(平成から令和へ)長期停滞の危機

<(平成から令和へ)長期停滞の危機>
竹中平蔵さんがインタビュー欄で「脱デフレは本気か、疑わせた消費増税、物価観変えられず」と説いているので、紹介します。


(竹中さんへのインタビューを4/13デジタル朝日から転記しました)


平成経済はバブル崩壊で始まり、いくどかの金融危機にも見舞われた。日本が世界第2位の経済大国から転落していく歴史でもあった。低成長社会のままではいけないのか。経済政策運営には問題があったのか。小泉政権で経済政策の司令塔を長く務めた東洋大学教授の竹中平蔵さんの視点から、平成がどう見えるのかを聞いた。

Q:平成の30年間を振り返るとどんな時代でしたか。
A:激変の時代です。ただし中身はまだら模様。いい時も悪い時もあった。2年目以降を五つに区分すると、(1)戸惑いの7年(1990~96年)(2)危機の5年(97~2001年)(3)改革の6年(02~07年)(4)最も失われた5年(08~12年)(5)再挑戦の7年(13~19年)です。平成は元年(89年)暮れに株価が、その2年後に地価がピークを打ち、バブル経済が崩壊して始まりました。最初は社会全体として何が起きたかわからず戸惑った。バブルという言葉はあったがあまり使われておらず、『複合不況』と言われた。みな、もうひと山くればと考え、バブル崩壊の深刻さを理解できなかったのです。

Q:それが長い低成長時代の幕開けでした。ただその後も、ほどほどの実質成長はありました。人口減少、超高齢化のもとではけっこう健闘したのではないですか。
A:もちろん経済の成熟、所得水準の向上とともに成長率が落ちるのは当然です。でも日本より所得水準が高い国、例えば米国などより成長率が低いのはおかしい。成長率は1年では小差でも5年、10年たつと大きな差になる。1人当たりの所得水準で日本は最も高いスイスの半分以下。日本人はそれでもいいんでしょうか。

 10年ほど前から世界は第4次産業革命に入り、米国でGAFA(グーグルやアマゾンなど)のような企業が台頭しました。日本ではバブル崩壊に戸惑い、改革を十分にやらなかった。そういう企業が出てこない。先進国にキャッチアップする努力を忘れてしまった。その状況認識なしに次の時代につなげることはできません。

Q:むしろキャッチアップされる側になったのでは。
A:ある面ではそうです。例えば都市環境。東京圏は3500万人も住むのに、こんなに空気も水もきれい。社会資本が充実している。ただ一方で、産業は競争力を失っています。平成初期に企業の時価総額ランキングで世界トップ10に日本の企業名は7社あったが今は50位内でも数えるほどです。

 この8年で世界で最も成長した産業は、私はライドシェア(相乗り)だと思う。米ウーバーが誕生し、企業価値は今、7兆円となって日本のメガバンクより大きい。中国でもシンガポールやインドネシアでも、ライドシェアの企業が急成長している。日本ではタクシー業界の反対でそういうベンチャーが生まれません。これは政策の責任です。

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Q:平成は「デフレの時代」とも言われます。物価が上がらないのはいけないことですか。
A:物価が下がると大変なことになるというのが平成の教訓です。なぜなら売り上げや賃金が下がっても債務は減らない。デフレは相対的に債務を大きくしてしまう。これでは住宅ローンも組めない。デフレこそ不況の元凶だ、という認識を安倍内閣がもったのは正しかったと思います。

Q:デフレと言っても物価上昇率はマイナス1%にもならず、ほぼ横ばいです。見事に物価が安定した社会のようにも見えますが。
A:日本がゼロインフレ、米国が2%インフレなら、30年で米国の物価は日本の2倍以上になります。それだけ名目国内総生産(GDP)で差が付いてしまう。

Q:日本銀行が超金融緩和を6年続けても2%の物価上昇目標は達成しません。目標が誤りでは。
A:14年に一時、1・5%まで上昇しました。その後、また下がったのは消費増税のせいです。やるべきではなかった。政府と日銀が強いコミットメント(約束)を示すことで、市場の物価観を変えることができたのに、増税したために、人々から政府は本気じゃないと思われてしまったのです。

Q:消費増税をしなかったら、財政状況はもっとひどくなっていました。それでいいのですか。
A:歳出を減らせばいいんです。かつて日本の公共事業費はGDP比で欧州の3倍くらいありました。それを小泉政権は半分に減らした。歳出にキャップ(上限枠)も設けた。それがリーマン・ショックを機に外されてしまいました。そうなると、増税したら歳出も増やしていいという気にさせてしまう。しかも08年度まで80兆円台前半だった国の一般会計の歳出は100兆円にジャンプアップした。危機対応の一時的支出なら、その後は減らすべきでした。しかし続くどの政権も減らしませんでした。

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Q:竹中さんが経済司令塔となった小泉政権の歳出抑制路線で、日本の教育や公共事業、防衛など社会保障以外の予算はすでにGDP比では先進国で最小規模です。
A:社会保障費が増えているのはまだ無駄があるということ。例えば大企業の社長にまで年金が出ている。政府がやらなくてもいいことは民間に任せればいい。わかりやすいのは空港。所有権は国でも、運営権は民間に与える。その分、お金が入ってくるので耐震化もできる。それが建設需要になり資本のリサイクルになります。

Q:かつて竹中さんがめざした「小さな政府」がここまで実現しているというのに、もっと小さい方がいいというのですか。
A:小さな政府をめざしたのではなく、政府の規模が大きくなるのを阻止しようとしただけです。政府規模を決めるのが政治です。スウェーデンのような大きな政府にしようという政党があっていいし予算を削れという政党があってもいい。今はどの政党もそこを明確にせず、困っているから何とかしろというだけ。

 今のままだと社会保障費が膨らみ、消費税率は30%でも足りなくなる。そんな高負担に耐えられません。個人的には米国の大都市並みの10%くらいがいいと思う。ただ10月に予定されている消費増税には反対です。手順としてはまず歳出改革、社会保障改革が先。消費税を高齢者のために使うのもまちがっています。若い世代にもっと使わないと。

Q:豊かな者が富めば貧しい者にも富が滴り落ちる、という「トリクルダウン」路線は結局、機能しなかったではないですか。
A:私はトリクルダウンと言ったことはありません。富は天からは降ってこないのです。しかし株を買う人が増えて株価が上がれば、年金基金の価値は増大します。地価が上がれば多くの不動産所有者に波及効果がある。それぞれに意味はあるのです。

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Q:日銀がETF(上場投資信託)を買い上げ、株価の底支えまでするのはやりすぎでしょう。
A:大胆な金融緩和をもっと早くやっていれば、そんなことにならなかった。デフレ危機が深くなってから始めたので、コストの大きな政策をやらざるをえなくなったのです。

 平成の経済政策運営で、一番罪深いのは日銀です。小泉政権のとき、金融緩和を積極的にやってもらうため、私はインフレ目標の導入を求めたが、拒まれました。(市場に大量の資金を供給する)量的緩和を06年に解除したのも誤り。金融政策のタイミングを間違えていました。

Q:ゼロ金利や量的緩和の解除がすべて誤りだとしたら、金融政策で引き締めなど一度もできなくなってしまいませんか。
A:もちろん引き締めが必要なタイミングもありました。言いたいのは日銀の責任が極めて重いということ。政府は法律1本通すのに2年かかるが、日銀は2日間の会合で政策を決められる。それだけ特権が与えられているのです。金融は難しく、すぐに判断が必要なのでプロフェッショナルでないとできない。にもかかわらず日銀の政策委員は世界的なレベルでいうと専門家が少なすぎます。

 「黒田東彦(はるひこ)総裁には同情します。期待にあふれた金融緩和から懸念を抱えた金融緩和になった。それでもやめるわけにいかず辛抱の時代になった。銀行の利ざや、財政赤字の規模に配慮しながら、非常に狭いところをギリギリ続けている。助け舟を出せるのは政府だけ。思い切った規制緩和で経済を活性化することが必要です。

Q:これからどんな時代になりますか。
A:未来への分かれ道です。日本の潜在成長率は非常に低くなった。これを放置したら長期停滞になってしまう。社会保障の負担もできなくなり、相当みじめな社会になる。思い切った改革が求められます。安倍内閣は目の前の経済を良くするためのことはしっかりやってきました。ただ、次の時代を良くするためのこと、つまりは財政再建も、社会保障改革も、エネルギー改革も、残された課題です。

 潜在力を生かせる日本をつくれるのか、あるいは高齢化や人口減少の影響でみじめな社会になるのか。これからが、深刻な分かれ目の時代です。 (聞き手 編集委員・原真人)

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竹中平蔵:1951年生まれ。慶応大学教授などを経て、小泉政権で経済財政相、金融相、総務相などを歴任。近著に「平成の教訓 改革と愚策の30年」。


(平成から令和へ)長期停滞の危機.txt竹中平蔵2019.4.13

この記事も 朝日のインタビュー記事スクラップR10に収めておきます。

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