『ナンギやけれど・・・』3

<『ナンギやけれど・・・』3>
図書館で『ナンギやけれど・・・』という本を、手にしたのです。
この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。(1995年4月19日講演)
田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は神戸より軽かったにしろ被災者でもあります。


【ナンギやけれど・・・】


田辺聖子著、集英社、1996年刊

<「BOOK」データベース>より
震災に関するニュースを読んでいるうち、これはどうしても忘れないで、いい伝え、書き伝えしていきたいと思うことがたくさんあった。おびただしい量の情報がやがては忘却の中へ吸いこまれてしまう。それをよびもどし、字にとどめておきたかった。-震災直後の人々のやさしさと哀しみと友情を、自らも被災した著者が記録する感動の震災ノート。

<読む前の大使寸評>
この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。
田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は神戸より軽かったにしろ被災者でもあります。

rakutenナンギやけれど・・・


この本は「ナンギやけれど・・・」と「わたしの震災記」の2本立てなんですが・・・
「わたしの震災記」の冒頭を、見てみましょう。
p71~
<わたしの震災記>
 長い講演になった。1時間半ばかりのものである。私としてはめったにない、破天荒なことだ。

 私は講演はきらいだ。というより、その前の、緊張感に堪えられない。何ヶ月も前から憂鬱だ。私のニンに合わぬことをしているという気がのかない。その上、定刻には必ずその場所に立っていないといけない。原稿の期日さえ守れぬ私に、体をそこへ持ってゆく、という義務は、どんなに苦渋にみちたことであるか。それやこれやで講演は避けてきたのであるけど、こんどの大震災で、私は被災した知人たちにいくらかは支援したり、しかるべき筋にカンパしたり、していたけれど、もっと何か、身を張って援けたい、という気になった。

(こういう気分が盛りあがって、たくさんのボランティアの人たちが陸続と神戸へ入ったのであろう。私も若く頑健なら、直接的な力仕事でお手伝いしたいところである)

 私の場合、それは嫌いな講演を行なうことではないかと脈絡なく考えついた。なんでこういう理屈になるのか、自分でもわからないが、私の好きな<神戸>が苦しみ、傷ついている、(人間や形のある町というより、象徴的な色合いの神戸である)そんなとき、私も一緒に苦しむべきだ、という気がしたのだ。あんまり鼻唄でできるようなことじゃいけない、私もうんうん唸って脂汗を流して<神戸>と一緒に苦しまないと、という気がしたのであった。

 つまり、それくらい、私は講演がいやなのだ。
(その代わり、よくしたもので、いざ壇上にたつと、あまりあがらずにしゃべることができ、終わると結構昂揚しており、次のお座敷をもう一回ぐらい務められる気になってしまう。かなり私も、オッチョコチョイである)

 東京で、震災のことを訴えよう、入場料を頂き、その分を救援金に廻す、というのはどうだろう、と世間知らずのあたまで考えたのであった。何となく朝日新聞社のかたに話してみたら、すぐ文化企画局に話がまわり、あっという間に有楽町朝日ホールでのチャリティー講演が決まった。

 いろんな関係者のかたの奔走や協力に支えられて実現したのだけれど、物ごとには時のいきおい、時の流れというものがあるらしい。手順よくことが運んでしまった。
 ホールの空いている日をさがし、4月19日にきまった。チケットは二千円、私には高いか安いかわからないが、ほかに色紙も30枚書いて、これは1万円で買って頂くことにした。

 その代わり、心こめて語ろうと思った。今までは人に頼まれて語っていたのであるが、今回は<神戸>のために私はたつのだ。自分で思い立ち、人さまにお願いして話を聞いていただくのだから、それは心こめなければいけない。

(<神戸>のためだっ)
 と私は気持ちを奮いたてた。(私の裡では<神戸>はだんだん人格化しつつあったのだ)

 もう一つ、私には心づもりがあった。講演でもいったけれど、被災ペットのためのカンパである。新聞には毎日のようにペット保護の記事がある。動物救援本部が作られ、救護所には獣医さんやボランティアが、収容される犬や猫、猿、兎などのペットの面倒を見ていた。骨折したり風邪を引いたり、迷子になったペットが救護所に連れてこられる。


『ナンギやけれど・・・』2:方丈記
『ナンギやけれど・・・』1:阪神大震災と関東大震災

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