヴェナント」封切り
・米朝戦争のあと(2件)
・気まずい共存について

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内田先生かく語りき8目次

(目次全文はここ)
R4:『「おじさん」的思考』韓国語版序文』を追記



2019/05/13『「おじさん」的思考』韓国語版序文より
 僕の父親はもうずいぶん前に亡くなりましたが、六人兄弟の四男でした。三人の姉妹と一番下の弟は子どもの頃に亡くなり、生きて終戦を迎えたのは男子五人だけでした。
 父は北京で敗戦を迎え、46年に無一物で日本に帰ってきました。

 そして、北海道の札幌にいた長兄を訪ね、そこで身支度を整え、いくばくかの生活資金をもらって東京に出てきました。次兄は長崎で原爆に被爆し、妻と二人の息子を失い、自分も全身に火傷を負って入院していました。長兄は1945年8月、敗戦直後の混乱期の日本列島を縦断して、札幌から長崎まで旅し、弟を背負ってまた北海道まで戻りました。

 長兄は北海道庁に勤める下級役人でした。彼が父親から受け継いだ家産と呼べるようなものはほとんどなく(祖父は貧しい小学校教師でした)、あったのは弟たちを支援する家長としての責任だけでした。そして、その責任をこの伯父はまことに誠実に果たしたのでした。

 僕は子供の頃、この伯父の家に正月に内田家の人々が集まるときに、どうして父たちがあれほど長兄に対して遠慮がちなのか、不思議でした。それを「古い家制度の陋習だ」と思っていました。伯父が弟たちのためにどれだけの献身をしたのか聞いて、粛然と襟を正したのは伯父が死んでずいぶん経ってからのことです。僕はそのときに「家父長のすごみ」のようなものを感じました。
 かつての日本社会には、そのような風貌を具えた家長がいました。でももう、今の日本にはいない。

 僕の少年時代(1950年から65年くらいまで)、男たちは戦前の家長制の下で成人した人たちでした。だから「家長というのはどういうふうにふるまうべきものか」についてはよく知っていました。でも、法律が変わり、家長は制度的にはいなくなり、家庭は民主的で平等なものになりました。とはいえ、男たちは自分が子供のときにそれを見て育ってきた「家長」以外に自己形成のロールモデルを持ちません。

 制度としての家長制が消滅した後の時代にあって、それでも家長としてふるまう以外に生き方を知らなかった男たち、それを僕はこの本で「おじさん」というふうに呼んでいたのだと思います。

 ときどき勘違いする人がいますけれど、僕自身は「おじさん」ではありません。100%ピュアな戦後民主主義の申し子です。わが身ひとつの自由と幸福だけを求めて、親兄弟のもとを去り、故郷に二度と立ち戻らないでも平気な「アプレゲール」です。





2019/03/25『市民講座』韓国語版のための序文より
「大市民」というのはNHKで1966年に放送されたテレビドラマのタイトルです。僕がこのドラマを観たのは中学3年生のときでした。大昔のことなので、どんなプロットだったのかもう詳しくは思い出せませんが、日常的なルーティンに流されて、政治にも社会問題にもすっかり関心を失ってしまった主人公の平凡なサラリーマンが、ある出来事をきっかけにして、市民としての責任に目覚める・・・というようなストーリーだったと思います。(中略)

 でも、人は「小市民的享楽」を自分に許すようになると、たちまちのうちに保守的になる。変化を望まず、「ステイタス・クオ」の永続を願うようになる。

「大樹の陰」にいるのが安全で、「流れに棹さす」ことが賢い生き方であるように思えてくる。わずかな「手持ち」を後生大事に抱え込んで、「これを手放してなるものか」としがみつくようになる。豊かになったようでむしろ貧乏くさくなる。自由になったようでむしろ頑なになる。それが60年代なかばの日本人の実相だったと思います。

「大市民」という新語はそういう「小成に甘んじる」生き方に対するひとつの批判だったと思います。
 それから半世紀経ちました。ずいぶん日本社会は変わったはずですけれど、広々とした視野でものごとを観察し、ことの適否を冷静に吟味し、必要があれば決然として行動することのできるような「大いなる市民」は今もやはりあたりを見渡してもなかなか見当たりません。

 でも、「大いなる市民」は市民社会には一定数存在しなければならないと僕は思います。すべての市民が「大いなる市民」である必要はありません。それは無理です。でも、できたら十五人に一人くらいの比率で「大市民」には存在して欲しい。

 僕の考える「大市民」の第一の条件は生活者であることです。
 ひとつところに腰を据えて暮らし、家族を持ち、勤労者として日々のつとめを果たし、日々のささやかな楽しみを味わいながら、その上で、政治について、経済について、文化について、宗教について、社会正義について・・・そういった個人では解決することのできないスケールの案件について、自分の思いを、自分の言葉で語ることのできる人です。(中略)

 ですから、まことに逆説的なことですけれど、「誰もしないような変な話」をする人の方が「誰でも言いそうなこと」を言う人よりも、ずっと説明がうまくなるのです。
 あまり言う人がいませんけれど、これは僕が長くさまざまの人の書いたものを読んできて得たひとつの経験知です。「変な話」をする人は説明がうまい。
 そして、その人が説明のときに動員する大胆なロジックや、思いがけない典拠や、カラフルな比喩や、聞き届けられやすい言葉の響きによって、その集団の言語は豊かなものになります。その人の知見が集団的に合意され、共有されるところまではなかなか行きませんが、その人のおかげで「言葉が富裕化する」ということだけは確実に達成されます。





2018-12-08空虚感を抱えたイエスマンより
 ある新聞の取材で「どうして今の若い人たちはこんな政治の現状に抵抗しようとしないのでしょう?」と質問されて、「空虚感を抱えたイエスマンだから」という答えがふと口を衝いて出て、言った自分で「なるほど、そうか」と妙に腑に落ちた。

「空虚感を抱えたイエスマン」というのは、わりと適切に今の20代30代の多数派の心性を言い当てているように思う。

 イエスマン、事大主義者、曲学阿世、「野だいこ」の徒輩はいつの時代にも一定数いる。別に珍しい生き物ではない。けれども、イエスマンが多数派を形成するということはふつうはめったに起こらない。諫言することを恐れない硬骨漢から「下らん奴だ」と見下されるのが、けっこう本人にはつらいからである。イエスマンはそこそこ出世はするが、めったにトップには立てないし、同僚や後輩から信頼されたり慕われたりすることもない。だから、イエスマンは長期的には「間尺に合わない生き方」というのが世の常識であった。

 ところが、どうもそれが覆ったようである。イエスマンが主流を占めるようになったのである。それは「空虚感を抱えた」という形容詞がくっついたせいである。
「虚しい・・・」と言いながら、現状を追認し、長いものに巻かれ、大樹の陰に寄るのは、ただのゴマすり野郎とは違う。むしろクールでスマートな生き方だということを言い出す若者たちがわらわらと出て来たのはおよそ10年ほど前のことである。

 社会のシステムは劣化し続けているが、このシステムの中以外に生きる場がない以上、その「劣化したシステムに最適化してみせる」他にどうしようがあるというのだ。そう暗い眼をして嘯く虚無的な青年は、上にへらへらもみ手するイエスマンよりだいぶ見栄えがいい。

 見栄えがいいと、フォロワーが増える。「こんな糞みたいなシステムの中で出世することなんか、赤子の手をひねるように簡単だぜ」という虚無的に笑ってみせると、額に汗し、口角泡を飛ばしてシステムに正面から抗っている愚直な「左翼」とか「リベラル」とか「人権派」より数段賢そうに見える。だったら、そっちの方がいいか。

 出世や金儲けはともかく、「スマートに見えるかどうか」ということはいつの時代でも若者たちにとって死活的な問題である。というわけで、「ただのイエスマン」ではなく「身体の真ん中に空洞が空いたようなうつろな顔をしているイエスマン」が輩出することになった。





