『文明に抗した弥生の人びと』3

<『文明に抗した弥生の人びと』3>
図書館に予約していた『文明に抗した弥生の人びと』を、待つこと3日の超速でゲットしたのです。
大使の関心は、辺境ニッポンの長い縄文時代と、文明に抗した縄文人、弥生人とはいかなる者か?・・・に向かうわけでおます。



【文明に抗した弥生の人びと】


寺前直人著、吉川弘文館、2017年刊

<「BOOK」データベース>より
水田農耕や金属器などの新文化を、列島の在来社会はどう受け止めたのか。縄文の伝統をひく土偶や石棒など儀礼品や、打製石器に着目し、文明に抗う人びとを描く。大陸文明の受容だけでは説明できない弥生の実像に迫る。

<読む前の大使寸評>
大使の関心は、辺境ニッポンの長い縄文時代と、文明に抗した縄文人、弥生人とはいかなる者か?・・・に向かうわけでおます。

<図書館予約:(2/10予約、2/13受取)>

rakuten文明に抗した弥生の人びと


「水田をいとなむ社会のはじまり」を、見てみましょう。
p72~74
<農耕社会の登場>
■水田と日本列島
 火山帯にある日本列島の土壌の大半は、酸性度が高い。そのため、土自体は農業にあまり適していない。例えば、東北や関東、九州に多くみられる黒ボク土は、火山灰と腐植土からなる土壌である。火山灰の影響でリン酸が不足しやすく、施肥をしないとやせた土壌となる。しかし、水田はそんな土地でも耕作できる農業技術だ。なぜなら、水の流れによって無機養分が補給され、かつ水がはられることで土壌は中性に近くなり、土壌中のリン酸も溶け出しやすくなるからである。

 ただし、水田をいとなむためには、豊富な水源が不可欠であり、くわえて夏期における一定以上の温度や日照も必用である。雨が多く日照時間も長い日本列島の気候は、これらの条件にマッチするので、水田には、適した環境にあったといえよう。

 しかしながら、南北に長い日本列島では、夏の気温や日照時間に大きな差があることも事実である。水田稲作という環境選択性の強い指標を、弥生時代・文化の定義に採用するかぎり、その適用範囲はおのずと限定されていく点には注意が必要だろう。また、このあたらしい技術体系が、直接的には朝鮮半島南部から九州島北岸の玄界灘沿岸地域にもたされたという点にも気をつけなければならない。

 このような自然環境の多彩さと、水田をはじめとしたあたらしい技術や思想の供給元である朝鮮半島南部との遠近とが複雑に絡み合いつつ、日本列島各地の社会は、縄文時代後・晩期にあった以上の多様性をはぐくんでいく。日本列島における水田稲作の開始は、前段階の狩猟・採集技術と重層化しつつ、日本列島各地での個性的な文化を創出しはじめた出発点であると評価できよう。

 しかしながら、弥生時代以降の議論において、各地のちがいを多様性という用語で表現するのは、言葉は悪いかもしれないが、都合のよい「きれいごと」だといえる。今日、弥生時代研究は、水田と金属器、そして権力形成という三要素を中心に議論が進んでいる。そして、研究者はそれらの要素がそろう遅速によって先進地とそれ以外を区分し、前者の地域こそが、邪馬台国、ヤマト王権、あるいは天皇制といった政治的、文化的中枢をなしていく、いわば「誇るべき」創国「物語」の舞台へと「発展」していくという世界観がある。
(中略)

 議論を水田に戻そう。水田は施肥しなくても、連作できるという大きなメリットがある。これは農地を分割して、牧草地と交代で小麦やマメなどを耕作していたヨーロッパとの大きなちがいである。水田の存在は、日本列島において家畜が、なぜ普及・定着しなかったのかという答えにもなる。休耕地を牧場として利用し、家畜を堆肥の供給源とした農耕社会とは異なる農業環境にあったのだ。

ウン 「誇るべき創国物語」とは距離をおきつつ、科学的に推論する著者のスタンスがいいではないですか♪

『文明に抗した弥生の人びと』2:縄文時代、縄文人について(続き)
『文明に抗した弥生の人びと』1:縄文時代、縄文人について

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック