『縄文の思考』2

<『縄文の思考』2>
図書館で『縄文の思考』という本を、手にしたのです。
大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・
中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。


【縄文の思考】


小林達雄著、筑摩書房、2008年刊

<「BOOK」データベース>より
縄文土器を眺めると、口縁には大仰な突起があり、胴が細く、くびれたりする。なぜ、縄文人は容器としてはきわめて使い勝手の悪いデザインを造り続けたのか?本書では土器、土偶のほか、環状列石や三内丸山の六本柱等の「記念物」から縄文人の世界観をよみとり、そのゆたかな精神世界をあますところなく伝える。丹念な実証研究に基づきつつ、つねに考古学に新しい地平を切り拓いてきた著者による、縄文考古学の集大成。

<読む前の大使寸評>
大陸に比べて、長く続いた日本列島の縄文時代であるが・・・
中華文明が栄えていたころの日本列島の縄文文化はどんなだったかと思うわけです。

amazon縄文の思考



「結びにかえて」から縄文語や縄文文化を、見てみましょう。
p202~205
<結びにかえて>
 文化の中核にはコトバがある。日本的文化は大和コトバからかたちづくられてきた。さらに遡れば、縄文時代の縄文語に行き着くのである。

 大野晋を代表とする一部の言語学者は、日本語につながる祖形は弥生時代に成立したのではないかと考えている。日本文化の遡源を弥生農耕文化に求める柳田国男と共通するものがある。弥生文化に先行する縄文文化については、その存在を視野に入れながらも、なかなかまともに扱おうとはしない。とるに足らない未開状態とでもみなしているがごとくである。

 もとより、縄文語は残っていない。その中にあって、小泉保による縄文語の痕跡を探る研究は注目される(『縄文語の発見』)。日本列島に縄文語が行き渡っていたのは紛れもない事実である。

 ところで、津軽海峡は、本州と北海道を隔てる難所であることは言うまでもない。今日でも海難事故がしばしばである。新鋭の漁船にしても安全というわけにはいかぬのだから、それに較べたら百分の一以下の性能ともみられる縄文人の丸木舟では大変なことである。それにもかかわらず、縄文時代を通じて、頻繁に往来し、いつも海峡を挟んで一つの文化圏を形成していた。

 ところが、北海道の北端、宗谷岬から樺太の丘が見えるのに、縄文人も、樺太先住民も互いに一向に行き来していない。また、九州の縄文人は朝鮮海峡の朝鮮半島寄りに位置する対馬までは活動舞台としているのに、そのまま少し足を伸ばして彼の地に渡るかというと、そうではない。

 このことが航海術の未熟のせいでないのは、津軽海峡の往来で実証されている。おればかりか、九州南端からは奄美、沖縄本島にまで、新潟県に産出するヒスイを携えた縄文人の航跡を辿ることができるのであるから、宗谷海峡と朝鮮半島を漕ぎ渡らなかった理由は航海術の問題ではなく、別にあったとみなくてはならない。

 それこそがコトバの問題以外のなにものでもない。実は、樺太と朝鮮半島には渡った証拠として、縄文関連の文物がごく少数認められるが、お互いに気心を通じた仲間として一度たりとも同じ文化圏を形成することがなかった事実は大きな意味をもつ。それは、コトバが通じなかったから、それ以上の親密な関係を結ぶことができなかった事情によるのであろう。
 渡海の技術上の壁よりも、コトバの壁を容易に越えることができないのは、現代我々の体験上だけえでなく、縄文人とて同じだったのだ。

 つまり縄文文化は、ちょうど日本列島内に収まり、樺太、朝鮮半島には異なる文化が対峙していた様子を物語っている。まさに縄文列島あるいは縄文日本語列島の名に値する。
 コトバは文化であるから、彼我とはコトバが違い、文化が異なっていたのである。たとえばともに土器を製作し、使用していたが、縄文土器が独特な個性を発揮する口縁の突起や波状口縁は、彼の両地域にはその片鱗すらみることができない。

 このことは突起や波状口縁に対する縄文語コトバと、それにまつわる意味については、彼地には全くなかったことを物語る。カタチの有無は、そのカタチにまつわる名づけコトバと意味の有無であり、ときには世界観にまで関係する場合さえ想像されるのである。まさしくコトバによって支えられた文化の問題である。

 縄文文化の研究が進むほどに、その充実ぶりは世界的にも注目されるようになってきた。つまり、狩猟漁撈採集の三本柱を基盤とする世界各地の文化では、抜きんでて他の追随を許さないのである。

 肩を並べるものを探し出すとすれば、北アメリカ北西海岸のバンクーバー一帯で、あのトーテムポールを立てた人々の文化だ。両者を較べると石器や骨角器の道具の種類やその発達ぶりは互いに甲乙つけ難く、文字通り伯仲する。しかし、あの豊かな木彫品や編籠などの繊維工芸品の分野では、さすがに縄文文化も及ばないかにみえていた。

 ところが近年の低湿地遺跡の発掘調査が進むにつれて、水漬け状態で運よく保存されてきた繊維工芸品や木製品などが続々と明らかになると、透かし彫りの柄杓子からさしわたし50センチメートルを超える台付大形木鉢など決して負けをとるものではないのだ。

 とくに、縄文文化が誇る土器の製作、使用となると、トーテムポールに関係した集団の間には、ついぞみることはできない。ましてや漆工芸に至っては微塵の影すらない。改めて、縄文文化の水準と充実のほどがよくわかる。

ウン 縄文日本語列島という視点がいいではないか。絶海の島国にあっては孤立した文化で暮らすしかないのかも。

『縄文の思考』1

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