『漫画のすごい思想』2

<『漫画のすごい思想』2>
図書館で『漫画のすごい思想』という本を手にしたのです。
ぱらぱらとめくってみると、四方田さんが取り上げた漫画作家が大使の好みに近いわけで・・・またしても「先を超されたか」との思いがしたのです。



【漫画のすごい思想】


四方田犬彦著、潮出版社、2017年刊

<「BOOK」データベース>より
政治の季節からバブル崩壊まで、漫画は私たちに何を訴えてきたのか。つげ義春、赤瀬川原平、永井豪、バロン吉元、ますむらひろし、大島弓子、岡崎京子…すべては1968年に始まった!

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくってみると、四方田さんが取り上げた漫画作家が大使の好みに近いわけで・・・またしても「先を超されたか」との思いがしたのです。

rakuten漫画のすごい思想




手塚治虫について、見てみましょう。
p188~192
<治癒する者 手塚治虫>
 これまで手塚治虫といえば『鉄腕アトム』と『ジャングル大帝』が有名で、『ブッダ』はどちらかといえば論じられることの少ない、やや傍系的な位置にある作品だと考えられてきた。だが、掲載誌の誌名が変わろうとも執筆に拘泥し、完成までに12年の歳月を費やした『ブッダ』の位置は、今後の手塚研究にあって、より重要なものと見なされるべきである。

 それでは『ブッダ』は手塚漫画のなかで、はたして孤立した作品といえるだろうか。それともこの長篇を核に据えることで、彼の遺したおびただしい作品を理解する、新しい視座を見出すことができるのだろうか。

 この問いに答えるにあたってきわめて興味深いのが、『ブッダ』に少し先行して執筆され、さまざまな理由から未完に終わってしまったもう一つの長篇『火の鳥』である。この作品は12の異なった物語から構成され、いずれもが、いたずらに不死不滅を願って挫折する人間の定義をめぐって、まったく異なる時空において展開している。

 その第十編にあたる『火の鳥・異形編』を、ここで取り上げてみよう。というのもこの作品は『マンガ少年』1981年1月号から4月号にわたって連載されており、それはちょうど手塚が『ブッダ』において、アジャセ王物語を構想しちた時期に相当しているからである。『異形編』は舞台を戦国時代にとり、八百比丘尼伝説とSFのタイムスリップとを結合させて構想された、百頁ほどの中篇である。

 見崎にある蓬莱寺なる寺に八百比丘尼なる尼僧がいて、訪れてくる民百姓のために病気治療を施している。不思議なことに彼女は永遠に年をとらず、ただ本堂の仏像の裏に隠された不思議な鳥の羽をかざすだけで、人々の傷をたちどころに癒してみせる。ある嵐の夜、左近介なる若侍が寺を訪れ、一刀のもとに比丘尼を切り殺してしまう。実はこの侍は男性ではなく、武将である父親の手で男として育てられ、厳しい剣の稽古を積んできた女性であった。彼は自分の一生を捻じ曲げてきた残虐無比な父親に対する憎悪から、彼の業病に治療を授けた比丘尼を殺害したのである。
(中略)

 『ブッダ』にもし『火の鳥』と比べて優れている箇所があるとすれば、それは主人公のブッダを含め一人ひとりの人物の思索の道筋を、それなりに説得力をもって辿ってみせたところにある。だがこの違いは『ブッダ』を完結させたが、『火の鳥』を未完に終わらせた。いや、より正確にいうならば、『火の鳥』はそもそも冒頭の時点で、宇宙の真理を体現する鳥という存在を結論のように登場させてしまったがゆえに、物語として決着をつけねばならぬ契機も必要も見失ってしまったのだ。
 手塚治虫にとってその執筆は『異形編』の八百比丘尼の治療行為に似て、未来永劫に完結しない作業であったといえるだろう。


『漫画のすごい思想』1

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック