漢字文化圏あれこれR4

<漢字文化圏あれこれR4>
本屋に出向くと、文芸春秋、SAPIO、週刊現代の特集のタイトルは、もはや開戦前夜であり・・・
メディアの警鐘だとしても、売り上げUPに協力する我が身をちょっと反省しないでもない昨今ですね。

領土に目を向けると、日中韓による共同体など永遠に実現できないとするのが、先人の教えであるが・・・・
日中韓それ自体が既に漢字文化圏であることは、歴史的事実であるわけです。

で、蔵書録などから以下に「漢字文化圏」に関する本を集めてみました。(ネット情報を含む)

・文字渦(2018年)
・ぐるぐる博物館(2017年)
・竜宮城と七夕さま(2017年)
・漢文の有用性(2017年)
・韓国が漢字を復活できない理由(2012年)
・漢字で覚える韓国語(2006年)
・ハングルへの旅(1989年)
・閉された言語・日本語の世界(1975年)

簡体字

R4:『ぐるぐる博物館』を追加


<『文字渦』1>
図書館に予約していた『文字渦』という本を、待つこと1ヵ月ほどでゲットしたのです。
「紙の動物園」のような言語学的SFが大使のツボであるが、この本はそれよりもさらに学術的であり・・・果して読破できるか?と、思ったりする。


【文字渦】


円城塔著、新潮社、2018年刊

<出版社>より
昔、文字は本当に生きていたのだと思わないかい? 秦の始皇帝の陵墓から発掘された三万の漢字。希少言語学者が遭遇した未知なる言語遊戯「闘字」。膨大なプログラミング言語の海に光る文字列の島。フレキシブル・ディスプレイの絵巻に人工知能が源氏物語を自動筆記し続け、統合漢字の分離独立運動の果て、ルビが自由に語りだす。文字の起源から未来までを幻視する全12篇。

<読む前の大使寸評>
「紙の動物園」のような言語学的SFが大使のツボであるが、この本はそれよりもさらに学術的であり・・・果して読破できるか?と、思ったりする。

<図書館予約:(9/05予約、10/16受取)>

rakuten文字渦

『文字渦』3:「新字」の謎
『文字渦』2:「第5回遣唐使」
『文字渦』1:CJK統合漢字




【ぐるぐる博物館】


三浦しをん著、実業之日本社、2017年刊

<「BOOK」データベース>より
人類史の最前線から、秘宝館まで、個性あふれる博物館を探検!書き下ろし「ぐるぐる寄り道編」も収録!好奇心とユーモア全開、胸躍るルポエッセイ。
【目次】
第1館 茅野市尖石縄文考古館ー私たちはつながっている/第2館 国立科学博物館ー親玉は静かに熱い!/第3館 龍谷ミュージアムー興奮!の仏教世界/第4館 奇石博物館ーおそるべし!石に魅せられた人々の情熱/第5館 大牟田市石炭産業科学館ー町ぜんぶが三池炭鉱のテーマパーク/第6館 雲仙岳災害記念館ー災害に備えつつ穏やかに暮らすということ/第7館 石ノ森萬画館ー冒険と希望の館で失神するの巻/第8館 風俗資料館ー求めよ、さらば与えられん/第9館 めがねミュージアムーハイテク&職人技の総本山/第10館 ボタンの博物館ー美と遊びを追求せずにはいられない

<読む前の大使寸評>
巻末を見ると、「月刊ジェイ・ノベル掲載分」を主に編集した本のようだが…編集者の企画が良かったのかも♪

rakutenぐるぐる博物館


『ぐるぐる博物館』3:各地で発見された経典


<『竜宮城と七夕さま』2>
図書館で『竜宮城と七夕さま』という本を、手にしたのです。
JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・
なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。
(帰って調べてみると、このシリーズの全冊(4冊)を読んでいました)


【竜宮城と七夕さま】


浅田次郎著、小学館、2017年刊

<「BOOK」データベース>より
100万ドルに値する体験をした!“浦島太郎が食べたご馳走と、滅多に会えない織姫と彦星の恋の行方に想いを馳せる”表題作ほか、爆笑と感動と法悦の極上エッセイ集。JAL機内誌『SKYWARD』人気連載エッセイ「つばさよつばさ」単行本化。

