『クマラボ イン トウホク』1

<『クマラボ イン トウホク』1>
図書館で『クマラボ イン トウホク』という本を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくると、日本文と英文が半々くらいの構成であり・・・
世界的な視点で東北復興を考えるという趣向でしょうか♪


【クマラボ イン トウホク】


隈研吾著、東京大学出版会、2018年刊

<出版社>より
【エッセイ】
倫理を超えて、FUKUSHIMA を考える(隈 研吾)
東北と復興(津田大介)
南相馬、福島(あるいは東北)をこれからどうしたらよいか(開沼 博)
福島の原発被災地域における空間計画(窪田亜矢)
残されたものの顛末(ソフィ・ウダール)
「東北、そして福島のこれから」を考える(山本俊一)
遠い未来と遠い過去に向かって(藤原徹平)
【スタジオ】
2014 南三陸の復興広場 
 嵩上げした土地に、過去の区割りを重ね合う
 物語を伝承するランドスケープ
 高台と海をつなぐスリットを街に挿入する
 出会いの起きる路地をつくる
 盛り場の復興
 桟橋の上のパブリックスペース
 構造物と自然のあいだ 

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくると、日本文と英文が半々くらいの構成であり・・・
世界的な視点で東北復興を考えるという趣向でしょうか♪

rakutenクマラボ イン トウホク


冒頭の隈研吾さんのエッセイを、見てみましょう。
p14~20
<倫理を超えて、FUKUSHIMA を考える>
 建築家の最大の病は、倫理的であるフリをすることである。そもそも、既存環境を破壊して新しい物をたてるのであるから、倫理とは程遠い職能であるにもかかわらず、なぜ倫理的なフリをするのだろうかと、レム・コールハースは不思議がっている。

 しかし、不思議がる必用はない。倫理的でありえない罪悪的職能を隠蔽するために、過剰に倫理的な人間であることをアピールする必要があるのである。これは世界共通の、建築家の宿アといってもいいだろう。

 後ろめたさのある職能は、福島のようなシリアスな問題を前にすると、余計に倫理的なフリをする。そんなシリアスなフリだけは避けたいと僕は思った。

 さらに、それにプラスして日本的な事情というものもある。現代の日本の建設業は、江戸時代の武士階級の置かれた社会的ポジションに酷似していると、僕は考える。江戸に先行する戦国時代、武士は必要とされた。人々は戦って、新しい秩序を構築する必要があったからである。

 しかし、江戸という平和な秩序が確立したあと、もはや武士は必要なくなった。しかし、かつての時代のリーダーであり社会のエリートであった武士から、力をとりあげることを、徳川政権はできなかった。過去のリーダー、エリートと政治とが結託し、武士というエリート階級が温存された。日本は温情主義と惰性とが支配する、ぬるま湯だったのである。士農工商という不自然なヒエラルキーが設定され、武士はそのヒエラルキーのトップとしての地位を、300年にわたって保証されたのである。

 最終的に武士の温存は、明治維新で終結したと考えられている。しかし、武士の集団主義、暴力崇拝は、その後も温存された。第二次大戦も、この集団主義、暴力崇拝のひとつの帰結であった。そして第二次大戦後な何が起こったのか。

 江戸時代と同じことが繰り返されたのである。建設業は、第二次世界大戦後の日本を支えたエリートであり、リーダーであった。高度成長と都市の拡張が必要な時代には、建設が必要であった。戦国時代に武士が必要であったように。

 しかし、1970年代以降、一応の目標が達成され、少子高齢化と低成長の時代がやってきた後、政治と武士(建設業)とは結託して、武士階級(建設業)はまたしても温存された。建設業の集団主義と規律とが、選挙における集票装置として有効であることを見抜いた政権は、現代の武士階級を温存し、建設と結託する道を選んだのである。
 
 1970年代以降の日本の最大の課題は、もはや必要とされなくなった工業化のリーダー達を、いかに食わせ、延命させるかであった。建設設計業界も建築家も、無意識的に、この課題の達成に協力した。70年代以降、日本の建設業全体が、その歪みの中にあった。
(中略)

 僕は、倫理とも美学とも無縁の海外の学生たちと一緒に、根本さんのすすけた木造の家に招かれて、たっぷりとお酒を飲んで、福島の野菜をたらふく頂いて、南相馬の未来を話し合った。

 福島を倫理と美学から解放して、具体的に楽しみ、盛り上げなくてはいけない。その盛り上げのための雑多なアイデアをまとめて、ぶっちゃけてみたのが、本書である。福島をきっかけとして、サムライから日本の建築と都市を救い出したのである。フクシマはサムライを葬るための、絶好のチャンスとなる。

ウン 建設業の集団主義と規律とが、戦後も温存されたというのが、鋭いではないか。
要するに、政官業に資源を集中されて、庶民は餌食にされているんじゃないかな?

震災復興ということでは、先日読んだ『まちを読み解く』という本にも建設業集団の限界が見てとれましたね。

【まちを読み解く】


西村幸夫, 野澤康編、朝倉書店、2017年刊

<「BOOK」データベース>より
【目次】
岩手県(旧)大野村ー地域の構想づくりと実践/釜石ー復興計画を構想する/喜多方ー「蔵ずまいのまち」を現代につないでゆくための都市デザイン/板倉町ー文化的景観の分布調査/大宮氷川参道ー参道樹木調査とその保全活動の実践/佐原ーまち並み保存と観光が一体となったまちづくり/幕張ベイタウンー都市空間を計画し実現するアーバンデザイン/浅草ー地域の資源を地域の人たちといっしょに掘り起こす/神楽坂ーまち並みに再生される「花街建築」のパーツ/中野区ー密集市街地でデザインを考える意義〔ほか〕

<読む前の大使寸評>
中をめくると釜石の復興計画が載っているが・・・
釜石は出張で寄ったことがあるので、個人的に気になるのでおます。

rakutenまちを読み解く
『まちを読み解く』1byドングリ

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