『文字渦』2

<『文字渦』2>
図書館に予約していた『文字渦』という本を、待つこと1ヵ月ほどでゲットしたのです。
「紙の動物園」のような言語学的SFが大使のツボであるが、この本はそれよりもさらに学術的であり・・・果して読破できるか?と、思ったりする。


【文字渦】


円城塔著、新潮社、2018年刊

<出版社>より
昔、文字は本当に生きていたのだと思わないかい? 秦の始皇帝の陵墓から発掘された三万の漢字。希少言語学者が遭遇した未知なる言語遊戯「闘字」。膨大なプログラミング言語の海に光る文字列の島。フレキシブル・ディスプレイの絵巻に人工知能が源氏物語を自動筆記し続け、統合漢字の分離独立運動の果て、ルビが自由に語りだす。文字の起源から未来までを幻視する全12篇。

<読む前の大使寸評>
「紙の動物園」のような言語学的SFが大使のツボであるが、この本はそれよりもさらに学術的であり・・・果して読破できるか?と、思ったりする。

<図書館予約:(9/05予約、10/16受取)>

rakuten文字渦


「新字」という章で「第5回遣唐使」が語られているので、見てみましょう。
p111~114
<新字>
 堺部がこうして唐にやってくるのは12年ぶりのことであり、一度目は白雉4年の第2回遣唐使の第1船に、学生として乗り込んでいた。白い雉が見つかったために改元して白雉ということだから、どうも自分の人生の変転期には瑞獣が関わりがちなようである。

 瑞獣は天子の徳を讃えるのではなく、堺部の運命を告げにやってきているという見方もありうる。堺部としては12年前のあのときに自分の半分は死んだと考えている。ほぼ同数の人員を乗せたニ船から構成された遣唐使の第2船は九州の先で沈んで、ほとんどの者は助からなかった。自分が第1船に乗ったのはたまたまであり、生き残ったのは偶然である。であるならば、自分は半分死んでいる生者なのだと、堺部はすっきり考えている。

 前回は学生としての渡唐だったが、今回は重大な外交任務を負っている。大使は、小錦、守君大石。先の白村江の戦いにおける負将である。次に位の高いのが、小山である堺部石積ということになる。小錦は上から五位、小山は七位を数える。まだ三十代に手の届かない堺部が副使に任じられたのは、家柄と才、留学時の人脈を期待されてのことなのだが、単に体力を見込まれての人選である。
(中略)

 隋のヨウ帝から唐の太宗まで、度重なる侵攻を防ぎ続けた高句麗も、高宗の前についに膝を屈しようかという情勢である。新羅の北方、半島と大陸の接続部を占める高句麗が倒れ、唐が朝鮮半島全体を陥れることとなれば、四海に睨みをきかせる唐の次の標的は日本と考えるのが自然である。筑紫では来寇に備えて防壁や山城の建設が進み、飛鳥では遷都の声もあがっている。

 それはまあそれとして、と堺部の視線は、急を告げる極東情勢をよそに、空中に何かを探している。
 王牒に刻まれているのは、一体どんな文字なのだろうか。

 「クテシフォン・セレウキア」
 と12年前の石積が、相手の口の発した音を繰り返すと、テーブルの向こう側に座る男はやや意外というように軽く眉を持ち上げてみせた。

 「お上手だ」と続いたのは、一音一音を確認するような中国語である。
 「家柄、様々な言葉に接することには慣れております」と石積。
 「なるほど」と男は一音で受け、「しかしこれまでどおり中国語で続けた方がよろしいですな」と笑みを含んだ調子で続ける。「それは勿論」、と石積も耳に神経を集中したままで頷く。
 
 家柄、他国の言葉は、物心つくころから叩き込まれている。日本にいる間でも、ふとすると中国語で考えていることが多かったりする。
 書物の内容をいちいち日本語に直してから理解するよりも、そのまま読んだ方が手間がはぶけたからでもあるし、詩を詠むにも天下国家を考えるにも中国語の方が話が早く、確実だったからでもある。

 多言語を操る者には、用いる言語の選択により思考の道筋が変わることがよく起こる。さらに、日本の言葉は書き留めるにもそのための文字が決まっておらず、漢字で当て字をする手間が必要だった。あとから見ると、自分でも何を書いたのかがよくわからなくなることが頻繁に起こる。それならば最初から中国語で書いてしまった方が手っ取り早い。

 僧に混じって異国の言葉で唱えられる教に耳を澄ませたこともあり、そこに混じる奇妙な響きが、梵語という名の、はるかかなた、インドと呼ばれる土地の言葉であるということも知識としては知っていた。その言葉の組み立てを知ろうとしたが、ただ音だけが伝わっているということで、梵語での文章の組み立て方を知るものは当時の飛鳥ではまだいなかった。音さえ合えば功徳があるということだったが、それでは人が唱える甲斐がないと石積は思う。

 堺部の家では、日本、朝鮮、中国の言葉が自由に用いられており、石積は幼い頃からそれらに馴染んだ。長安にきて思うのは、どうやら自分が馴染むのは、特定の言葉ということではなく、言葉というものに対してらしいということである。個別の各言語より純粋に、言葉というもの自体が好きなのだ。


この本も漢字文化圏あれこれR3に収めておくものとします。

『文字渦』1

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