<大使寸評>
JAL機内誌『スカイワード』人気連載を単行本化した第四弾とのこと・・・
なんか、このシリーズ本は何冊か読んだ覚えがあるのです。

rakuten竜宮城と七夕さま

『竜宮城と七夕さま』2:簡体字
『竜宮城と七夕さま』1:中国人の体型の変化



<漢文の有用性>
内田先生がリンガフランカであった漢文の有用性と、漢文無用化の史実を語っているので見てみましょう。


2017年03月30日役に立つ学問より
 近代まで漢文は東アジア地域限定・知識人限定の「リンガフランカ」であった。それを最初に棄てたのは日本人である。こつこつ国際共通語を学ぶよりも、占領地人民に日本語を勉強させるほうがコミュニケーション上効率的だと考えた「知恵者」が出てきたせいである。

 自国語の使用を占領地住民に強要するのは世界中どこの国でもしていることだから日本だけを責めることはできないが、いずれにせよ自国語を他者に押し付けることの利便性を優先させたことによって、それまで東アジア全域のコミュニケーション・ツールであった漢文はその地位を失った。日本人は自分の手で、有史以来変わることなく「有用」であった学問を自らの手で「無用」なものに変えてしまったのである。

 戦後日本の学校教育も戦前と同じく「コミュニケーション・ツールとしての漢文リテラシーの涵養」に何の関心も示さなかった。さらに韓国が(日本の占領期に日本語を強要されたことへの反発もあって)漢字使用を廃してハングルに一元化し、さらに中国が簡体字を導入するに及んで、漢文はその国際共通性を失ってしまった。

 千年以上にわたって「有用」とされた学問がいくつかの歴史的条件(そのうちいくつかはイデオロギー的な)によって、短期間のうちにその有用性を失った好個の適例として私は「漢文の無用化」を挙げたいと思う。


(長くなるので後略、全文はここ



最強のハイブリッド言語ともいえる「漢字かな交じり文」を韓国の偏狭なナショナリズムが頑なに排斥しているが・・・・
日本がもたらした負の記憶は罪深いようです。

【韓国が漢字を復活できない理由】
漢字
豊田有恒著、祥伝社、2012年刊

<「BOOK」データベースより>
韓国はもともと漢字の国だった。中国への従属関係から公文書はすべて漢文であり、世宗王が創製したハングルは蔑まれ、知識階級が使うことはなかった。日本統治時代、日本製の漢語が大量に流入する。韓国で使われた漢字熟語の七、八割は和製漢語なのである。なぜ、韓国は、漢字を廃止したのか。その後、復活論がわき起こるたびに潰されてきたのはなぜか。韓国研究で名高い著者が、その深い謎に迫る。

<大使寸評>
漢字かな交じり文の利点を知っていても、意地でも漢字を復活させない理由とは?
SF作家の豊田さんは、東アジア史にも造詣が深いことをこの本で知りました。

Amazon韓国が漢字を復活できない理由




せっかく買ったこの本が積読状態のままになっております(汗)

【漢字で覚える韓国語】
漢字で
市吉則浩著、河出書房新社、2006年刊

<「BOOK」データベースより>
“日本人だから”楽しみながら有効な漢字でひも解く韓国語学習書。頻出フレーズに当てはめて学習すれば単語とともに使用法も同時マスター!指差し会話にも対応の一冊。

<大使寸評>
この本を持っていることを忘れていたけど(積読未満)、見える所に置き換えよう。

Amazon漢字で覚える韓国語




韓国をこよなく愛した茨木のり子さんの説く「漢字」です。

【ハングルへの旅】
ハングルへの旅
茨木のり子著、朝日新聞社、1989年刊

<「BOOK」データベースより>
『朝鮮民謡選』をくり返し読んだ少女時代。心奪われる仏像がすべて朝鮮系であることに気づいたのは、30歳過ぎた頃。そして、あたかも、見えない糸にたぐり寄せられるかのようにして50代から著者が学び始めたハングルは、期待通りの魅力あふれる言葉だった。韓国への旅の思い出を織りまぜながら、隣国語のおもしろさを詩人の繊細さで多角的に紹介する。