2018-11-18大阪万博という幻想より
 大阪府知事、大阪市長は世界に向けてのPR活動に熱心だが、国内では招致機運が盛り上がらない。
 間近に迫った2020年の東京五輪に対してさえ市民の間に熱い待望の気持は感じられないのだから、そのさらに5年後では気合が入らないのも当然だろう。

 五輪にしても万博にしても、半世紀前の1964年の東京五輪、1970年の大阪万博の時の国民的な高揚感とそれにドライブされた劇的な社会改造を記憶している世代から見ると、今の日本の冷え方はまるで別の国のようである。
 今回の万博に国民的関心が高まらない最大の理由は、にべもない言い方をすれば、大阪で万博を開く必然性がないからである。

 公式サイトにはこんなことが書いてある。
「万博とは世界中からたくさんの人が集まるイベントで、1970年に日本で最初に開催された大阪万博(EXPO'70)は日本の高度経済成長をシンボライズする一大イベントとなりました。『万博』では新しい技術や商品が生まれ生活が便利になる『きっかけ』となります。エレベーター(1853年、ニューヨーク万博)/電話(1876年、フィラデルフィア万博)、ファミリーレストラン、ワイヤレステレフォン、電気自動車、動く歩道(1970年大阪万博)ICチップ入り入場券、AED、ドライミスト(2005年愛知万博)。
 2025年大阪・関西万博が実現したら...最先端技術など世界の英知が結集し新たなアイデアを創造発信 国内外から投資拡大 交流活性化によるイノベーション創出 地域経済の活性化や中小企業の活性化 豊かな日本文化の発信のチャンス。」

 コピーだから仕方がないが、日本語として文の体をなしていない。単語を羅列しただけだ。万博のメインテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」、サブテーマは「多様で心身ともに健康な生き方持続可能な社会・経済システム」だそうであるが、これも単語の羅列であることに変わりはない。

 公式サイトのこの文章を読んで「わくわくした」という人はたぶん推進派の中にもいないだろう。
「万博とは世界中からたくさんの人が集まるイベントで」という書き出しの一文だけで私は脱力して、先を読む意欲を殺がれた。中学生の作文じゃないんだから、他に書きようはないのか。大阪で昔万博がありました、これまでいろいろな新技術が紹介されてきました。今回のテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」です。そう聞かされても、こちらとしては「ああ、そうですか」以外に感想がない。





2018/10/31外国語学習についてより
 その後、1960年代から僕はフランス語の勉強を始めるわけですけれども、この時もフランス語そのものに興味があったわけではありません。フランス語でコミュニケーションしたいフランス人が身近にいたわけではないし、フランス語ができると就職に有利というようなこともなかった。そういう功利的な動機がないところで学び始めたのです。フランス文化にアクセスしたかったから。

 僕が高校生から大学生の頃は、人文科学・社会科学分野での新しい学術的知見はほとんどすべてがフランスから発信された時代でした。40年代、50年代のサルトル、カミュ、メルロー=ポンティから始まって、レヴィ=ストロース、バルト、フーコー、アルチュセール、ラカン、デリダ、レヴィナス・・・と文系の新しい学術的知見はほとんどフランス語で発信されたのです。

 フランス語ができないとこの知的領域にアクセスできない。当時の日本でも、『パイデイア』とか『現代思想』とか『エピステーメー』とかいう雑誌が毎月のようにフランスの最新学術についての特集を組むのですけれど、「すごいものが出て来た」と言うだけで、そこで言及されている思想家や学者たちの肝心の主著がまだ翻訳されていない。フランス語ができる学者たちだけがそれにアクセスできて、その新しい知についての「概説書」や「入門書」や「論文」を独占的に書いている。とにかくフランスではすごいことになっていて、それにキャッチアップできないともう知の世界標準に追いついてゆけないという話になっていた。でも、その「すごいこと」の中身がさっぱりわからない。フランス語が読めないと話にならない。ですから、60年代―70年代の「ウッドビー・インテリゲンチャ」の少年たちは雪崩打つようにフランス語を学んだわけです。それが目標文化だったのです。
 
