サピエンス全史(上)1

<サピエンス全史(上)>
図書館で『サピエンス全史(上)』という本を、手にしたのです。
この本は市の図書館に予約し待っていたのだが、大学図書館で見つけて借りたわけです。(いわゆる、学生が本を読まなくなった余波である)
副題に「文明の構造」という言葉があるとおり・・・刺激的な切り口である。


【サピエンス全史(上)】


ユヴァル・ノア・ハラリ著、河出書房新社、2016年刊

<「BOOK」データベース>より
なぜホモ・サピエンスだけが繁栄したのか?国家、貨幣、企業…虚構が文明をもたらした!48ヶ国で刊行の世界的ベストセラー!

【目次】
第1部 認知革命(唯一生き延びた人類種/虚構が協力を可能にした/狩猟採集民の豊かな暮らし/史上最も危険な種)/第2部 農業革命(農耕がもたらした繁栄と悲劇/神話による社会の拡大/書記体系の発明/想像上のヒエラルキーと差別)/第3部 人類の統一(統一へ向かう世界/最強の征服者、貨幣/グローバル化を進める帝国のビジョン)

<読む前の大使寸評>
副題に「文明の構造」という概念があるとおり・・・刺激的な切り口である。

rakutenサピエンス全史(上)


大使の場合、農耕がもたらした悲劇に関心があるわけで・・・
そのあたりを見てみましょう。
p104~107
<第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇>
 人類は250万年にわたって、植物を採集し、動物を狩って食料としてきた。そして、これらの動植物は、人間の介在なしに暮らし、繁殖していた。ホモ・エレクトスやホモ・エルガステルやネアンデルタール人は、野生のイチジクを摘み、野生のヒツジを狩り、どこでイチジクの木が根づくかや、どの草地でヒツジの群れが草を食むべきか、どのオウヤギがどのメスヤギを孕ませるかなどを決めることはなかった。

 ホモ・サピエンスは東アフリカから中東へ、ヨーロッパ大陸とアジア大陸へ、そして最後にオーストラリア大陸とアメリカ大陸へと拡がったが、サピエンスもどこへ行こうが、野生の植物を収集し、野生の動物を狩ることで暮らし続けた。他のことなどする理由があるだろうか? なにしろ、従来の生活様式だたっぷり腹が満たされ、社会構造と宗教的信仰と政治的ダイナミクスを持つ豊かな世界が支えられているのだから。

 だが、1万年ほど前にすべてが一変した。それは、いくつかの動植物種の生命を操作することに、サピエンスがほぼすべての時間と労力を傾け始めたときだった。人間は日の出から日の入りまで、種を播き、作物に水をやり、雑草を抜き、青々とした草地にヒツジを連れていった。こうして働けば、より多くの果物や穀物、肉が手に入るだろうと考えてのことだ。これは人間の暮らし方における革命、すなわち農業革命だった。

 農耕への移行は紀元前9500~8500年ごろに、トルコの南東部とイラン西部とレヴァント地方の丘陵地帯で始まった。それは地理的に限られた範囲でゆっくりと始まった。紀元前9000年ごろまでに小麦が栽培植物化され、ヤギが家畜化された。エンドウ豆とレンズ豆は紀元前8000年ごろに、オリーブの木は紀元前5000年までに栽培化され、馬は紀元前4000年までに家畜化され、ブドウの木は紀元前3500年までに栽培化された。

 ラクダやカシューナッツなど、さらにその後、家畜化されたり、栽培化されたりした動植物もあったが、紀元前3500年までには、家畜化・栽培化のピークは過ぎていた。今日でさえ、先進的なテクノロジーのいっさいをもってしても、私たちが摂取するカロリーの9割以上は、私たちの祖先が紀元前9500年から紀元前3500年にかけて栽培化した、ほんの一握りの植物、すなわち小麦、稲、トウモロコシ、ジャガイモ、キビ、大麦に由来する。

 過去2000年間に家畜化・栽培化された動植物にめぼしいものはない。私たちの心が狩猟採集民のものであるなら、料理は古代の農耕民のものと言える。

 かつて学者たちは、農耕は中東の単一の発祥地から世界各地へ拡がったと考えていた。だが今日では、中東の農耕民が自らの革命を輸出したのではなく、他のさまざまな場所でもそれぞれ完全に独立した形で発生したということで、学者たちの意見は一致している。

 中央アメリカの人々は、中東での小麦とエンドウマメの栽培については何も知らずに、トウモロコシとマメを栽培化した。南アメリカの人々は、メキシコやレヴァントで何が起こっているのかを知らずに、ジャガイモとラマの育成の仕方を身につけた。中国の最初の革命家たちは、稲とキビを栽培化し、ブタを家畜化した。

 北アメリカの最初の園芸家たちは、下草を掻き分けて食用になるウリ科の植物の実を探すのにうんざりして、カボチャを栽培することにした。(ニューギニア、西アフリカの例は大使が省略)

 これらの初期の各中心点から、農耕は至る所に拡がっていった。1世紀までには、世界の大半の地域で、大多数の人が農耕民になっていた。

 では、農業革命はなぜオーストラリアやアラスカや南アフリカではなく、中東と中国と中央アメリカで勃発したのか? その理由は単純で、ほとんどの動植物種は家畜化や栽培化ができないからだ。

 サピエンスは美味しいトリュフを掘り出したり、ケナガマンモスを狩ったりすrことはできたが、その栽培化や家畜化は問題外だった。菌類はあまりに捕らえにくく、巨獣はあまりに獰猛だった。私たちの祖先が狩猟採集した何千もの種のうち、農耕や牧畜の候補として適したものはほんのわずかしかなかった。それらは特定の地域に生息しており、そこが農業革命の舞台となったのだ。

 かつて学者たちは、農業革命は人類にとって大躍進だったと宣伝していた。彼らは、人類の頭脳の力を原動力とする、次のような進歩の物語を語った。進化により、しだいに知能の高い人々が生み出された。そしてとうとう、人々はとても利口になり、自然の秘密を解読できたので、ヒツジを飼い慣らし、小麦を栽培することができた。

 そして、そうできるようになるとたちまち、彼らは身にこたえ、危険で、簡素なことが多い狩猟採集民の生活をいそいそと捨てて腰を落ち着け、農耕民の愉快で満ち足りた暮らしを楽しんだ。

 だが、この物語は夢想にすぎない。人々が時間とともに知能を高めたという証拠は皆無だ。狩猟採集民は農業革命のはるか以前に、自然の秘密を知っていた。なぜなら、自分たちが狩る動物や採集する植物についての深い知識に生存がかかっていたからだ。農業革命は、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるにはほど遠く、農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。

 狩猟採集民は、もっと刺激的で多様な時間を送り、飢えや病気の危険が小さかった。人類は農業革命によって、手に入る総量はたしかに増やすことはできたが、食糧の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。

 むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。


ウーム 農業革命は、史上最大の詐欺だったのか・・・
この本の佳境にさしかかってきています。

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