『極楽ですか』1

<『極楽ですか』1>
図書館に予約していた『極楽ですか』という本を、待つこと1週間でゲットしたのです。
この本は著者から、政治家、思想家、作家等に出された手紙という構成となっています。あまり見かけない構成であるが、なるほどこういう手もあったのか♪


【極楽ですか】


谷川雁著 、集英社、1992年刊

<「BOOK」データベース>より
〈現代〉は、地獄か、極楽か?歴史の激動を見つめながら、〈他者〉を求めて明滅する詩人の言葉。同時代を生きる〈あなた〉への手紙。

<読む前の大使寸評>
この本は著者から、政治家、思想家、作家、学者等に出された手紙という構成となっています。あまり見かけない構成であるが、なるほどこういう手もあったのか♪

<図書館予約:(12/01予約、12/09受取)>

rakuten極楽ですか


井上光晴宛の手紙を、見てみましょう。
p99~102
<スーパー戦後の呪力を信じよ>
 井上光晴様
 ふだんの慣性にしたがって、<です><ます>は省略。去年のS字結腸につづき、肝臓850グラムを放棄したとか。おい、そこは40何年前の俺が湯浴みしているかくれがではないかね。かあいそうに矯激でくそまじめな昔の雁は、病院の焼却炉の壁に炭素となってへばりついてしまった。でもまあ、あんなおれは燃えていい。あそこをすりぬけて粘菌のように変形したおれは、いま玄米に朝ぶろ、粛粛として庭樹に入る風をきいている。南へ渡るサシバの声に坑口の矢弦のきしりを思っている。

 されば、動物とも植物ともつかぬキメラ体の呪文をきみの淋巴腺と血管にそそごう。卓上に酒壜をすえ、それをにらんでめしを食っているとはさすがだが、ミツハル、この祝〇を盃にうけてのみほすのだ。そして<細胞よ、わが友よ>と唱えてほしい。病魔退散うたがいなし。

 昔、日比谷の濠ばたに異人の王がいたむかしむかし、九州に二匹の蜂がいた。アシナガバチかトックリバチか、蜜には目もくれぬ肉食の性、たがいに刺しちがえるのをもって正餐の礼とし、むしろ内部を刺せとは唯一共通の美学だった。

 だがその内部は今日どこにある。崩壊する壁のどちら側にもおれたちはいない。うだる砂漠の聖十字軍にも反十字軍にもいない。医者たちまでかたっぱしから内蔵を<外部>にしてしまう。いまやおれたちは勢いよく外側へおしやられている。内側を持たないままでブラック・ホールへむかえというのか。
(中略)

 博多湾ちかくのうす青い昼に出会うのが常だった。おれが25歳、きみは23。位は低いが、共産党九州地方委員会のある部門をそれぞれ背負っている。「金ガナイナラナイデイイデスヨ。ナクテハコマルケド、ソレ以前ニ問題アルデショウガ」きみの声が発熱して横になっているおれの耳のわきを流れていく。

 食事もなく茶もないゆうぐれがくると、おれたちは元気になった。肩をならべてあるく。短い呪詛をおれがつぶやく。そのたびきみはインクをたpっぷりみたした万年筆になる。万年筆は路上でわめき、尾行者をおどろかせ、海を背中をむけ海のほうへ、つまり佐世保へ帰っていく。どちらも相手の司祭気どりだから、別れはきまって口げんかだ。

 そもそも一度だっておれを兄貴あつかいしたことがない。兄弟を知らないやつ、双子しかわからないのだ。舌うちしながら見送るとき、無言の馬鹿笑いがどちらからともなく見えない虹をかけるのだった。あれがこの世の強力磁石でなくてなんであろう。反面、それだけのことだ。

 こんな心意が起きるのは、根っからの反官僚同士のあいだによくある交流現象にすぎない。だがきみの短編『書かれざる一章』が発表されたとき、党内の雀たちはいったものだ。あの主人公のモデルは谷川だ、と。おれが政治類型のショウにはまる男かよ。お望みならあの何行かに線を引いて、こことここだけがおれの唾のしぶきだと教えてやってもよかったのだが、大量下血であと何月もつかとうわさされる身を、未開放部落の諸君から恵まれる塩入りの牛血で支えて田舎にこもったばかりだし、やがて九州地方委議長は麻薬密売でつかまったから、この文学講義はやらずじまいだった。

 それでも作家ミツハルの登場に数秒の舞台照明の役をつとめたとはいえるらしく、これまで話したこともないけれど、ちょっぴりやさしい気持ちになるなあ。


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