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zoom RSS 『ナンギやけれど・・・』1

<<   作成日時 : 2019/04/16 15:53   >>

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<『ナンギやけれど・・・』1>
図書館で『ナンギやけれど・・・』という本を、手にしたのです。
この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。(1995年4月19日講演)
田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は神戸より軽かったにしろ被災者でもあります。


【ナンギやけれど・・・】


田辺聖子著、集英社、1996年刊

<「BOOK」データベース>より
震災に関するニュースを読んでいるうち、これはどうしても忘れないで、いい伝え、書き伝えしていきたいと思うことがたくさんあった。おびただしい量の情報がやがては忘却の中へ吸いこまれてしまう。それをよびもどし、字にとどめておきたかった。-震災直後の人々のやさしさと哀しみと友情を、自らも被災した著者が記録する感動の震災ノート。

<読む前の大使寸評>
この本は阪神大震災チャリティー講演会「ナンギやけれど・・・」の講演禄となっているようです。
田辺さんは、震災当時、伊丹市に住んでいたそうで、震度は軽かったにしろ被災者でもあります。

rakutenナンギやけれど・・・


この本の語り口をちょっとだけ、見てみましょう。
p35〜39
 私の知人の、そのまた知人のかたですが、阪神大震災をテレビのニュースで知ったときに、お得意さんがたくさん阪神間の西宮にいらしたかたでもあるんですけど、すぐ奥さまに、「とにかく米を炊いて、子供の頭ぐらいの大きなおむすびをつくってくれ」って、「どうなっているかわからないけれども、すぐ持っていってあげる」。

 その奥さまは、何かにつけ一言あるかたなんだそうです。ふだんご主人に「はい」とおっしゃったことがないそうなんですが、そのときばかりは黙ってすぐ、釜が一升炊きなので、それを三升炊いて、大分大きなおにぎりをつくられた。42個できたそうです。

 そしてそのご主人は、そのおにぎりをいっぱいもろぶた(底の浅い木の箱)に入れて、自転車にくくりつけて、尼崎のおうちから、ずっと西宮、芦屋と行かれたそうなんですが、尼崎市と西宮市をへだてる武庫川を越えるが早いか、すぐ被災した家、ぺっしゃんこの家々、傾いたビル、そういうものが目に入ってきて、その男のかたは、年のころなら51、2の働き盛りの、鬼をもひしぐというようなかたなんですけど、とにかく涙があふれて仕方がなかったと。

 男のかたがそんなふうに、かわいそうでかわいそうでとおっしゃるんですね。ここまで戦後50年たって、戦争のときにもう荒廃し切って、隣の人が焼けてても、向かいの人が死んでいてもどうしようもなかったから、ただ茫然と虚脱したみたいに見ているだけだった日本人が、かわいそうでかわいそうでという声を出せるようになった。それだけ日本の国が豊かになって、国力が出てきたのかもわかりませんけれど、人の心が開明的になってきた、開けて温かくなってきたせいだと思いました、阪神大震災は怖いことでしたけれども、そういうものを残してくれたのではないかと思います。

 この助け合いということは、別に関西だけのことではないと思いますけれども、ひょっとすると、やっぱり関西地方の、神戸とか大阪とか阪神間とか、そういうふうな地方の気風かもわかりません。気候が温暖で人心がのんびりしていて風景が美しく、富と教養の地盤がある土地なんです。ゆとりがある地方なんですね。もちろん東京だって、もしそんなことがあれば、助け合いの精神が発揮されるかもわかりませんけれど、地震の後で新聞を見ておりますと、東京の新聞の論調とか、週刊誌なんかには、神戸や阪神の被害者を救おうと、縁者や友人があんなに大きな荷物を持ってすぐ担いでやってくる、何という肉親愛というか、友人愛というか、そういうものが神戸は多いんだろうと。

 もしこれが核家族化が進んだ東京だったら、本人を助けてくれるのは飼い犬か飼い猫しかいないのではないかと、そういう記事もございました。これは本当言いますと、ずっと前に谷崎潤一郎さんが書いておられます。「私の見た大阪及び大阪人」という文章がございます。
 
 ご承知のように、谷崎先生は、大正12年9月1日の関東大震災で、箱根でそれを経験されました。ちょうど奥さまとお嬢さまは先に横浜に帰っていらした。その日、まさかそんな大きい地震があるとは思わなくて、箱根の泊まっていたホテルから乗合自動車に乗って(というのは原文でございます)乗合自動車に乗って、山を下りようとした。ところが、そのとき何だか体が変なぐあいになった。地震だとすぐ思われたそうです。見ると、窓ガラスのフロントのところ、道がみるみる裂けていく。バスの後ろへ大石が落ちてくる。
(中略)

 そして横浜へはとても入れないのでまず神戸へいき、神戸から船で横浜へ帰ろうと苦労して、やっと、京都、大阪、神戸というふうにたどり着かれたんですが、先生をびっくりさせたのは、大阪駅前と神戸駅前の大変な罹災民への接待ぶりだったそうです。もう地許の人たちが黒山のごとく集まってきて、そして汽車からおりたり船からおりたりする罹災者の人々に、てんでに自分たちがこしらえた慰問袋を渡す。

 駅前には、ご接待の湯茶がちゃんとそろっていて、たくさんの人が集まってきて、「疲れたでしょう、お茶でもどうぞ、どうぞ座ってください」と、それこそ、煙と汗と涙で真っ黒になった罹災民の人たちをそんなふうに接待したそうです。なんて関西というところは、人の情けの厚いところだろうと谷崎先生は感心なさいました。


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