『極楽ですか』5

<『極楽ですか』5>
図書館に予約していた『極楽ですか』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。
この本は著者から、政治家、思想家、作家等に出された手紙という構成となっています。あまり見かけない構成であるが、なるほどこういう手もあったのか♪


【極楽ですか】


谷川雁著 、集英社、1992年刊

<「BOOK」データベース>より
〈現代〉は、地獄か、極楽か?歴史の激動を見つめながら、〈他者〉を求めて明滅する詩人の言葉。同時代を生きる〈あなた〉への手紙。

<読む前の大使寸評>
この本は著者から、政治家、思想家、作家、学者等に出された手紙という構成となっています。あまり見かけない構成であるが、なるほどこういう手もあったのか♪

<図書館予約:(12/01予約、12/09受取)>

rakuten極楽ですか


宗左近宛の手紙を、見てみましょう。
(宗左近:詩人、仏文学者であり翻訳家)
p108~114
<真言の火は縄文をてらす>
 宗左近様
 いくつかの夜明けをつながなければ、この手紙は終わりますまい。不覚にも私は、あなたがかの5月25日の東京空襲に追われ、炎のなかで「」と手をふった母に別れた息子であることを知らなかった。はずかしげもなく戦争中の自分を語ったりした。江戸川べりの高い窓からしのびこむ暮色につつまれ、縄文土器の視線を首筋に受けて、宋磁の盃をふくむ招きに何度もあずかり、それと同じ頃の兵営の喜劇譚に興じたりした。ときにけたたましく口をはさむあのインコと変わるところなかった。
(中略)

 自分が現代詩の怠惰な読者であることをいまさら改める気はありませんが、これにはまいりました。これまで私は調子にのってあなたの駘蕩たるもてなしを受けていました。だが動員直後の人影まれな文学部に籍を置いていた私たちは、会ったこともなければ名前も知らなかった。おとどしの暮、縄文土器の先達としてのあなたにはじめて対面して以来、しだいに私の直感はあなたの<原記号>が戦争中のどこかで突然変異を体験したらしいと推測するようになり、題名だけあった『炎える母』を所望したのです。

 下宿の畳や歯みがき粉のにおい、手鏡のくもりぐあいとともに、私があなたと何を共有するからといって、かくもしばしば礼節ただしい微笑にむかえられるのか。私をひきつけるこの平安は、離れた虚空に重心があり、そこから見えない糸がぴんと張られているせいにちがいない。一巻を読みおわって、予感は衝撃に変わりました。あの微笑は遠い紅蓮の数時間をとむらう喪主のそれなのだ。それでは私は秘められた法事の席に招かれていたのだ。

 送られてきた本には手書きの名刺がはさんであった。<谷川雁様/星のない宇宙よ/谺のない地球よ/'90・7・10/宗左近>。すこし前の夜の電話の延長です。残響にたよることばはいやだ、と私はいった。だから短歌はきらいだ。<近江の海・み・み・み・・・夕浪千鳥・ちどり・ちどり・・・汝が鳴けば・なけば・なけば・ば・ば・ば>。通りいっぺんのイメェジのうすみを、不定の長さをもつエコオで補おうとする。それでも足りなくて<おもほゆ><けるかも>など語法による残響の二次的支柱をそえる。自分をひびの入ってない楽器とみなすナルシシズムだ。

 詩の音楽は<反音楽>でなければならない。「反復も残響の強制だから敵ですよ」私は息まいた。「宮沢賢治の短歌が歌人に不評なのは、あれには残響がないからでしょう。出発点から近代人らしく主格が分裂しています。つまり歌になるはずがない状況を歌にしようとしている。暴挙です。しかしそれを一枚岩の主格によりかかったヴァイオリンである歌人が批判するのはこっけいではありませんか。賢治のオノマトピアですか。あれは逆説ですよ。彼のやむにやまれぬ毒ですよ。トリカブトの根をリュウマチの薬にするように」電話のむこうにしばし沈黙があった。その沈黙が名刺の裏の二行のことばになって返ってきた。

 やわらかくたしなめられたように、まさしく私の発言には落度がありました。残響と反復については、たぐいまれな一つの例外を設けねばなりませんでした。生きながら燃えてゆく母とめのまえで永遠にわかれた青年は・・・たとえそれが通常の火葬と寸分ちがわない様式の、繰り上げられた執行であるとしても・・・残響のつきることない反復という方法によってしか、別離のことばをいとなみえないでしょう。それ以外の道はありえない。

 この瞬間の主体は、1秒後にどのような態度や行為を選ぼうとも、裂けることそのものが不可能になっているからです。そしてふしぎかつ当然にもロラン・バルトの訳者である息子の詩行は、その母なる人のカナ書きの遺言と同じ文体、いや同じ音楽、遠くなったり近くなったりする指のことば、ピアノのひびきを底に持っています。

 なにゆえに喪の客として選ばれるのか。問も答もすでに無用です。終りなき祭儀がはじまっており、中座はできません。私はぶつぶつと自己流の呪文を唱えます。<蛍色の掌>という形容をだれが動かしえよう。ここには目が見えたものを超越的に変換する、えたいのしれない神からの委託作業はない。どんなに表現がやせようとも、発端は<四谷区左門町真福寺の間借りの離れの一室>と書かねばならない。油脂焼夷弾が雨とふりそそぐ音は<シャラシャラシャラシャラシャラシャラシャラ>と七回くりかえさねばならない。それはもはや詩ではなく、真言です。



『極楽ですか』4:高橋裕、「河川工学」の専門家
『極楽ですか』3:菅木志雄、「もの派」のアーティスト
『極楽ですか』2:藤間生大、大学教授、東アジア史専門
『極楽ですか』1:井上光晴、作家

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