『朝鮮幽囚記』3

<『朝鮮幽囚記』3>
図書館で『朝鮮幽囚記』という東洋文庫を、手にしたのです。
昨今では韓国から「歴史認識」を突きつけられる日本であるが、では、オランダ商人が見た李朝朝鮮、江戸期の日本はどんなだったか・・・興味深い本である。

先頃『韃靼漂流記』という東洋文庫を読んだが、これら二つの記録ではオランダ人と日本人という違いがあるにしろ遭難時に体験した朝鮮がどんなだったか比較してみるのも面白いと思うのです。


【朝鮮幽囚記】


ヘンドリック・ハメル著、平凡社、1969年刊

<カスタマーレビュー>より
江戸時代、長崎に来るはずのオランダ商船が東シナ海で遭難、30数名の乗組員が李王朝時代の朝鮮に長年に亘って幽囚の身と成ったとき、彼等の目で見た当時の朝鮮を書き残している貴重な歴史的書物。後年英国の旅行家イサベラ・バードが書き残した20世紀初頭の朝鮮の状況と殆ど変わらない姿に、我が国同様に長年鎖国を堅持した朝鮮の、新しい時代の流れを自力で吸収しようとしなかった国の姿を見ることが出来た。

<読む前の大使寸評>
昨今では韓国から「歴史認識」を突きつけられる日本であるが、では、オランダ商人が見た李朝朝鮮、江戸期の日本はどんなだったか・・・興味深い本である。

amazon朝鮮幽囚記


朝鮮国王への謁見とか、かの地での任官あたりを、見てみましょう。
p24~26
<オランダ領インド総督閣下および評議員各位殿>
 河を渡って1マイルばかり行きますと、シオル(現ソウル)と呼ばれる、城壁に囲まれた非常に大きな町に到着しました。そこは国王が住んでいる町です。私たちは北からやや西によった方角に70ないし75マイルほど旅行したことになります。

 私たちは市内に入って一軒の建物に全員一緒に収容され、2、3日たってから、逃亡して来て当地に住んでいる
シナ人の所にそれぞれ2、3、4人ずつ配属されました。配属されるとすぐに私たち一同は、国王の御前に連れて行かれました。陛下は私たちに対し、ヤン・ヤンセ・ウェルテフレーを通じてあらゆることについて訊問させましたので、私たちはそれに対してできる限り答えました。

 私たちは陛下に対して「船は暴風によって吹き流され、異国の土地で難破し、私たちは父母や子供や友人や恋人から隔てられてしまいました。陛下には慈悲を示されて、私たちを日本に送り、同胞に再会して、故国に帰ることができるようにして頂きたいと存じます」と懇願しましたが、陛下は「外国人を国土から送り出すことはこの国の習慣にはないことで、外国人はここで一生を送らねばならない。そのために自分は汝等に食料を与えているのである」と答え、ウェルテフレーにこのことを通訳させました。

 国王は私たちにオランダ風の踊りをさせたり、歌をうたわせたりさせましたので、私たちは知っているものを全部披露しました。私たちは彼等の習慣に歓待され、一人一人に対し布二反を、一反はまずオランダ風に、もう一反をこの国の方法で着物に仕立てるために与えられました。それは私たちの宿所の主人の所に届けられました。

 翌日私たち一同は司令官の所に呼び出されました。彼は私たちに対して、ウェルテフレーを通じて、国王が私たちを司令官の護衛兵に任命し、一人につき毎月70斤の米が食料として支給されることになったことを伝えさせ、各人に円形の名札を手渡しました。


(追って記入予定)


この遭難、幽囚のあらましが、ネットのオランダ船の海難事件から見えてきた、朝鮮人の考え方と略奪根性で見られます。
『朝鮮幽囚記』2:朝鮮人との遭遇
『朝鮮幽囚記』1:遭難時の状況

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