『うだつ』1

<『うだつ』1>
図書館で『うだつ』という本を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくってみると、古今東西のウダツの画像がたくさん載っていて、ビジュアル本のようなところが・・・ええでぇ♪



【うだつ】


中西徹著、二瓶社、1990年刊

<「BOOK」データベース>より
データなし。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくってみると、古今東西のウダツの画像がたくさん載っていて、ビジュアル本のようなところが・・・ええでぇ♪

amazonうだつ

瀧澤家住宅


各地のウダツを、見てみましょう。
p10~13
<2 ウダツは近世の化石か>
 ウダツが現存すると知ってから、ウダツへの関心が急速に高まってきました。
 次に見つけたウダツは洛北鞍馬にありました。鞍馬は京都の町なかから、車でわずか30分程で行けますが、気温が町なかより10度程低く、夏は京都近郊の避暑地として親しまれています。また鞍馬寺の奥の院あたりは、今でも天狗様が出るような気配があり、京都の人々にとって今日でも気分的にはたいそう遠い所なのです。したがって、京都人は鞍馬は洛外あると極めつけています。

 鞍馬の里は、鞍馬寺の門前を中心に若狭街道に沿って一条の町並みをつくっています。ウダツのある家はその町並みの中ほどにあります。しかも3軒あって、そのうちの1軒は瀧澤さんと言い、宝暦10年(1760)の祈祷札を残しています。なぜ、このような山里にウダツを上げた家が3軒もあるのでしょう。

 鞍馬は平安遷都によって、丹波と京都を結ぶ要衝となり、8世紀末、鞍馬寺が創設されると門前町としての性格を持つようになります。また、若狭から花背峠をこえて京都へ入る重要な関門でもありました。若狭からは鮮魚が、丹波からは木材・柴・薪・炭が京へ運び込まれ、京からは、衣類・雑貨が人や牛の背にかつがれて丹波・若狭へ運び出されていました。

 いわば鞍馬は山国と都との生活用品の中継地でありました。そこで薪炭問屋として財を成し、文字どおりウダツを上げた家が瀧澤家でした。

 鞍馬といい、西近江路といい、都市化の波に洗われず、古い昔の姿を残した所にウダツはある。それは近世の洛中洛外図屏風に見られる風景そのままである。こういうことから、「ウダツは近世の化石である」と思うようになりました。とくに長々とつづく家並みの中に、ひときわ高く妻壁が上がり、その上の小屋根がウカイラインをよぎるさまは、馬のたてがみの逆巻くがごとく、爽快であり、闊達です。まさに、近世の美意識そのものと思いました。

<3 町衆の心意気>
 やはり、ウダツは突如として現れるものです。ウダツは捜そうと思って、捜しだせるものではありません。
 
 京都千本釈迦堂へお参りしての帰り道、バスの車窓から呆然と外を見ていますと、車が今出川・智恵光院にさしかかった時、右手に立派なウダツを上げた家が見えてまいりました。えっ! 京都にもウダツがあるのか。京都市内には既にウダツはなく、ただ京都郊外の西近江路や鞍馬にだけ遣ると信じ込んで、その旨ある雑誌に書いてしまったのです。

 それから、西陣界隈のウダツを訪ねるスケッチ行がつづきました。
(中略)

 ウダツは大宮通・今出川上ル、元請願寺通・智恵光院西入ルあたりに集中してあります。前者は糸屋の、後者は製品問屋の町筋です。糸屋と問屋はともに原料を支給し、製品を買い集めるという性格をもっており、西陣では一番力をもっています。したがって富裕な家が多いのです。だから、これらの家々にウダツが上がっているのでしょう。それは、また上京の町衆の心意気の象徴でもありました。

 京都の町屋は切妻・平井入りが主で、二階の低い厨子造りです。厨子の表側は虫籠窓があけられ、あまり出の深くない下屋庇の下には幕懸けという横木が渡されています。一階の表側には出格子や格子戸がはめられていて、また格子の前には上げ下げ自由のばったり床机が備わっています。これは中世町屋の見世棚の名残りといわれています。


ばったり床机

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