『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』1

<『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』1>
図書館で『私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー』という本を、手にしたのです。
レイモンド・カーヴァーという作家は知らないのだが、村上春樹が精力的に翻訳した作家となれば気になるのである。

それから、本の表紙に「村上春樹翻訳ライブラリー」とあるのだが、村上さんの翻訳者としての実力がしのばれるのである。


【私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー】


村上春樹編訳、中央公論新社、2009年刊

<「BOOK」データベース>より
密なる才能、器量の大きさ、繊細な心…カーヴァーは、彼について語るべき何かをあとに残していくことのできる人だったーJ・マキナニー、T・ウルフ、G・フィスケットジョンほか、早すぎる死を心から悼む九人が慈しむように綴ったメモワール。

<読む前の大使寸評>
レイモンド・カーヴァーという作家は知らないのだが、村上春樹が精力的に翻訳した作家となれば気になるのである。

rakuten私たちの隣人、レイモンド・カーヴァー



村上さんが書いた序文を、見てみましょう。
p7~10
<序文>
 ここに収められた9篇のエッセイは、レイモンド・カーヴァーと交際のあった人々(小説家・詩人・編集者など)が、その死後、彼についての思い出をそれぞれに綴ったものである。

 中には親友として深く関わった人々もいるし、あるいはたまたま何かの機会に「すれちがった」という程度の人もいる。しかしこえら9人の人々に共通しているのは、その交際が深くても浅くても、長くても短くても、そんなことに関わりなく、レイモンド・カーヴァーという一人の男が彼らの脳裏に、あるいは心に強く鮮やかな印象を残していったということである。読んでいただければおわかりになると思うのだが、たしかにそこには書き記すべきものがあったのだ。そしてこの9人の人々はそれらの思い出を大事に慈しむように、それぞれの文章にした。

 一言で言えば、レイモンド・カーヴァーは見るからにマッシブな人であった。図体もいかにも大きく密であったが、才能も、人としての器量もそれに応じて密であった。僕も実際に彼を目の前にしたときに、そういうマッシブさをひしひしと感じることになった。しかし彼の心はどうやらそれほどマッシブなものではなかったようだ。

 それはむしろ繊細で、優しく、傷つきやすく、個人的な夢を見るのに向いている心だった。あるいはそのような「入れ物」と「中身」の齟齬が、彼の人生を一時期、トラブルに満ちたややこしいものにしてしまったのかもしれない。そういう印象を僕はそのときに受けた。そしてそのような印象は、ここに収められた文章をひとつひとつ読んでいくうちに、僕の中でますます腑に落ちるものになっていった。「ああ、きっとそういうことだったんだろうな」と。

 現実の生活において、レイモンド・カーヴァーはいくつもの欠点を抱えた人だったかもしれない。いろんなものごとがうまく噛み合わず、まわりにいる何人かの人々を、心ならずも傷つけることになったかもしれない。しかしレイモンド・カーヴァーは少なくとも、要領よく立ち回り、風向きを見てこまめに方針を変更し、器用に世の中を渡っていくような人ではなかった。こそこそと人を裏切ったり、足を引っ張ったり、お世辞を言ったりして、自らの目先の利益を得ようとする人でもなかった。

 最短距離を見つけたり、安全な場所を確保したりすることにも長けていなかった。たまたま授かったマッシブな器量と、繊細な心の創り出す隙間を、なんとか自分なりにうまく詰めていこうと、こつこつと誠実な努力を続ける人だった。それがうまくいくこともあり、うまくいかないこともあった。うまくいかないときには、彼は酒に溺れ、自らを深くいためつけることになった。破滅の暗い淵とすぐ間近に向かい合いさえした。

 しかし結局、最後にはいろんなものごとがうまくぴたりと当てはまり、人生の諸相は彼にとってこの上なく良き方向に進んでいった。しかし皮肉なことに、まさにそのときに不治の病が彼の身体を捉え、レイは心ならずもその短い人生を閉じることになった。

 レイモンド・カーヴァーが亡くなったのは、彼が50歳のときだった。僕は彼よりちょうど10年年下なので、そのときはまだ(というか)40歳だった。だから50歳で死ぬというのがどんなことなのか、正直なところ、実感としてよくわからなかった。でも10年後、自分が実際に50歳の誕生日を迎えたとき、「そうか、50歳で死ぬというのは、本当に早すぎる死だったんだ」と痛切に悟った。

 カーヴァーはそのときさぞ無念だったろう、つらかっただろうと、自分の身に起こったかもしれないこととして、思いなおすことができた。とくにレイモンド・カーヴァーの場合、いろんな苦しい思いをして深い森を抜け、ようやく開けた明るい場所に出て、「さあ、これからどんなことをやっていこうか」と一息ついてあたりを見回したあたりで、唐突に死の宣告を受けてしまったのだ。「どうしてこの自分が、今ここで?」と天に向かって悲痛な思いで問いかけたくなったに違いない。

 しかし彼は来るべき死に直面しながらも、大きく泣き叫ぶこともなく、無力感に落ち込むこともなく、誰にあたることもなく、最後の最後まで机に向かって文章を推敲しながら、静かに誠実にその人生を全うしていった。あくまで想像するしかないわけだが、彼はその最後の日々に、彼の器量と、彼の心のサイズがぴたりと重ね合わせることができたように僕には思える。それはまさにひとつの奇蹟と呼ぶべきものであったのかもしれない。

 ウィリアム・キトリッジは本書に収められたエッセイの中でこう書いている。
 「レイの最良の作品は、自分がいかに狼狽しているときでも、なんとか他人に温かくまっとうでありつづけようとする試みの必要性を示唆している」

 彼は、言い換えるなら、優れた小説を書くように自らの人生を終えたのだ。レイという人が、そして彼の作品が、我々を長い歳月にわたって牽きつけつづけている秘密は、おそらくそういうところにあるのだろうと思う。


この本も良さそうでおます。



この本も村上春樹アンソロジーR3に収めるものとします。

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