『南極建築』3

<『南極建築』3>
図書館で『南極建築』というビジュアル本を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくってみると、軽くて強い建材で居住空間を作るという限界設計が見られるわけで・・・これも一種のサバイバル術なんでしょう♪



【南極建築】


LIXIL BOOKLET、LIXIL出版、2016年刊

<「BOOK」データベース>より
【目次】
南極へようこそ!/南極建築1957‐2016/昭和基地の建設/日本初のプレファブ建築/昭和基地を設計した建築家・浅田孝/高床式の建築へ/スノードリフトとの付き合い/内陸基地への挑戦/南極生活をより快適に/自然エネルギーの活用〔ほか〕

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくってみると、軽くて強い建材で居住空間を作るという限界設計が見られるわけで・・・これも一種のサバイバル術なんでしょう♪

rakuten南極建築


軽量パネル工法の誕生あたりを、見てみましょう。
p24~25
<鬼才・浅田孝の登場>
 吉阪隆正は、別の機会にこのように語っている。「それは円環体で、まるで月世界旅行用の衛星となるあの想像図を思わせるようなものであった。South Antarctic Polar Expedition、その頭文字SAPEに丸という意味をつけてマルサッププランと名付けられたのである」と説明している。

 ト-フツ湖予備訓練から帰って南極建築委員会が開催され、マルサッププランが提案された。しかし、この案は、観測隊の永田武隊長および西堀栄三郎副隊長から強い反対が出され、通常の住宅のように慣れた四角いものが欲しいとの意見が通ることとなり、マルサッププランは取り下げることとなった。

 たしかに、形態の問題だけではなかった。同年の11月には南極大陸に向かって出発することが決まっており、設計と製作に残された時間は9ヶ月余りである。あまりに短すぎる。日本に与えられた観測基地であるプリンスハラルド海岸は、まったく未知の土地であり、環境条件も仮に想定していくしかなかった。そのような未知の条件で隊員の生命を安全に保つ建築をつくることが絶対条件であった。

 その意味で、マルサッププランの実行は、時間的にも資金的にも難しかったといえる。南極建築の設計は一からの出直しとなった。

 この段階で、建築設計と製作の責任者として浅田孝が全権を担うこととなる。予算は、8億円のうち6億円が宗谷の改修費、残り2億円のうち1億円が装備費、そして1億円が南極建築費ととなった。

 外国の調査資料により最低気温-60℃、最大風速80m/sec.、10~12人の居住、建物の建設は隊員が行なう、地盤は氷上および陸上いずれも可能、宗谷での運搬を考慮して軽量であることを仮の設計条件として設計がスタートする。この条件で設計を引き受けることのできる建築家は、浅田孝しかいなかった。その浅田は、35歳という若さである。
(中略)

<8ヶ月で設計・製作を完成させた浅田孝マジック>
 浅田はまず、プレファブシステムの軽量パネル方式と決める。当時、わが国には、プレファブシステムに関する知見はほとんどなかった。つまり、浅田はわが国に何の経験もないプレファブシステムで行なうことを決めている。ここから不可能を可能とする浅田マジックが始まる。

 最初のマジックは、ジョイントである。ここで、思い出してほしい。コンラッド・ワックスマンである。ワックスマンはグロピウスらとパネル住宅を研究し、企業化まで行なっている。また、エアーハンマーというスペースフレームの提案を行なっている。浅田は、次のように書いている。「彼は、建築の本性をその三次元の構成、材料の三次元的結合の中に見いだし、三次元の結合を素直にありのままの形で解いていくことから建築の新しい創造の方法を見いだそうとしてジョイントの研究に乗り出した」。これは浅田の中にあった南極建築への思考でもあったと思える。まさに、建築の施工に慣れない人が、完全密閉の施設を組み立てられるかどうかは、このジョイントにかかっているのである。

 第2の浅田マジックは、モジュールである。浅田は三つのモジュールを統一することで、南極建築のシステム化を図った。三つとは、「部材ユニットのモジュール」、「構造ユニットのモジュール」、「利用ユニットのモジュール」である。4尺×8尺パネルのサイズを基本として細部もこの寸法にそって2尺を基準として全体を統一している。


『南極建築』2:世界の南極基地
『南極建築』1:生活水

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