『津軽 失われゆく風景を探して』1

<『津軽 失われゆく風景を探して』1>
図書館で『津軽 失われゆく風景を探して』という文庫本を、手にしたのです。
氷雨の中を旅館のアポなしでひたすら歩く外人・・・外人というより変人ではないか。
遍路旅のような旅行記が気になるのでおます。


【津軽 失われゆく風景を探して】


アラン ブース著、新潮社、1995年刊

<「BOOK」データベース>より
太宰治の『津軽』をリュックに入れて、ほぼ半世紀前の晩春、傷心の太宰が「自分」を探しに故郷を訪ねた、二十三日間の足跡を辿った。太宰が見たものを見よう。しかも、ひたすら歩いて―。行く先々の老若男女と大いに語り合い、酒を酌み交し、斜陽館のバーでは「与作」を唄う。シェイクスピアの末裔たる英国人作家が、眼と耳と、肌で接した本州さいてはての地の、人情と風景は…。

<読む前の大使寸評>
氷雨の中を旅館のアポなしでひたすら歩く外人・・・外人というより変人ではないか。
遍路旅のような旅行記が気になるのでおます。

amazon津軽 失われゆく風景を探して


宮脇俊三氏の解説を、見てみましょう。
p265~267
<解説>
 本書の初刊本が刊行されたのは1992年10月である。そのころ私は「朝日新聞」の書評委員をしていた。委員会の席での若干の討論のあと、私は関心のある数冊の新刊本を携えて家に帰った。読んだうえで、気が向いたものがあれば書評し、なければ全部無視してもよいという手続きと立場である。そのなかにアラン・ブースの『津軽』があった。

 『津軽』を読んだ私は、感心をこえて感嘆した。この1946年生れの得体の知れぬイギリス人は、今の日本人が忘れた「旅」をし、今の日本人には見えない日本を見ているではないか。

 私は津軽を何回か旅している。幾つもの町や村を途中下車しては歩いた。だから、著者が訪れたところは、だいたいわかっているつもりであった。
 だが著者は、私にはとても及ばない取材をしている。それは、何よりも土地の人びととの接触の仕方による。「旅先でのふれあい」なんていう薄っぺらで甘いものではない。相手の懐、心の中へ飛びこんで、なんでも聞き出してしまうのだ。そこには「外人」の壁はない。

 たとえば、千畳敷という日本海に面した景勝地の民宿の主人の話。
 「最初の女房はほかの男と駈け落ちしちゃったんですよ!」と彼はいった。「結婚して14年目だった!子供をふたりとも連れていきやがって! 漁師の生活には向かない女だったんだ! 五所川原に出てバーをはじめましたよ! それが7年前の話! 悪い連中とつき合ってるんですよ、わかるでしょ?」

 津軽へ旅行するたびに、北辺の淋しい旅情にひたり、それで満足してきた私としては顔色なしになる。しかも、そのあと著者は、この荒くれ漁師と痛飲し、歌い、彼を魅了してしまう。

 それに続いて、闖入してきた酔っぱらいに毒づかれる場面となる。
 「おまえの顔を見ればどれほど日本を嫌っているかわかる。おれには人相を読む特別な才能があるんだ。そうだよ、こいつを見てみろ、日本をいみ嫌っている。腐れ外道だよ、こいつは。
 彼が顔をぐいと突き出したので、よだれがぼくの大根のおしんこの上にしたたりはじめた」

 そうした津軽の土と汗と酒にまみれた紀行のなかに散在する観察や考察もするどい。
 「西洋で、ある町が魅力的だというのは、高いところから見て好もしい景観を備えているという場合が多い。それぞれの建造物、広場、尖塔が、設計にしても何にしても、全体に寄与しているような町をいうのである。そういう町や都市は、日本にはほとんどない。爆撃と火事と地震と台風と46万1千にのぼる大忙しの建設会社の関心が、そうはさせなかったのだ」
 「日本は確かに島国である。だから、その歴史と国民の意識において、海がとてつもなく大きな役割を果している。しかし、島国には二つの側面がある。島を要塞として見るか、牢獄として見るかだ。(中略)日本の海辺の町にいき着くたびに、ぼくは海を見はるかす宿屋や民宿を探したがむなしかった。そのたびに、どこかの裏道にひっそりと建つ宿で間に合わせねばならなかった。船ではなくバスのターミナルが見えるようなところだ」
 などなど。

 私は感服し、感想文のような書評を書いた。自分の文章を再録するのは気がひけるけれど、読んだ直後の印象が、それなりにあらわれているので。

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