 のちに大学の教師になってから、フランス語の語学研修の付き添いで夏休みにフランスに行くことになった時、ある年、僕も学生にまじって、研修に参加したことがありました。振り分け試験で上級クラスに入れられたのですけれど、そのクラスで、ある日テレビの「お笑い番組」のビデオを見せて、これを聴き取れという課題が出ました。僕はその課題を拒否しました。悪いけど、僕はそういうことには全然興味がない。僕は学術的なものを読むためにフランス語を勉強してきたのであって、テレビのお笑い番組の早口のギャグを聴き取るために労力を使う気はないと申し上げた。その時の先生は真っ赤になって怒って、「庶民の使う言葉を理解する気がないというのなら、あなたは永遠にフランス語ができるようにならないだろう」という呪いのような言葉を投げかけたのでした。

 結局、その呪いの通りになってしまったのですけれど、僕にとっての「目標文化」は1940年から80年代にかけてのフランスの知的黄金時代のゴージャスな饗宴の末席に連なることであって、現代のフランスのテレビ・カルチャーになんか、何の興味もなかった。ただ、フランス語がぺらぺら話せるようになりたかったのなら、それも必要でしょうけれど、僕はフランスの哲学者の本を読みたくてフランス語を勉強し始めたわけですから、その目標を変えるわけにゆかない。フランス語という「目標言語」は同じでも、それを習得することを通じてどのような「目標文化」にたどりつこうとしているのかは人によって違う。そのことをその時に思い知りました。





2018-09-10大学院の変容・貧乏シフトより
 私が大学生の頃、大学院進学理由の筆頭は「就職したくない」だった。それまで学生運動をやったり、ヒッピー暮らしをしていた学生が、ある日いきなり髪の毛を七三に分けて、スーツを着て就活するというは、傍から見るとずいぶん見苦しいものだった。「ああいうのは厭だな」と思った学生たちはとりあえず「大学院でモラトリアム」の道を選んだ。私もそうだった。

 ところが、こんな「モラトリアム人間」ばかり抱え込んでいた時期の大学院が、学術的にはきわめて生産的だったから不思議である。
 それはちょうど日本社会が高度成長からバブル経済にさしかかる頃だった。同年配でも目端の利いた連中は金儲けに忙しく、世情に疎い貧乏研究者たちに「ふん、金にならないことしてやがる」という憐みと蔑みの視線を向けはしたが、「そんな生産性のないことは止めろ」とは言わなかった。人文系の学者が使う研究費なんて彼らからすれば「鼻くそ」みたいな額だったからである。だから、「好きにさせておけ」で済んだ。おかげで、私たち経済的生産性の低い研究者たちは、世間が金儲けに忙殺されている隙に、誰も興味を持たない、さっぱり金にならない研究に日々勤しむことができた。そして、それが結果的には高い学術的アウトカムをもたらした。そういう意味ではよい時代だった。

 でも、バブルがはじけて、日本全体が貧乏臭くなってから話が変わった。「貧すれば鈍す」とはよく言ったもので、「金がない」という気分が横溢してくると、それまで鷹揚に金を配ってくれた連中がいきなり「無駄遣いをしているのは誰だ」と眼を吊り上げるようになる。「限りある資源を分配するのだ。生産性・有用性を数値的に格付けして、その査定に基づいて資源を傾斜配分すべきだ」と口々に言い出した。

 「数値的な格付けに基づく共有資源の傾斜配分」のことを私は「貧乏シフト」と呼ぶが、大学も「貧乏シフト」の渦に巻き込まれた。そして、それが致命的だった。
 というのは、格付けというのは「みんなができることを、他の人よりうまくできるかどうか」を競わせることだからである。
「貧乏シフト」によって「誰もやっていないことを研究する自由」が大学から失われた。
「誰もやっていない研究」は格付け不能だからである。
独創的な研究には「優劣を比較すべき同分野の他の研究が存在しない」という理由で予算がつかなくなった。独創性に価値が認められないアカデミアが知的に生産的であり得るはずがない。
 日本の大学の劣化は「貧して鈍した」せいである。
 「貧する」ことはよくあることで恥じるには及ばない。だが、「鈍した」ことについては深く恥じねばならない。




2018/8/11『知日』明治維新特集のアンケートへの回答より
1.黒船来航は明治維新の始まりと見られています。どうしてアメリカは黒船4隻だけで、鎖国200年以上の日本の国門を簡単に開けたのか?中国人は国門を開くアヘン戦争に対する屈辱と違って、日本人は黒船来航に対する感情は積極的な方が多いと感じられます。それについての記念活動も多い、それはなぜでしょうか?

