『苦節十年記/旅籠の思い出』2

<『苦節十年記/旅籠の思い出』2>
図書館で『苦節十年記/旅籠の思い出』という文庫本を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくると、旅籠の写真やら、各地の鄙びた温泉のイラストやら、苦労ばなしのエッセイやら・・・サービス満点のつくりになっています。



【苦節十年記/旅籠の思い出】


つげ義春著、筑摩書房、2009年刊

<「BOOK」データベース>より
つげ義春が、エッセイとイラストで描く、もう一つの世界。旅籠、街道、湯治場の風景や旅先で出会った人。貧乏旅行の顛末を綴った文章、自らの少年時代などを記した自伝的エッセイなどをセレクトした。つげ的世界の極致ともいうべき「夢日記」は、絵と文章のコラボレーション。さらにカラーイラストも付いた、ファン必携の1冊。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくると、旅籠の写真やら、各地の鄙びた温泉のイラストやら、苦労ばなしのエッセイやら・・・サービス満点のつくりになっています。

amazon苦節十年記/旅籠の思い出



東北の温泉めぐりについて、見てみましょう。
p34~39
<颯爽旅日記>
 ぼくはいつか文章を書く技術が上達したら、旅行記のようなものを書いてみたいとひそかに考えている。それでぼくの旅のメモのつけかたは、そのことをいくらか頭の隅におきながら書いているので、メモというにはふさわしくないようなダラダラしたものになっている。どこそこでコーヒーを飲んだというような余計なことまでつけてあるのは、あとで思い出すときの手がかりとするためで、日記も兼ねてある。

■東北の温泉めぐり
 この旅行は初めての一人旅ということで、かなり緊張し昂奮していたのを覚えている。メモからは読みとれないが、張りつめた気持ちでの旅の印象は強く心に焼きつくもののようで、この旅のあと「二岐渓谷」「オンドル小屋」「もっきり屋の少女」の三本のマンガを描くことができた。

「二岐渓谷」と「オンドル小屋」は、旅に出る前におおまかな構想があったが、話をもっともらしくするため、実在する場所をつかいたいと思っていたので、この旅はさいわいした。「もっきり屋の少女」は、発想はこの旅に関係ないが、このメモ帳に何気なくつけておいた会津の方言が役立った。

 蒸(ふけ)ノ湯
 到着の日ミゾレが降っていた。山のふもとでみられた紅葉も、ここまでくると落葉している。八幡平頂上は登山観光客で賑わっているようだが、蒸ノ湯は、地の果て旅路の果てといった観がある。オンドル小屋でムシロを敷いて毛布にくるまっている細々とした老人をみると、人生のどんづまりを見る思いだ。

 売店でムシロと毛布を1枚20円で4枚ばかり借りて寝る。地面から吹き上がる蒸気でムシロはびしょり濡れる。

 大勢の観光客が棟内を覗きに来て、豚の鳴き声を真似て「ひでえな豚だ豚だ」とあざ笑い、大声で歌を唄って行ってしまった。

 同じ棟の片隅に、食堂で働く女の子の寝起きする場所がある。ロープを張り、そこに毛布や着物を掛け周囲の視線を遮っているが、すき間から見ると裸で床の中に入った。誰でもそうするのだが、下着が汗で濡れると風邪をひくからだ。

 彼女は地方から働きに来ているのかしら。小さな鏡台が置いてある。
 風呂は90度くらいある。白く濁って硫黄の臭いがする。体を少しこすっただけでアカがこぼれるのは、そういう泉質なのか。誰もいない疝気の湯に一人で入っていると、陰毛が白毛のように白くなりあわてる。もう一度湯につかり、ゴシゴシこすったら元に戻った。湯アカが白い粉のようにこびりついたのかもしれない。

 10月27日
 後生掛温泉を見物。再び盛岡に戻り、生保内線(現田沢湖線)に乗換え、夏瀬温泉へ行くつもりが、急に気分が悪くなり角館駅前の宿に泊まる。黒湯に泊まりたかったが残念だ。

 10月29日
 子安峡はさすがに凄い。オノで割ったような谷は深く、雨が降ったせいか激流は逆巻き、すさまじい轟音だ。不動大滝も写真で見るより迫力がある。落差30メートルはあっるだろう。大墳湯近くの川はそのまま露天風呂になるほどの高温だ。ふだんは流れもおだやかで、川で入浴できるらしいが、あいにくだった。

 泥湯温泉へ歩いて行く計画が、台風が近づいていて駄目になった。
 バスの乗場に行くと、運転手が行方不明で車掌が青くなっていた。しばらくすると、すぐそばの共同浴場から真赤にゆで上がって出て来た。バックミラーを見ながらポマードを塗ったりして、のんびりした奴だ。

 特急に乗り食堂車へ行く。初めてなので気おくれする。へたな物を注文して食べ方を知らないと恥をかくのでコーヒーとサンドイッチにするが、劣等感のためノドを通らず食べ残す。
 また気分が悪くなる。緊張しすぎているせいか。吐き気もするので米沢に下車。駅前のはたごに泊まる。ものすごく汚い宿のくせに千四百円は高い。

 10月30日
 会津若松から滝ノ原線(現会津線)の湯野上温泉へ行く。期待はずれ。駅の近くの塔泉閣に泊まる。チップを出したらテレビを持ってきてくれた。
 秋田地方は紅葉を過ぎたのに、このあたりは真最中だ。台風一過で天気も良い。しかし一人旅の宿代はやたらと高くつく。千七百円はごつい。食べ物は専門の旅館だけあってうまい。鯉のアライは別格だ。エビの丸あげのうめえこと。


蒸ノ湯について更に、見てみましょう。
p70~71
 八幡平の蒸ノ湯は、ぼくは三年ほど前にも一度来ており、そのときの印象では、付近のやけただれた地肌や泥火山、大墳湯などの火山現象を眺め、荒涼とした地獄の様相を見る思いだった。地の果て、旅路の果てとはこういう所のことをいうのだろうと思った。そういう印象をえたのは、紅葉も散った霜柱の立つ秋の終りだったせいか、ぼくの気分のせいだったのかもしれないが、人によって印象もまた別のようで、蒸ノ湯の高見に立った三人連れの若いハイカーは、山窩か平家の落人集落のような蒸ノ湯を見おろして、「ジャーン」「隠し砦だ!」と叫んでいた。

 蒸ノ湯には、オンドル式という一風変わった湯治法があり、粗末な杉皮ぶきの馬小屋のような浴舎が数棟並び、そこで行なわれている。小屋の中は薄暗く、床も畳もない土間だけで、そこにムシロを敷いて横になると、地面の熱と葺き上がる蒸気に蒸されるという具合である。そこがそのまま宿泊所でもあるわけで、間仕切りがないので互いにすぐ親しくなるそうだ。

 そしてここにはいたる所に週刊誌が散らばっていた。おそらく退屈をまぎらわすためのものと思うが、老人はどんな種類の週刊誌を読むのか見てみると、意外にもマンガが多かった。ぼくはこれまで老人はマンガを読まないものと思いこんでいたので、納得がいかないというより、マンガの読者層の広さに改めて感心してしまった。
 
 4、5歳の男の子の病気を治しに来ているという若い母親は、偶然、ぼくのマンガを再掲載している週刊誌を開いて、「もっきり屋の少女」を読んでいた。その本にはもう一本「李さん一家」というのも掲載されていてその二作とも、作中の主人公は作者の分身のような形になっているのだが、なにかのはずみで、ぼくが作者であることが知れると、その母親はマジマジとぼくの顔をみつめて、・・・マンガの人物と少しも似ていないではないか・・・あんたは本当にこんなボロ家に住んでいるのか・・・それにしても、なぜこんな湯治場に来ているのか・・・というようなことをいって腑に落ちない様子だった。そして、「あんたのマンガはエロッポイね」という感想をいわれた。


この本もつげ義春ワールドR7に収めておきます。

『苦節十年記/旅籠の思い出』1

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