『歴史と戦争』1

<『歴史と戦争』1>
図書館に予約していた『歴史と戦争』という本を、待つこと5ヵ月でゲットしたのです。
おお 半藤日本史のエッセンスってか・・・
なるほど、既刊本から短文を集めた構成になっています。


【歴史と戦争】


半藤一利著、幻冬舎、2018年刊

<「BOOK」データベース>より
幕末・明治維新からの日本近代化の歩みは、戦争の歴史でもあった。日本民族は世界一優秀だという驕りのもと、無能・無責任なエリートが戦争につきすすみ、メディアはそれを煽り、国民は熱狂した。過ちを繰り返さないために、私たちは歴史に何を学ぶべきなのか。「コチコチの愛国者ほど国を害する者はいない」「戦争の恐ろしさの本質は、非人間的になっていることに気付かないことにある」「日本人は歴史に対する責任というものを持たない民族」-80冊以上の著作から厳選した半藤日本史のエッセンス。

<読む前の大使寸評>
おお 半藤日本史のエッセンスってか・・・
なるほど、既刊本からの短文を集めた構成になっています。

<図書館予約:(7/11予約、12/09受取)>

rakuten歴史と戦争



昭和十五年あたりを、見てみましょう。
p73~74
<昭和十五年八月の、ぜいたくは敵だ!>
 戦中を象徴する流行語の一つ「ぜいたくは敵だ!」の看板1500本が、麗々しく東京中央部の街頭に立てられたのが昭和十五年八月一日。同じ日から、官庁・会社・百貨店などの社員食堂は米食を全面的に廃止し、パンやうどんに切りかえられた。

 この日の永井荷風の日記『断腸亭日乗』が、すこぶる面白い。
「正午銀座に至り銀座食堂にハンす。南京米にじゃが芋をまぜたる飯をだす。此日街頭にはぜいたくは敵だと書きし立札を出し、愛国婦人連辻々に立ちて通行人に触書をわたす噂ありたれば、其の有様を見んと用事を兼ねて家を出でしなり。尾張町四辻また三越店内にては何事もなし。(略)今日の東京に果して奢侈贅沢と称するに足るべきものありや。笑ふべきなり」

 荷風の野次馬精神は、あっぱれの一言につきる。それと、昼ごろまでには立看板が間に合わなかった様子も察せられ、外米にじゃが芋の御飯が供せられたこともわかる。
                          『ぶらり日本史散策』


p74~75
<日中戦争に倦んできて>
 要するに日本は中国と何のために戦争しているのか分からなくなったんです。我々国民も「何のためにやっているんだ」という気分がかなり出てきていた。

 そこで、昭和十五年一月、安部信行内閣のときですが、日本の戦争目的を政府発表したんです。「今事変、日中戦争の理想は我国肇国の精神たる八紘一宇の皇道を四海に宣布する一過程として、まず東亜に日・満・支を一体とする一大王道楽土を建設せんとするにあり」「その究極において世界人類の幸福を目的とし、当面において東洋平和の恒久的確立を目標としていることは、政府のしばしばの声明を俟つまでもなく、けだし自明のことである」。

 これが戦争目的。したがって皇道精神、肇国いらいの日本の理想に反逆する蒋介石は徹底的に叩かなければならないんです。戦争を途中でやめるわけにいかなくなってしまった。                      『「東京裁判」を読む』


p75~76
<昭和十五年の群衆心理>
 フランスの社会心理学者ル・ボンは『群衆心理』(創元文庫)という名著を、19世紀末に書いているが、かれはいう。
「群衆の最も大きな特色はつぎの点にある。それを構成する個々の人の種類を問わず、また、かれらの生活様式や職業や性格や知能の異同を問わず、その個人個人が集まって群衆になったというだけで集団精神をもつようになり、そのおかげで、個人でいるのとはまったく別の感じ方や考え方や行動をする」

 そして群衆の特色を、かれは鋭く定義している・・・衝動的で、動揺しやすく、興奮しやすく、暗示を受けやすく、物事を軽々しく信じる、と。そして群衆の感情は誇張的で、単純であり、偏狭さと保守的傾向をもっている、と。

 昭和十五年から開戦への道程における日本人の、新しい戦争を期待する国民感情の流れとは、ル・ボンのいうそのままといっていいような気がする。それもそのときの政府や軍部が冷静な計算で操作していったというようなものではない。日本にはヒトラーのような独裁者もいなかったし、強力で狡猾なファシストもいなかった。
                        『昭和・戦争・失敗の本質』


p77
<昭和十六年一月の示達、戦陣訓にこうあった>
 戦場へのぞむ兵士の心得が、まことに名文で書かれている。校閲を島崎藤村に依頼し、さらに志賀直哉、和辻哲郎にも目をとおしてもらったという。藤村は細部にまで手をいれ、全体に知的な要素がないことを指摘したが、陸軍は兵隊に知は必要がないと一蹴する一幕もあったという。

 ともあれ名文である。が、それが名文であればあるほど、この文書がその後の太平洋戦争に与えた影響は筆舌に尽しがたいほど大きかった。われら当時の小国民ですら、強制的に記憶させられた一行がある。
「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」

 これである。捕虜になるなかれ、それは「郷党家門を恥ずかしめる恥辱中の恥辱であると、兵士たちは覚悟させられた。そのために死ななくてもいいのに、無残な死を死んだ兵士がどれほどいたことか。                『昭和史探索5』

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