 最初にお断りしておきますけれど、私は近代史の専門家ではありませんし、明治維新に特に詳しいわけでもありません。私がこれから答えるのは、あくまで非専門家の個人的な見解であって、学会の常識でも、日本人の多数の意見でもないことをご承知おきください。

 アメリカの黒船四隻「だけ」と質問にはありますけれど、二隻の蒸気船だけでペリー提督たちは彼我の軍事力と科学技術の圧倒的な差を見せつけました。このとき沿岸防衛に召集された武士たちの中には戦国時代の甲冑や槍で武装したものもいたくらいですから。アヘン戦争の情報はすでに日本に伝わっていましたので、アメリカの開国要求を丸のみする以外に選択肢はないということについては、幕府内では覚悟はできていたと思います。

 清朝の中国と徳川幕府の日本、いずれも公式には海禁、鎖国政策を採用して、一般の人々とが海外の情報に接触することは禁じられていましたけれど、実際にはかなり大量に海外の書物が流入しておりました。ですから、この時点で日本の近代化が致命的に遅れていることについてはすでに指導層と知識層には知られていたはずです。

 幕閣たちに決断力がなく、無能であることについては幕府内外においてすでに不満が募っておりましたから、ここで将軍や幕閣を押したてて、国民一丸となってアメリカと一戦交えるというような気分は醸成されようがなかったのではないかと思います。
また当時の日本は原則として自給自足している300の国(藩)に分かれており、藩を超えた政治単位としての「国民国家日本」というような概念はまだリアリティーを持っておりませんでした。

 日本人が黒船来航をそれほど屈辱的に感じなかったように見えるのは、外交が徳川幕府の専管事項であって、それ以外の300諸侯やその家臣団には、さしあたり「自分の問題」だとは思われていなかったということがあったからだと思います。
むしろ、黒船来航で彼我の科学技術の差が可視化されたことを好機として、いくつかの藩では近代化をめざす派閥が勢力を増し、技術開発や兵制の刷新に向かいました。彼らは黒船来航を日本の近代化の契機として肯定的に捉えたはずです。

 けれども、黒船来航を肯定的にとらえる最大の理由は現代日本人の対米意識だと思います。日本は「黒船」によって文明開化に向かい、「GHQの日本占領」によって民主化に向かった。アメリカによる二度の「外圧」が日本にもたらしたものは総じて「善きもの」であったというのは、対米従属体制で生きることになった戦後日本人にとっては受け入れざるを得ない「総括」でした。
 
 隣国中国から見て、「どうして砲艦外交を肯定的に評価するのか?」と疑問に思われるのは当然ですけれど、それは現代日本人の「対米意識」が歴史の評価に投影されているからだというのが私の解釈です。





2018/6/14カジノについてより
「目先の銭金」と「先行きの懸念」ではためらわず「先のことは考えずに、目先の銭金を取る」というのが当今の官民あげての風儀である。衆寡敵せず、カジノは反対派を蹴散らしてめでたく建設されることになるだろう。
けれども、それでもいくつもの疑問には答えがないままである。第一の懸念材料は人々が期待するほどカジノは儲からないのではないかというカジノ専門家たちからの意見である。

 カジノはすでに世界的に競争が激化しており、なんとか帳尻が合っているのはラスヴェガスとシンガポールくらいだと言う。ニュージャージー州アトランティックシティは東海岸最大の賭博都市であるが、カジノの収益はここ10年減少し続け、2014年には、2006年当時の5分の1にまで減益し、4つのホテルが閉鎖、12あったカジノのうち5つが閉鎖という。気になるのは、アトランティックシティではカジノの衰退に先んじて街そのものがさびれたことである。カジノ客を当て込んだが、街は早々と「シャッター商店街化」した。それも当然で、「博打を打ちに来る客をいかにしてカジノホテルの外に出さないか」こそがカジノ商売の骨法だからである。

 この客をカジノホテルの外に出さないためのサービスのことを「コンプサービス(complimentary service、原義は「無料、優待、お愛想」)」という。
カジノでばんばん金を使うと、ホテル宿泊料やレストランでの飲食やショーの入場料が無料になったり割引になったりすることである。上客たちはVIPラウンジに招じ入れられ、チェックインカウンターやレストランでの優先待遇を受ける。客たちはそのサービスの質を基準にカジノを選ぶ。



2018/4/28中国の若者たちよ、マルクスを読もうより
 日本では、マルクスは政治綱領としてよりはむしろ「教養書」として読まれてきました。つまり、マルクスのテクストの価値を「マルクス主義」を名乗るもろもろの政治運動のもたらした歴史的な帰結から考量するのではなく、その論理のスピード、修辞の鮮やかさ、分析の切れ味を玩味し、テクストから読書することの快楽を引き出す「非政治的な読み方」が日本では許されていました。

 マルクスを読むことは日本において久しく「知的成熟の一階梯」だと信じられてきました。人はマルクスを読んだからといってマルクス主義者になるわけではありません。マルクスを読んだあと天皇主義者になった者も、敬虔な仏教徒になった者も、計算高いビジネスマンになった者もいます。それでも、青春の一時期においてマルクスを読んだことは彼らにある種の人間的深みを与えました。

 政治的な読み方に限定したら、スターリン主義がもたらした災厄や国際共産主義運動の消滅という歴史的事実から「それらの運動の理論的根拠であったのだから、もはやマルクスは読むに値しない」という推論を行う人がいるかも知れません。けれども、日本ではそういう批判を受け容れてマルクスを読むことを止めたという人はほとんどおりませんでした。「マルクスの非政治的な読み」が許されてきたこと、それが世界でも例外的に、日本では今もマルクスが読まれ続け、マルクス研究書が書かれ続けていることの理由の一つだろうと思います。





2018/04/03『街場の憂国論』文庫版のためのあとがきより
 巻末に僕が不安げに予測した通り、「現在の自民党政権は、彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこう簡単に作り出せるということ」を特定秘密保護法案の採決を通じて学習しました。その結果、2014年夏には集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、2015年夏には国会を取り巻く市民の抗議の声の中で、安全保障関連法案が採決され、2017年には共謀罪が制定されました。

 そうやって着々とジョージ・オーウェルが『1984』で描いたディストピアに近い社会が現実化してきました。
その間ずっと安倍晋三がわが国の総理大臣でした。ほんの一週間ほど前までは、彼が自民党総裁に三選され、年内にも改憲のための国民投票が行われるということが高い確度で予測されていました。でも、3月に入って森友学園問題についての公文書改竄が暴露されて、今は再び政局が流動化しております。ですから、この本が出る頃に日本の政治状況がどうなっているか今の時点では予測がつきません。そういう政局を横目にしつつ、文庫版あとがきとしてはもう少し一般的な話として「国の力とは何か」ということについて一言私見を述べておきたいと思います。

 率直に言って日本は急激に国力が衰えています。国力というのは、経済力とか軍事力とかいう外形的なものではありません。国の力をほんとうにかたちづくるのは「ヴィジョン」です。
 
「ヴィジョン」とは、自分たちの国はこれからどういうものであるべきかについての国民的な「夢」のことです。かたちあるもののではありません。「まだ存在しないもの」です。でも、それを実現させるために国民たちが力を合わせる。そして、そのような夢を共有することを通じて人々は「国民」になる。そういうものなんです。まず国民が「いる」のではありません。「あるべき国のかたちについて同じ夢を見る人たち」が国民に「なる」のです。その順逆を間違えてはいけません。





