『歴史と出会う』6

<『歴史と出会う』6>
図書館で『歴史と出会う』という新書を、手にしたのです。
この本は網野さんの対談と、網野さんの書評が並ぶ構成となっています。
その対談者が宮崎駿、北方謙三とか、錚々たる顔ぶれである。


【歴史と出会う】




網野善彦著、洋泉社、2000年刊

<「BOOK」データベース>より
戦後日本の歴史学が生んだ泰斗、網野善彦の仕事は、左翼運動の挫折を乗り越えるための厖大な読書量と、さまざまな人々との出会いから生まれた。その成果は歴史研究の枠をはるかに凌駕してベストセラーを生み出し、さらにその影響力は文学や映像の世界にまで拡がっている。読者と同じ目線で歴史を学び、研究することの愉しさを教えてくれる一冊。
<読む前の大使寸評>
この本は網野さんの対談と、網野さんの書評が並ぶ構成となっています。
その対談者が宮崎駿、北方謙三とか、錚々たる顔ぶれである。

rakuten歴史と出会う



宮本常一『日本文化の形成』解説を、見てみましょう。
p48~50
<なしえなかったことを引き継ぐ>
■宮本氏からの最後の電話
 私は宮本常一氏から直接、教えを受けたことがほとんどない。最初にお目にかかったのは、1950年から私の勤務することになった日本常民文化研究所の月島分室であったことは間違いなく、ときどきこの分室に姿を見せた宮本氏の日に焼けた明るい笑顔は、私の目に焼きついている。しかしそのときの同僚速水融氏や江田豊氏が宮本氏の能登調査に同行し、強烈な影響を受けたような幸福な機会には、私はついに恵まれなかった。

 1955年にこの月島分室が活動を停止してからは、お目にかかることも全くなかったが、そのころ、漁業、海民についてほそぼそと勉強していた私は、松浦党にふれた宮本氏の調査報告「五島列島の産業と社会の歴史的展開」(1952年)を読み、ようやく『海に生きる人びと』に辿りついて宮本氏の学問に強く惹きこまれ、その著作を乱読するようになっていった。

 そしてそれを媒介してくれたのも、やはり月島分室の同僚河岡武春氏であった。1960年ころ、私の住んでいた芦花公園の団地にしばしば訪れ、夜を徹して宮本氏とその仕事について熱っぽく語ってやまなかった河岡氏によって、私は徐々に、民俗学の世界に目をひらかれていったのである。

 そして名古屋に移ってから、やはり河岡氏の誘いで日本塩業研究会に出席するようになり、その総会が高松で開かれたとき、私は初めて宮本氏と同席し、短時間ではあれ、学問上の教えを受けることができたが、そのような機会は、ついに二度とめぐってはこなかった。

 しかしただ一回、宮本氏が直接私に電話を下さったことがある。私が名古屋大学を辞め、かつて月島分室の時代に借用したまま、四半世紀を経過し、多くの方々に多大な御迷惑をおかけした古文書の返却を主要な仕事とすべく、日本常民文化研究所を招致した神奈川大学の短期大学部に転職することの決まった1980年のことで、私の転職を喜ばれ、「これで地獄からはい上がれる」といわれた宮本氏の声は、いまも耳について離れない。

 自らの借用された文書が返却されぬまま放置されていることに、宮本氏がどれほど心を痛めておられたかを痛切に感じ、私はそれを強く心に刻みこんだ。現在まで約15年、どうやらその仕事を達成することのできたのは、一つには宮本氏のこうした思いに支えられてのことであったが、この電話が私の聞いた宮本氏の最後の声であった。


ウン 宮本常一『日本文化の形成』がいいではないか♪
・・・・ということで、さっそく図書館に借出し予約したのです。

『歴史と出会う』1:エボシ御前は20世紀の理想p145~146、百姓も刀を差していたp147~148
『歴史と出会う』2
『歴史と出会う』3
『歴史と出会う』4
『歴史と出会う』5


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック