『郊外の20世紀』4

<『郊外の20世紀』4>
図書館で『郊外の20世紀 テーマを追い求めた住宅地』という本を、手にしたのです。
戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。



【郊外の20世紀】


角野幸博著、学芸出版社、2000年刊

<商品の説明>より
郊外に住宅地が生まれて100年。関西を舞台にこれからの「住宅地とテーマ」を考察
この本は郊外住宅地に関心を持って20年ほどになるという著者の郊外住宅地論である。副題に「テーマを追い求めた住宅地」とある。戦後,開発してきた住宅地をテーマタウンと位置づけ,その開発を供給側である開発者と,需要側である居住者の双方の視点から読み解こうと試みた意欲作である。

<読む前の大使寸評>
戸建て2世帯住宅を苦労して建てた大使は、この種の住宅絡みの本はよく読んできたので・・・借りる決め手になったのです。

amazon郊外の20世紀


第7章「郊外と家族」で、地方出身の団塊の来し方を、見てみましょう。
p195~199
4:家族の解体
■団塊の世代 郊外の主役
 戦前の郊外住宅に先鞭をつけたのは、都心に居をかまえ、仕事をしていた実業家や商店主たちだった。彼らにとって、すでに都心でしっかりと張っていた根を、郊外に移すには、それなりの覚悟があったに違いない。それに追随することになったサラリーマンなどの中産階級は、都心で借家住まいをしていた層が多かった。近世以来、第二次大戦前まで、都心部では約8割の市民が借家住まいであり、またそれを支えるシステムも確立していた。

 都心で借家に住むことを誰もが納得し、当たり前のこととしてくらしていた。彼らを、郊外へ引き出したのは、工業化や高密化に伴う都市環境の悪化であった。都心での借家住まいは別に恥ずべきことではないが、郊外生活のほうが健康い良いという価値意識が、素直に受け入れられたのである。

 ところが戦後の郊外住宅ニーズには、必ずしもそうとはいえないところがある。戦前に開発された良好な郊外住宅地を横目で眺めながら、大都市にやってきた新都市住民たちは、「振り出し」は勤め先の寮や近くのアパートに住んで、「あがり」は郊外に戸建て持ち家という「住み替えすごろく」を頭に描いた。経済の高度成長とともに住宅需要は増え続け、地価は高騰していく。そのなかで一刻も早く借家から抜け出し、郊外に持ち家を買うことが、人生の目標にすらなってしまった。

 だから地方の出身者は、いったんは都心近くに居を定めても、最終的にその目的を達することができるかどうかは別にして、そこは持ち家を得るまでの仮住まいという意識が強かった。そして「あがり」となる持ち家は、自らの収入と天秤にかけて、ぎりぎりの線で購入した妥協の産物だった。しかしそれでも、やっと購入できたことに対する満足度は高かったに違いない。

 大正末期から昭和初期生れの世代が主なユーザーとして登場し、さらに団塊の世代の核家族が、その後をおいかけるようにして住まいを求めた戦後の郊外住宅地は、妥協と満足感の入り混じるものとなった。
 
■核分裂家族
 都市化の波に押されてほぼ同時期に同条件で都市に流入し、同じように郊外へ出ていった都市住民は、よく似たプロフィールと価値観とをもつ核家族であった。しかし、やがて子供たちが成長し、世帯主が次々と定年を迎えるようになる。核家族の老化は、その分解と多様な結末へのプロローグであった。

 良くも悪くも旧来のイエ制度のもとでは、絶大な権力をもつ家父長制のもとで、家族が束ねられていった。そこから飛び出した人々が大都市圏の住民となったわけだが、それでも長い間、イエ制度のネットワークのなかに身を置いていた。多くの大都市一世や二世には、ふるさとがあった。そこには父母や従兄弟との交流もあった。
(中略)
 ところが、自分が年をとるとともに、ふるさとの親や親戚も年をとり、やがて付き合いが薄れる。そしていつのまにか田舎とのヒモが切れる。こうして、核家族は本当に核家族になった。

 ところが、すでにその時には、核家族自身が内部分裂の危機を迎えていた。ふるさとのタガがはずれた上に、郊外住宅地では定時制市民でしかなかった父親は、いつのまにかその居場所を失いかけていた。根づく場所を求めて都会をさまよい、やっと居を定められたと思ったのも束の間、そこはやはり現役のサラリーマンが落ち着ける場所ではなかった。やはりデラシネ(根なし草)でしかなかったのだろうか。 

■架空家族を持つ家
 鳴海邦碩は、1980年代半ば、千里ニュータウンの戸建て住宅地区において、「架空家族を持つ家」とでも呼ぶべき住宅の増改築が増えていることを指摘した。子育てが終わって世帯分離し、老夫婦が残った家に、やがて同居するかもしれない時のために、あるいは子供夫婦が里帰りした時のためにと、部屋を増築したり、改修したりする。

 その夢は決して実現しないかもしれないし、1年のうちわずか数日しか使われないかもしれない。そんな「架空」の「家族」のための家がいくつも生れた。やがて子供たちはその家を相続するが、必ずしもそこに住むことができるとは限らない。むしろ相続を契機に転売されるかもしれない。
(中略)

■郊外二世のライフスタイル
 郊外に住まいをかまえた世代の子供たち、つまり郊外二世たちのライフスタイルは、今後どうなるのだろうか。はっきりいえるのは、彼らにとっては、住み替えすごろくのあがりとして、やっと手に入れた親の世代ほどには、その住まいへの思い入れはないということである。仮に、そこが生まれ育ったふるさとであったとしても。

 郊外二世は親の世代よりも、より客観的かつ合理的に住まいを見つめている。少産化によって、彼らの多くが親の住まいを相続することになる。長男長女同士が結婚するとなると、双方の相続することすらある。しかし、だからといって、勤務地の都合などでそこに住み続けられる保証はない。とりあえずは世帯分離をして別居し、郊外には年老いた親が残される。こういう風景が、どこの郊外住宅地にも見られる。

ウーム この章は「少子高齢化時代の家造り」とでもいう内容であり・・・
こういう警世の書はもっと早く読むべきであったなあと、思ったのでおます。

我々、団塊の世代が一戸建て住宅を取得しリタイアを迎えた頃、いわば人生スゴロクをあがった頃には・・・・終身雇用はなし崩しにくずれ、派遣社員が常態化していた。
住宅取得に関しては、無策の政治と大手建売住宅メーカーにしてやられたとの感もあるわけです。


『郊外の20世紀』3:神戸市の二つのテーマタウン
『郊外の20世紀』2:郊外住宅のゴールの姿
『郊外の20世紀』1:戸建ての我が家の位置付け

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