<大使寸評>
多言語習得の思いをこれほど魅力的に鮮やかに書き記した本を、他に知らないのだ♪
やはり、詩人の書いた本というしかないのかも。

Amazonハングルへの旅


この本から、ずばり「漢字」の章を紹介します。

<漢字>p70~72
 以前、野上弥生子さんが疑問を提出されていたことがあった。
「日本の漢字読みは独特で、中国音とは似て非なるものになっているけれど、いつ頃、どうして、こういうものとして定着したのか、誰に聞いてもこの疑問は解消されない」という意味のことを。
 私も気持ちがくさくさする時、現代詩の混濁に押し流されそうになる時、不意に「」を読みたくなり本棚から抜きとっていたりする。余分なものを削ぎ落とした漢詩の明晰さと余韻とに、心が洗いそそがれる思い。
 しかし、意味はともかく、音のとりかたは勝手な日本流であってみれば、調べとしての詩の半分かたは取り落としていることになるのだろう。杜甫の詩を中国音で朗読したのを聞いたことがあるが、カラっとしていて詩吟の悲壮感や音とはまるで違うものだった。
 野上さんの疑問はもっともに思われる。
 まあ翻訳と思えばいいわけだが、漢字が日本語の母胎をなしているのでなんだか変に落ちつかなくなるというわけである。
 古代、漢字を輸入し、借用し、自国語を創りあげていったということでは日本語も朝鮮語も同じであった。
 漢字だけの構成では表現しきれないものがあって万葉がなが創られたのだろうが、これは日本人の発明、新機軸とばかり思っていたけど、そうでもないらしいのだ。

 新羅時代の民衆の詩歌集、「郷歌」に吏読というものがあって、漢字を使って民族語を表記する方法が考え出され、7世紀頃には既に確立していたという。万葉がなと対応する方法である。吏読の発明の方が先なのだと韓国の人たちは言う。
『万葉集』が5世紀前半~8世紀末までにわたるアンソロジイだとしても、編纂されたのはその後だろうし、当時の文化度の差から言えば吏読からヒントを頂いたということは十分ありうる。
 そしてまた、同じく漢字をとり入れながら、隣国と日本の漢字読みの違いにも呆然となる。
 希望(ヒマン)、歓喜(ファーンヒ)、後悔(フーフェ)、少年(ソーニョン)、壮年(チャーンニョン)、老婆(ノーバ)

 これらは一例にすぎず、同一漢字と思えない読みが山なしているのだ。ごく稀に、
 要因(ヨウイン)、余裕(ヨユウ)、盗難(トウナン)、難民(ナンミン)、器具(キグ)、階段(ケエダン)
 など、同一音の漢字に出合うとほっとし、やはり姉妹語の面もあるのだと、息がつける。
私の友人に中国語に堪能で、辞書の編纂にも参加し、かつ、ハングルも物にしてしまった青年がいるが、こういう日本の若者を見ることは大きな喜びである。
 彼が北京に1年留学し、帰ってきた時、いろいろ話を聞いて楽しかった。彼によると、朝鮮半島の漢字読みは、中国の南北朝時代の音が多く入っているという説や、明末までのいろんな時代の音が入っているという説などさまざまであるらしい。
 日本は呉音を採ったとよく言われる。
 隣国は漢字を音で読み、日本は訓で読むとも言われる。




<『閉された言語・日本語の世界』1>
図書館で『閉された言語・日本語の世界』という本を、手にしたのです。
発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。


【閉された言語・日本語の世界】


鈴木孝夫著、新潮社、1975年刊

<「BOOK」データベース>より
日本語を話す人=日本人という「単一言語国家」であり、歴史上侵略された経験がない日本人は、いかなる言語を育んできたのか。数種類の一人称代名詞をもち、「相手依存」で自己規定する私たちの言葉の不思議。言語社会学の第一人者が、言語と文化への深い洞察をもとに、日本語観、外国観、そして日本人の自己像を考える。時代を経ても色褪せない必読の論考。

