『朝鮮幽囚記』4

<『朝鮮幽囚記』4>
図書館で『朝鮮幽囚記』という東洋文庫を、手にしたのです。
昨今では韓国から「歴史認識」を突きつけられる日本であるが、では、オランダ商人が見た李朝朝鮮、江戸期の日本はどんなだったか・・・興味深い本である。

先頃『韃靼漂流記』という東洋文庫を読んだが、これら二つの記録ではオランダ人と日本人という違いがあるにしろ遭難時に体験した朝鮮がどんなだったか比較してみるのも面白いと思うのです。


【朝鮮幽囚記】


ヘンドリック・ハメル著、平凡社、1969年刊

<カスタマーレビュー>より
江戸時代、長崎に来るはずのオランダ商船が東シナ海で遭難、30数名の乗組員が李王朝時代の朝鮮に長年に亘って幽囚の身と成ったとき、彼等の目で見た当時の朝鮮を書き残している貴重な歴史的書物。後年英国の旅行家イサベラ・バードが書き残した20世紀初頭の朝鮮の状況と殆ど変わらない姿に、我が国同様に長年鎖国を堅持した朝鮮の、新しい時代の流れを自力で吸収しようとしなかった国の姿を見ることが出来た。

<読む前の大使寸評>
昨今では韓国から「歴史認識」を突きつけられる日本であるが、では、オランダ商人が見た李朝朝鮮、江戸期の日本はどんなだったか・・・興味深い本である。

amazon朝鮮幽囚記


朝鮮の家屋、家具あたりを、見てみましょう。
p47~48
<彼等の家屋および家具について>
 大官たちの家は非常に立派ですが、一般の人々の家は粗末なものです。これは自分の考えに基いて家を建築することは誰にも許されていませんし、総督の許可なしに屋根を瓦でふくことも許されていないからです。

 したがって大部分の家屋は樹皮、蘆あるいは藁で屋根をふいてあります。家は密集していますが、土塀や垣根で相互に区切られています。家は木の柱を使って建てられます。壁の下の部分は石で作られ、その上は木片を格子に編んだものの上を外側と内側から粘土と砂とを混合したもので平らに塗り、内側ではその上に白紙を貼ってあります。部屋の床はその下全体がかまどになっていて、冬になりますとそこで毎日火を焚いて、室内をつねにあたたかくしておきます。したがってそれは部屋というよりも温室といったほうがよいようなものです。部屋の床には油紙が貼ってあります。家屋は平屋ですが、小さな天井裏があり、彼等はそこにこまごましたものをしまっておくことができます。

 貴族は通常自分の家の前に特別の家を持ち、そこで親戚や知人をもてなしたり、宿泊させたりします。彼等はまたそこで娯楽に耽ったり、しなければならない仕事をしたりします。その敷地は一般に広く、池や庭があり、多くの花や、めずらしい樹木や岩石で飾られています。

 婦人たちは家の奥の部分に住んでいて、誰からも見られないようにしています。商人や主要な市民たちは通常彼等の家の傍に縁台を持っていて、そこで仕事をしたり、身分のある人々を普通は煙草と酒とでもてなします。婦人たちは自由に往来して話をしたり御馳走になったりすることはできますが、つねに男から離れ、夫と向かい合って座っています。家具は彼等が日常使うものの他は、それほど多くはありません。

 当地には居酒屋や娯楽のための家がたくさんあります。彼等はそこへ行って、売春婦が踊ったり、唄ったり、楽器を演奏したりするのを見たり聞いたりします。夏になると、彼等は青々とした森や林に行って時を過ごします。

 旅行者のための宿屋すなわち宿泊所は知られていません。旅行者は、旅行していて夕方になると、塀に囲まれている家に立ち寄って、そこに貴族がいなければそこに泊まり、彼が食べたいと欲するだけの米を差し出します。主人はただちにこれを調理させ、副食物を添えて提供しなければなりません。多くの村では家々が交代にこれを受け持ち、だれもこれに抗議することはありません。都に通ずる大きな街道には宿場や休憩所があり、大官や一般の人々の宿泊に供されています。

 貴族や国の命令で旅行する一般の人々がその他の街道を行く時には、彼等が一夜を過ごす土地の長管が、順番で彼等に食料と寝所とを提供します。


ウン 家屋や生活に対する著者の見方は民俗学的に見ても、学者にひけをとらないほど的確であり、たいしたものだと思うのです。


『朝鮮幽囚記』3:朝鮮国王への謁見とか、かの地での任官
『朝鮮幽囚記』2:朝鮮人との遭遇
『朝鮮幽囚記』1:遭難時の状況

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