『縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)』3

<『縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)』3>
図書館で『縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)』という雑誌を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくってみると・・・
縄文人の造った土偶や土器が独創的で、ええでぇ♪


【縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)】


雑誌、エイ出版社、2018年刊

<商品の説明>より
いま「縄文」が熱い注目を集めています。東京国立博物館では、特別展「縄文-1万年の美の鼓動」
が2018年9月2日まで開催中。会場には「縄文の美」を目がけて、多くの人々が足を運んでいます。
そもそも縄文時代が、実は1万年も続いたことを皆さんは知っていますか?
しかも縄文時代の人々は、自然と共存し、戦争もせず、サステイナブルな社会を築いていました。
そんな豊かな暮らしの中で生まれたのが、あの土器や土偶たち。その造形の美しさ、愛らしさ、不思議さに多くの人々が夢中になっています。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくってみると・・・
縄文人の造った土偶や土器が独創的で、ええでぇ♪

amazon縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)




三内丸山遺跡を、見てみましょう。
p116~117
<「長い、大きい、多い」が物語る縄文の足跡>
■縄文人の暮らしぶりが出土品で語られる
 三内丸山遺跡は縄文時代の前期~中期にかけて約1700年という長きにわたり存続した。敷地約42haの巨大集落で、長期間安定した生活を営むことができたその訳が、実は三内丸山遺跡のアイコンともいえるあの巨大な掘立柱建物に隠されていた。

 6本の大きな柱の素材はクリの木。クリの野生種は雑木林に生えるが、同じ年代でこれだけ大きな木を6本集めるということは、縄文人が自ら栽培をして単相林を形成していた可能性が大きい。DNAからも野生種でなく栽培種である証拠が挙がっているという。

 つまり、当時から植物の栽培をし、栗を食料にしていたことがわかる。狩猟や採取のイメージが強い縄文人ではあるが、それだけではなかった。遺跡内にある北の谷(ゴミ捨て場)を見ても、魚や小動物の骨のほかに、ゴボウやマメといった栽培植物の種も発見されている。

 土器や土偶の出土品の多さも特徴として語られるが、植物栽培がされていたなど、暮らしぶりがはっきりわかるということも重要なポイントだ。

 また、ヒスイも三内丸山遺跡を語る上では欠かせない。その役割は神事にかかわることだろうと推測はされるが、特筆すべきはその入手経路。青森県の三内地方ではヒスイは取れず、出土したヒスイは新潟県のもの。コハクや黒曜石などを見ても他地域と交易をしていたことは明白だ。

■生活の要素がすべて詰まった三内丸山遺跡
 大型竪穴建物を中心にして竪穴建物や墓、盛土、掘立柱建物など、縄文人が残した痕跡から豊かな暮らしをこれだけの規模で体系的に見ることができるのが三内丸山遺跡の醍醐味だ。

 たとえば建物の材は先述したクリの木がほとんど。さらにはその木を焦がして腐らせない工夫をするなど、きめ細やかな知恵があふれている。自然を有効活用し、交易をする。いまと変わらない社会が縄文時代にもあったのだと想起せずにはいられない。


『縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)』2:縄文のデザイン
『縄文人はどう生きたか。(Discover Japan 9月号)』1:気になった土偶たちや土器

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