3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程2

<3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程2>
図書館で『3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程』という本を手にしたのです。
高台移転や高防潮堤も必用だろうが・・・
完工までのスピードが遅いと被災者の役に立たないわけで、そのあたりがどうなっているか知りたいので借りたわけでおます。



【3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程】


伊澤岬、他著、彰国社、2018年刊

<「BOOK」データベース>より
本書は、3・11復興へ手弁当で関わった著者らの挑戦の記録。高防潮堤に代わる「津波をかわす」発想による建築と土木の融合の提案、さらに原発依存から再生エネルギー中心のまちづくりの提案など。しかし、それらは前例主義の壁に阻まれた。なぜなのか。著者らはアンビルドな案に込めたメッセージを言葉へと換える。

<読む前の大使寸評>
高台移転や高防潮堤も必用だろうが・・・
完工までのスピードが遅いと被災者の役に立たないわけで、そのあたりがどうなっているか知りたいのです。

amazon3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程


第1章「挑戦のはじまり」で復興支援の活動を、見てみましょう。
p20~27
<復興支援の活動>
 3.11被災直後に復興都市モデル研究グループを産学連携によって立ち上げ、引き続いて東日本大震災復興水上空港ネットワーク構想研究会を、また3.11の直前には太陽エネルギーデザイン研究会を設立し、これらの三組織が有機的に連動しながら今回の復興支援にあたりました。

■復興都市モデル研究グループ
 復興都市モデル研究グループの活動についてその復興支援の内容を時系列に沿って紹介します。

■1岩手県宮古市
 3.11から18日目、2011年3月29日に岩手県宮古市田老地区を対象として津波を「かわす」計画理念での新たな防災インフラとしてのツールと、エネルギーによる復興都市モデル案のスケッチを完成させました。同3月31日「東日本大震災復興都市モデル 岩手県宮古市田老地区をエーススタディとして」をまとめ、直ちに主宰する日本大学理工学部社会交通工学科デザイン研究室を中心に産学連携チームを結成しました。

 すでに3.11の前年に設立した太陽エネルギーデザイン研究会のメンバーとなる多くの企業にも協力要請をして会員となる建設会社、設計事務所、CAD事務所や太陽光パネルの製造会社などの賛同を得て、産学連携チームの結成につながりました。

 4月1日から活動を本格スタートした直後に前述の二つの修士設計をまとめた小林、関の両氏が研究室を突然訪れて支援協力を申し出てくれました。教師冥利につきるものと大変力強く感じました。このように多くの支援を受けながら、今回の被災が並外れて甚大なものであったことを改めて思うとともに、これまでのような防災提案に限定することなく、英知をしぼって未来につながる社会システムの構築が求められていると強く感じました。
 どのようにして18日間という、短時間で案をまとめることができたのかをお話ししたいと思います。
 研究室の書棚には田老町発刊の「津波と防災」2007年版の小冊子が所蔵されていて、この小冊子にはこれまでの田老地区での津波被害の状況、十mの巨大防潮堤の建設のいきさつとその概要など、復興案構築のための広範囲で充実した内容とともに、当時の市民の避難システムまで掲載されていました。改めてこれらを熟読するとともに、早速市販されている二万五千分の一の地図を求め、二千分の一に拡大して市街地の地形が把握できる模型を作製しました。
(中略)

 新幹線が復旧した5月2日、岩手県土木整備部長に説明の機会を得て、前述の岩手県宮古市田老地区復興都市モデルを県庁で説明しました。これに日刊建設新聞が同行取材に加わりました。説明後、増田寛也元知事のもとで副知事を務めた故竹内重徳氏、高橋敏彦北上市長らから今回の被災や復興計画の現況についての情報収集と意見交換を行なうとともに、持参した復興提案を詳しく説明しました。両氏とも私達の大学、学部の同窓で、市長は教え子となる建築家で被災直後市長に選ばれました。

 翌日、宮古市田老地区の被災状況を視察し、その後、山本宮古市長に先に紹介した修士設計二題とともに今回の復興案を詳しく説明しました。5月11日には、日刊建設新聞誌上にこの田老地区の津波の「かわす」復興案が防災ブリッジ、コリドールと新産業起業をイメージした太陽エネルギーによる環境エネルギー都市像が全体計画図とともに掲載されました(図8)。

 記事についての反応は兵庫県などからあったものの、ほとんどが被災地以外からのものでした。その後、新聞報道がきっかけとなって9月に被災地、宮古市田老地区のNPOからのまちづくりの支援要請につながりました。
(中略)

■4気仙沼市
 被災の翌年2011年1月には、震災後被災地での実施に向けた本格的なまちづくりコンペ「気仙沼市復興まちづくりコンペ」が開催されました。港町としての海辺のにぎわいのなかに主催者から求められた巨大な防潮堤に対して、「防潮堤の建築空間化」「防潮堤の避難路化」と「水門と海へのビスタ」による防災ツールの提案で、「建築」と「土木」の融合のなかに津波を「かわして逃げ切る」新たな防災ツールの組合わせの提案となります。

 私達の提案は一次審査で最終十案に選ばれ、同年4月29日、36人の被災市民も審査員に加わっての公開の審査会で「佳作」に選ばれましたが、実施案となる一等案は超ハイテク技術による浮上式防潮堤案が選ばれました。この一等案のプレゼンテーションを聞いて、原発事故の引き金になった外部電力が途絶えたときのことが脳裏に浮かびその安全性が懸念されるとともに、デザイン案でなく技術提案が選ばれたことに大きな違和感を覚えました。


ウーム 気仙沼市の復興まちづくりコンペ結果に表れた無理と疑惑には大いに違和感を覚えますね。

3.11復興プロジェクトの挑戦とその射程1


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