『ソウルの風景』2

<『ソウルの風景』2>
図書館で『ソウルの風景』という新書を、手にしたのです。
四方田さんといえば…
韓国、映画など太子がこだわる分野で先駆する作家(学者?)であり、目が離せないないのです。

なお、帰って調べてみたらこの本を借りるのは2016年3月以来2度目であることが、判明しました(又か)。・・・で、(その2)としたのです。


【ソウルの風景】


四方田犬彦著、岩波書店、2001年刊

<「BOOK」データベース>より
南北首脳会談の実現、大統領のノーベル賞受賞に沸いた2000年の韓国。激動の一九七九年を過ごしたソウルに再び長期滞在した著者が出会ったものとは何か。高度消費社会と伝統回帰、「北」をめぐるフィルム、光州事件、日本文化開放と元従軍慰安婦の集会…人々の姿、肉声を通して、近くて本当に近い隣国の現在を映し出す。第50回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

<読む前の大使寸評>
四方田さんといえば…
韓国、映画など太子がこだわる分野で先駆する作家(学者?)であり、目が離せないないのです。

amazonソウルの風景


韓国における日本文化の公式的排除と盗用について、見てみましょう。
p126~129
<日本の影>
 政府は民衆のなかに強固に存在している新派のメロドラマ的伝統が、演劇のみならず映画、流行歌、文学のなかに強く流れていることを、それが日本文化に基づくものであると充分に知ってはいながらも、どうしても禁止することができなかった。
 60年代この方、日本で話題を呼んだフィルムはただちに脚本が取り寄せられ、細部までを無断で盗用したパクリ映画が制作された。

 吉永小百合で『泥だらけの純情』が撮られると、科白やギャグまでそっくりに真似た『裸足の青春』が翌年には撮られて、ソウルの劇場を賑わせた。歌謡曲の盗用は当然のこと、漫画やアニメ、TVの連続ドラマに至っても、ほんのわずか設定を変えるだけで制作会社はそれを、純粋に韓国のものであると偽って売り出した。日本が『宇宙戦艦ヤマト』というアニメを造ると、韓国は『宇宙戦艦コボクソン』をただちに制作した。『明日のジョー』は『ハリケーン・ジョー』、『のたり松太郎』は『大蛇』と名を変えて刊行され、いたるところで剽窃が横行していた。

 わたしがかつて親しく訪問した詩人の金素雲は、戦前に北原白秋の高弟であった人物だったが、あるときこういった。日本ではインスタントラーメンの味をめぐって激しい切磋琢磨が行なわれ、なかには自殺する人間まで出ているというのに、わが国ではちゃっかりそのアイデアを無断でいただいて平気な顔をしている。これで抗日精神が育つとしたら、おめでたい話だ、と。

 90年代になって映画がヴィデオテープの時代に入ると、日本映画の海賊版ヴィデオが氾濫し、街角の露店でしきりに販売されるようになった。小説だけは規制がなかったので以前から翻訳出版がなされてきたが、ここでも多くの場合、著作権の問題は等閑にされた。わたしは80年代にソウルの書店で、自分がかつて執筆した映画論が、なんの断りもなく翻訳され版を重ねていることを知って、唖然とした記憶がある。

 こうして非公式の次元における卑屈な盗用と、公式的な次元における文化民族主義のシュプレヒコールとを器用に使いわけることで、韓国人は90年代中頃まで日本文化に向かいあってきたのである。前者を可能としたのが、後者に基づく文化統制であったことは、繰り返しいうまでもない。

 映画に代表される日本文化が公式的に許可されるようになったのは、ようやく金大中政権に至ってからだった。1998年10月に日本映画開放が決定されると、解放はいくつかの段階を踏んでなされた。最初に西洋の著名な映画祭で受賞したフィルムに限定するという条件が提示され、黒澤明の『乱』と北野武の『HANA-BI』がソウルで公開された。これは、この時点で韓国の文化官僚たちは独自に日本文化を判断できるだけの自信と基準をもちあわせておらず、ためにヨーロッパという別の文化植民地主義に依拠せざるをえなかったことを示している。

 次に翌1999年になって第二次の解禁がなされ、アニメを除く全体鑑賞作品と、映画祭受賞作にまで、枠が拡げられた。もっとも新しい世代が監督したフィルムがこうして公開されることになり、とりわけ岩井俊二の『LOVE LETTER』が観客動員数120万人を越える大ヒットとなると、日本へ向かう観光客が争って舞台の小樽を訪れるという現象が生じた。2000年に第三次の解禁がなされ、劇場アニメに一定の制限が設けられた他は、あらゆる日本映画を自由に上映できることになった。

 韓国政府が最初恐れていた事態、すなわち日本映画の導入によって資本力の弱い韓国映画の興行成績に損傷が生ずるのではないかという懸念は、みごとに杞憂に終わった。というのも90年代後半に至って韓国映画はまさに飛ぶ鳥を落とさんばかりの伸展を見せ、国際的に高い評価を受けるばかりか、国内においても次々と興行成績の記録を塗り替えていく最中だったからである。

 わたしがソウルに到着した時期には、すでに日本映画はすっかり定着していた。映画学を専攻する学生たちに好きな監督のアンケートを取ってみると、ブレッソンやゴダールといった西洋人に混じって、大島渚の名前が何人かから挙がった。彼らは大島が韓国と在日韓国人問題に強い共感をもっていることを、すでに知っていたし、自分たちと同世代の日本人がどのようなフィルムを撮っているかについて、貪欲な好奇心を抱いていた。

 韓国語字幕が入った原一男の『ゆきゆきて、神軍』のヴィデオを所有していた者もいたし、日本語が堪能なおかげで映画雑誌のインタヴュウをしている者もいた。わたしがソウルを発つころ、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』がまさに公開されようとしていた。地下鉄の壁には主人公をあしらった大きな宣伝パネルが掲げられていた。

 映画はその大衆性と派手派手しさから、日本文化の代表と見なされていた。映画の解禁は日本文化の解禁であり、次に控えているのはJポップの解禁であると、期待の目が向けられていた。

 だがわたしは、日本文化の到来はこうした政府のお墨付きによってなされる以前に、すでにとうの昔から水面下でなされていたという印象をもつにいたった。東大門市場に行けば、公式的解禁とはまったく無関係に、非公式に複写した日本映画のヴィデオがいくらでも入手できたし、盛り場のビアホールでは日本の流行歌が流れていた。日本に比べてはるかに発展しているコンピュータの世界では、いながらにして日本文化のサイトへと直接にアクセスすることができた。

この本も四方田犬彦の世界に収めるものとします。
『ソウルの風景』1:伝統的なるものの行方p39~52、韓国のハルキ世代p134~136

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