<読む前の大使寸評>
発行年度がかなり古い本であるが、当時で32刷となっているように・・・・いわゆるロングセラーなんだろうね♪ 借りた本は1990年発行となっています。

rakuten閉された言語・日本語の世界

『閉された言語・日本語の世界』2:訓読みの成立
『閉された言語・日本語の世界』3:諸言語の使用者人口

同音異義の漢字の成立理由が、中国語と対比して述べられています。
p75~79
■漢字語は音声と文字の交点に成立する
 私はかねてから日本語は伝達」メディアとしてはテレビのような性格を持っていると主張している。音声を使って話している時でさえも、使われている漢字語の視覚的な映像を同時に頭の中で追っているのである。

 これは決してすべての人が漢字を一字一画に至るまで、いつも正確に意識しているというわけではない。ある音形をきいたときに、それに対応するいくつかの、意味が関係のある漢字を思い浮かべ、前後の関係からどれか一つに決定するという意味である。

「・・・官房長官がシ案を作りました」とニュースで聞くと、「私案」かな、それとも「試案」かなと一種の絵合わせを頭の中でやっていくのだ。この頃では、アナウンサーが御親切に「こころみ」の案だとか、「わたくし」の方だとか、ちょっと声を落として注をつけ始めたようだが、日常会話でも相手が使った言葉の文字を尋ねたり、自分の用いた語の表記に「さんずい」だとか「てへん」だなどと注を加えることは、しばしば経験する。

 てのひらを出して字を書き示す習慣も日本独特で、西欧人はペラペラと綴りをそらでいう。私たちは字面を思い浮かべないと落ち着かない。

 日本語に比べると、表記が原則的として表音である言語では、話すことはラジオのようなもので、すべての情報が音声という聴覚的刺激に託されている。そこで音形が同じで、意味に関連性があるような二つ以上の語は極端に嫌われ、互いに衝突するものとして一方が排除されてしまうのである。

 日本語において表記が視覚的な情報源として働くということに対する言語構造上の理由は二つある。この二つは互いに原因であり結果であるという密接な関係に立っているが、現象としては一応別個の事実として考えるおとができる。

 第一はすでに同音語の考察で明らかのように、お互いに同音で、しかも意味がなんらかの点で関連がある漢字が非常に多いということである。例えば「コウ」という発音を持った普通に用いられる漢字の数は、75にのぼる。これはポケット版である『岩波国語辞典』の見出し項目として出ているものだけであるから、大型の辞書にのっているものを数えれば、その数ははるかに多くなると考えられる。

 この75の漢字のどれだけが、実際の会話の中で同音衝突を起こす可能性があるのかは簡単に決定できない。文の前後の脈絡次第で思わぬところで意味が混同されたり、取りちがえられることがあり得るからだ。荒天、好天や紅海、黄海などは衝突することは確実である。このようなとき、どんな字を使うのかという、表記に関する知識、つまり視覚的な情報が、曖昧性、多様性を解消することになるのである。
(中略)

 書かれた文字を見て、それをどう発音するかわからなくても、あるいはすぐ思い出せなくても意味はちゃんと分かることがあるのは誰でも経験することであろう。これはテレビを見ていて、音声を消してもある程度なんのことだか分かるのと比べられる。ラジオは消したらおしまいである。

 以上の考察から明らかになったことは、西欧諸国の言語のように、文字表記が原則的には表音的な性質を持っている場合には、文字という視覚的情報は本質的には重複性がきわめて強いということである。

 これに対し日本語の漢字語では、文字は音声からは別個に独立した情報源であり得るので、音声が等しくても、そして意味に関連があっても、文字さえ違えば同音衝突によるはじき出しが起こらないのは当然である。

 この点で同じ漢字を使う中国語の場合と、日本漢字のそれとはかなり違っている。日本語の中に組込まれた漢字の音形は、日本語の音韻体系が中国語に比べて非常に単純であるために、もとの発音とは似ても似つかぬほど簡略化されてしまった。日本語には中国語のような声調(四声)の区別、有気無気の対立がなく、そして音節末の子音の存在を許さない。そこでもとの中国語ではまったく別の音形であった多くの漢字が、日本語に入ると同音になり、中国語では想像もつかないような数多くの同音異義の漢字が生れたのである。
 このような日本化された漢字の表す概念(意味)は、もはや音的情報のみでは自立不可能となり、視覚的情報との交点においてはじめて明確に決定されることになった。

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