2018/03/17直言3月号「韓国の教育と日本のメディア」より
 韓国に毎年講演旅行に出かけている。ご存じないと思うけれど、私の著作は教育論を中心に十数冊が韓国語訳されていて、教育関係者に熱心な読者が多い。ここ三年ほどの招聘元は韓国の教育監である。見慣れない文字列だと思うが、日本とは教育委員会制度が違っていて、韓国は全国が17の教育区に分割されていて、それぞれの区での教育責任者である教育監は住民投票で選ばれているのである。

 数年前にこの制度が導入された結果、多くの教育区で教員出身の教育監が誕生した。彼らは自身の教員経験を踏まえて、できるだけ教員たちを管理しないで、その創意工夫に現場を委ねるという開明的な方針を採った。その結果、日本ではまず見ることのできない自由な校風の公立学校が韓国の各地に続々と誕生している。

 そういう歴史的文脈の中で、私のような人間が各地の教育監に公式に招聘されて、教員たちを前に講演をするということが起きている。日本には私に講演を依頼する教育委員会が一つもないという現実と比較すると、日韓の教育行政の差異が際立つはずである。





2018/03/16人口減社会に向けてより
 人口減については、政府部内では何のプランもなく、誰かがプランを立てなければならないということについての合意さえ存在しないということがわかった。その点では有意義な座談会だった。

 出席者たちは「悲観的になってはならない」という点では一致していた。ただ、それは「希望がある」という意味ではなく、「日本人は悲観的になると思考停止に陥る」という哀しい経験則を確認したに過ぎない。わが国では「さまざまな危機的事態を想定して、それぞれについて最適な対処法を考える」という構えそのものが「悲観的なふるまい」とみなされて禁圧されるのである。

 近年、東芝や神戸製鋼など日本のリーディングカンパニーで不祥事が相次いだが、これらの企業でも「こんなことを続けていると、いずれ大変なことになる」ということを訴えた人々はいたはずである。でも、経営者たちはその「悲観的な見通し」に耳を貸さなかった。たしかにいつかはばれて、倒産を含む破局的な帰結を迎えるだろう。だが、「大変なこと」を想像するととりあえず今日の仕事が手につかなくなる。だから、「悲観的なこと」について考えるのを先送りしたのである。

 人口減も同じである。この問題に「正解」はない。「被害を最小限に止めることができそうな対策」しかない。でも、そんなことを提案しても誰からも感謝されない。場合によっては叱責される。だから、みんな黙っている。黙って破局の到来を待っている。
寄稿は以上。





2018/02/01時間意識と知性より
『ブレードランナー2049』は「人間とレプリカントを識別する指標は何か?」という問いをめぐる物語である。それは「最終的に人間の人間性を担保するものは何か?」という問いに置き換えることができる。
人間性とは突き詰めて言えば何なのか?それ以外のすべての条件が人間と同じである人工物を作り得たとしても、それだけは与えることができないものがあるとしたら、それは何か?

 これは古い問いである。おそらくこの問いが生まれたのは紀元前2000年頃の中東の荒野である。この問いを得たときに一神教が発祥した。「創造主」という概念を人間が手に入れたのである。
 神であっても「それだけは与えることができないもの」があるとしたら、それは何か? 
 古代ユダヤ人はこの問いにこう答えた。「それは神を畏れる心である。」
もし神がその威徳に真にふさわしいものであるなら、神の命じるままに機械的に神を敬う、腹話術師の操る人形のようなものを創造したはずはない。神は必ずや自力で神を見出し、神を敬い、神を畏れることができるほど卓越したものを創造したはずだ。





2017/12/06Madness of the Kingより
 12月5日のJapan Times に「王の狂気」と題するトランプ大統領についての記事が載った。
(長くなるので省略、全文はここ)





2017-11-10吉本隆明1967より 
 1968年は鹿島先生が大学に入ってはじめて吉本隆明と対峙した年である。私の場合はそれが一年前の1967年なので、上のような題になった。私もまた吉本隆明と少年の時に出会って、人生が変わった人間のひとりである。

(長くなるので省略、全文はここ)


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