『馬賊で見る「満州」』4

<『馬賊で見る「満州」』4>
図書館に予約していた『馬賊で見る「満州」』という本を、ゲットしたのです。
ちょうど『張学良の昭和史最後の証言』という本を読んだところで、このところ「満州」が個人的なミニブ-ムとなっている感があるのです。



【馬賊で見る「満州」】


澁谷由里著、講談社、2004年刊

<「BOOK」データベース>より
馬賊が誕生した清末期。あるものは官憲の銃弾に倒れ、あるものは混乱を潜りぬけ略奪者から脱却し、軍閥の長として中原の覇権をうかがう。覇権に最も近づいた男=「東北王」張作霖とその舞台の激動の歴史をたどり、併せて日本にとって「満洲」とは何だったのかを考える。

<読む前の大使寸評>
ちょうど『張学良の昭和史最後の証言』という本を読んだところで、このところ「満州」が個人的なミニブ-ムとなっている感があるのです。

<図書館予約:(10/01予約、10/06受取)>

rakuten馬賊で見る「満州」



日清戦争の衝撃を、見てみましょう。
p49~51
<近代化への模索>
 日清戦争にショックを受けたもう一人の重要人物が、孫文である。彼は康有為と同じく広東省の出身だったが、康と異なり読書人家庭には生まれず、中国伝統の儒学による教育はほとんど受けなかった。ハワイ華僑として成功した兄を頼って10代で彼の地に渡り、そこで教育を受けて帰国した。今風にいえば、「帰国子女」である。

 その後香港で西洋医学を学び、中国人として初の医学博士号も授与された孫文は、まったく新しいタイプの知識人だった。康有為が王朝・君主制といった基本的枠組みを残した上での体制内変革を考えたのに対して、孫文は王朝・君主制自体の破壊、即ち革命を考えた。1894年に彼はハワイで最初の革命団体・興中会を創立する。翌年最初の蜂起を企てて失敗し、以後激道の人生を歩むが、その一部は先述したので繰り返さない。

 康有為と孫文は目指す変革の方向が異なり、長らくその相違点ばかりが強調されてきた。だが近年、「変法派」「革命派」という単純な二分論では語れない両者の交流も明らかになり、共通点にも注目が集まっている。思想的な比較は本書の課題範囲外であるから、ここでは論じない。むしろ変革実践者としての彼らの共通点について、私見を述べたいと思う。

 中国では儒学の教えもあり、特に社会のエリート層である読書人ならびに官僚たる者は、建て前として金銭に心を煩わしてはならないとされてきた。実際には読書人が科挙受験に専念するには生活に心配をしないですむ潤沢な資金が必要であり、官僚は正規の俸給は少ないからどのように蓄財するかは重大関心事であったはずなのに、少なくとも科挙受験教育の場で、現実の経済や金融を学ぶ機会は皆無であった。
(中略)

 だがさらに大きな失敗の共通点は、自前の軍事力をもたなかったことであると筆者は考える。もちろん二人とも、軍隊の帰趨がことの勝敗を決するのはわかっていた。だが康有為は袁世凱を完全に味方につけることができず、孫文は袁世凱の圧倒的軍事力におされて臨時大総統の地位を譲らざるを得なかった。奇しくも二人はともに袁世凱に変革を阻まれたことでも共通している。

 ここで、「だから袁世凱は反動政治家なのだ」と結論づけるのが革命史の評価である。しかし筆者はここにこそ、重要な鍵があると考える。
(中略)
 国家を構成するさまざまな要素のうち、為政者が手にすべき最も重要なものは軍事と財政ではなかったのか。筆者が現在、張作霖政権誕生の背景を探る上でも清朝末期の軍事・財政を重視する理由は以上のとおりである。


『馬賊で見る「満州」』3:清朝滅亡時の国家組織
『馬賊で見る「満州」』2:中国最後の王朝・清朝
『馬賊で見る「満州」』1:馬賊誕生の背景

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック