『歴史と出会う』5

<『歴史と出会う』5>
図書館で『歴史と出会う』という新書を、手にしたのです。
この本は各界の著名人との対談、網野さんの書評がメインの構成となっています。
その対談者が宮崎駿、北方謙三とか、錚々たる顔ぶれである。

ところで、帰って調べてみたら、この本を借りたのは2度目であることが分かったので(その5)としました。
4年前に借りていたが・・・覚えているわけないじゃん。


【歴史と出会う】




網野善彦著、洋泉社、2000年刊

<「BOOK」データベース>より
戦後日本の歴史学が生んだ泰斗、網野善彦の仕事は、左翼運動の挫折を乗り越えるための厖大な読書量と、さまざまな人々との出会いから生まれた。その成果は歴史研究の枠をはるかに凌駕してベストセラーを生み出し、さらにその影響力は文学や映像の世界にまで拡がっている。読者と同じ目線で歴史を学び、研究することの愉しさを教えてくれる一冊。
<読む前の大使寸評>
この本は各界の著名人との対談、網野さんの書評がメインの構成となっています。
その対談者が宮崎駿、北方謙三とか、錚々たる顔ぶれである。

rakuten歴史と出会う



宮崎駿さんとの対談を、見てみましょう。
p143~146
<「もののけ姫」と中世の魅力>
網野:先日、宮崎さんの『もののけ姫』を試写会で拝見したんですが、実は僕が映画館で映画を見たのは十何年ぶりの「快挙」だったんですよ(笑)。
 この映画の時代背景は中世から近世へ移行する転換期の15世紀、室町時代だそうですが、いわゆる時代劇の常連の武士や農民はほとんど出てこないのが目につきますね。彼らは物語の遠景に過ぎない。それに代わって「タタラ者」と呼ばれる製鉄民が出てきたり、照葉樹林の森に生きる山犬神や猪神といった自然そのものの神々たちが登場してしているわけですが。

宮崎:時代劇といえば、いつも侍と農民あるいは町人だけで、それが歴史をつまらなくしているというか、自分たちの国を面白くなくしているんじゃないかという思いがありまして。

 山を漂泊して鉄をつくった人々に興味があったんですが、不勉強なうえに、手に届く範囲に適当な本がなかったりして、妄想ばかり育ってしまって、映画に出したような巨大なタタラ場は江戸期でもなかったのはわかっているんですが、エエイやっちまえって・・・・(笑)。

 スタッフの中には「これは日本じゃない」とかいうヤツがいたりしたんですけどね(笑)。

網野:それはご謙遜ですね。ずいぶんいろいろお考えになって、勉強もしていらっしゃるようで、感心しましたよ。

宮崎:いや、プロデューサーなんかには「ほとんど勘でやっている」っていわれてますよ(笑)。
 ただ、中尾佐助さんの「照葉樹林文化複合」という見方に出会って以来、その衝撃が僕の中で尾を引いてきまして。昔、日本の本州の西半分は、照葉樹の森に覆われていたわけですが、一体、その森がいつどういうかたちで消えちゃったのか。それがずうっと気になっていたものですから。

 そのへんもまったく当てずっぽうに、たぶん室町期までに消えたんだろうとか、その過程で人間社会のことが中心になったから鎌倉仏教が生れたんだろうとか、妄想に妄想を重ねて、舞台を「室町期」ということに据えたわけなんです。

網野:この映画はお話としてもたいへんに面白いんですが、深山の麓でタタラ集団を率いている女性「エボシ御前」は、女性たちをはじめ、私から見ると「非人」と思われる人たちや牛飼など社会からはみ出した者たちに仕事をさせて、尊敬を集めています。遊女、白拍子に見えますが、どういうお考えであのような女性を登場させたのですか。

宮崎:悪路王をしずめた立烏帽子という絶世の美女の伝説があるんですが、実は私の山小屋のある村が烏帽子といいまして(笑)。案外、出発点はそのあたりだったりするんです。応仁の乱で明国渡来の火槍という原始的な銃が使われたらしいとか、海外に売られて、中国人の倭寇の大親分の妻になって、腕を磨いて、あげく男を殺して財産を奪って、戻って来た女とか(笑)。僕らの考えはだいたい、その程度でして。

網野:山の神は「おこぜ」ともいわれて醜女なんですが、製鉄の神の金屋子神は白鷺に乗ってくる女神なんですね。そこからイメージをつくられたわけではないんですか。

宮崎:むしろ、初めは男にしようという考えもあったんです。でも、スタッフに聞いて回ったら「やっぱりきれいな女性がいい」という話になって(笑)。エボシが白拍子の格好をしているのも同じことで、きれいなほうがいいやと(笑)。

 エボシという女性は20世紀の理想の人物なんじゃないかと思ってるんです。目的と手段を使い分けて、非常にヤバイこともするけれども、どこかで理想は失っていない。挫折に強くて、何度も立ち直ってというね、そういうふうに勝手に僕は想像したんです。

網野:それから男の主人公はヤマト「日本国」の侵略に抵抗する戦いに敗れ、北の地の果てに隠れ住むエミシ一族の長になるべき少年アシタカになっていますが、主人公がそうした「蝦夷」になっており、つまり、ヤマト、「日本国」を相対化されていますね。これはわが意を得たという感じがしましたよ。

宮崎:蝦夷の風俗などは僕の道楽でやらせてもらったんですよ。隼人が楯を使っているから、古い蝦夷が手楯を使ったんじゃないかとか。とにかく、よくわからないところは僕の勝手な空想で埋めただけで。

網野:いや、変に事実に即されるよりも、わからないところはどんどん空想で超えていただいたほうがいい。事実にへばりついてるわれわれとしても気分がいいですよ(笑)。

ウン 網野善彦の史観は独特というか、とにかく、主流ともいえる農耕史観から外れているわけです。

『歴史と出会う』1:エボシ御前は20世紀の理想p145~146、百姓も刀を差していたp147~148
『歴史と出会う』2
『歴史と出会う』3
『歴史と出会う』4

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