『野生のティッピ』2

<『野生のティッピ』2>
図書館で『野生のティッピ』という本を、手にしたのです。
冒頭にティッピの写真が数枚載っているが、どれにもティッピの魅力的な能力が写っています。
・・・これは期待できそうである。



【野生のティッピ】


シルヴィ・デグレ・ロベ-ル, アラン・デグレ著、小学館、1997年刊

<「BOOK」データベース>より
ティッピは、ナミビア生まれの最初のフランス人だ。私たちはこの広大なアフリカの地平線を、ティッピとともに分かちあうのだ。彼女は動物たちとふれあいながら、世界でもっとも美しい風景の中で大きくなっていくだろう。アフリカに移り住んだ家族の、愛と自由に溢れる驚愕のノンフィクション。

<読む前の大使寸評>
冒頭にティッピの写真が数枚載っているが、どれにもティッピの魅力的な能力が写っています。
・・・これは期待できそうである。

rakuten野生のティッピ


アランとシルヴィ(つまりティッピの両親)を、第2章「運命的な出会い」で見てみましょう。
p28~35
<Alain>
 シルヴィと出会ってから、しばらく時間がたったある日、私はショービジネスの仕事に嫌気がさして、ラジオに移った。そしてまたある日、ラジオの仕事に嫌気がさして、映画に関する調査の仕事に移った。

 シルヴィは私の仕事を手伝ってくれていた。昼間は<カルティエ>で仕事をし、夜は、氷をいっぱい詰めた容器をタイプライターの横に置いて、翌朝の4時まで映画の解説文を翻訳していた。眠くなると、顔をその氷で引っかくのだ。

 私が家を出たことを二人の息子は快く思っておらず、以来、彼らには会っていなかった。息子たちにとって私は敵だった。それが私の気持ちを落ちこませていた。髪の毛が束で抜けるようになった。抜けたあとから血が出ていた。傷口を隔すために、帽子をかぶった…。この大仕事が終ったとき、私は心身ともに疲れはてていた。

 シルヴィの懸命の努力にもかかわらず、私の気持ちは沈んだままだった。35歳にして、17もの職業を転々としてきたのだ。ショービジネス、ジャーナリズム、ラジオそして映画、自分の情熱をかきたてるものがいったいなんなのか、もうわからなくなっていた。

 一時熱中したアフリカでの狩猟もする気にならなかった。思い起こしてみれば、アフリカ大陸はいつも私にとって憧れの土地だった。それは、子供のころに見たターザンの絵本にさかのぼる。そのあと、私はブッシュや動物たちのことを学び、プロのハンターになったりもした。でも、それも終り。もう猟銃を撃ちたいとは思わない。
(中略)
 
<Sylvie>
 私たち二人は惨めな状態だった。この状態を脱するには、まずパリを離れることだ。私はドミニク・ペランに、パリからいちばん遠い<カルティエ>の支社に派遣してくれるように頼んだ。ペランは、はじめいぶかるような様子だったが、本気だとわかると少しショックを受けたようだった。私は勇気を出して言ったことが無駄だったと思いこんで、ペランのオフィスを泣きながら飛び出した。

 2週間後、ペランに内線電話で呼び出された。
 「シルヴィ、会議室まで来てくれないか」
 会議室には、私の知らない男の人が5,6人いた。
 「きみに、南アフリカの<カルティエ・シガレット社>の責任者のみなさんを紹介しよう。どうだ、ひとつヨハネスバーグで、彼らと一緒に働いてみないかね」
 とドミニク・ペランは言った。
 私はよく考えもせずに、ペランの提案をすぐに受け入れた。
 「心から歓迎するよ。一緒に素晴らしい仕事をしようじゃないか」と、南アフリカ人の一人が言った。

 帰宅してそのことをアランに告げると、彼の目はすぐに輝きはじめた。
 《すごいぞ、アフリカに行けるなんて!》
 アランは、飛行機のチケットと中古のニコンのカメラを2台買った。
(中略)

<Alain>
 1984年6月、私はアフリカに向けて旅立ったはずなのに、着いたところはまるでアメリカ合衆国だった。飛行機からヨハネスバーグとその郊外を見ると、どうしてもロサンゼルスを思い起こしてしまう。しかも、こちらのほうがプールの数が多い。1軒にひとつのプールという光景なんて、ここ以外、世界のどこにもない。

 住宅街が広がり、高速道路やインターチェンジもある…。
 着陸前に、スチュワードが外気温をアナウンスした。私はしばらく理解できなかった。シルヴィもいぶかしそうに眉をひそめている。私たちが着いたのは、南半球の真冬、しかも標高千七百メートル以上の高地だったのだ。6月初旬でみぞれが降っており、気温は摂氏零度だった。

 もうひとつの驚きは、空港が実に清潔だということだ。私の知っているほかのアフリカ諸国の空港とはまったく違う。南アフリカでは清潔さと秩序が支配していた。警官があちらこちらに立っていて、着ている制服はアメリカのアリゾナ州の警官の制服に似ていた。
 この空港には、もうひとつ、誰の目にも明らかな特異な点があった。それは黒人たちの態度だ。黒人たちは、ふつう陽気で冗談を言いあって笑いころげたりするものだ。しかし、このヤン・スマッツ空港にいる黒人たちは、陰気で、話すときも私たちと目を合わせることはない。いつも前かがみで、言葉の最後に、かならず「ご主人さま」とつけ加える。

 「鞄をお持ちしましょうか、ご主人さま?」
 「タクシーはご入用でしょうか、ご主人さま?」といった具合だ。
 ヨハネスバーグに到着して最初の数分間で、私たちは、アパルトヘイト(人種隔離政策)の容赦のない現実を、否応なく思い知らされることになる。

 <カルティエ>が空港まで迎えのために差し向けてくれたリムジンに乗って、私たちはヨハネスバーグ郊外のサントンに向かった。上流階級の人たちはみなサントンに住んでいる。ヨハネスバーグに住んでいるのは貧乏人と黒人だけなのだ。

 サントンにはビルが立ち並び、ハイウェーがある。狭い田舎道ではなく、高速道路がある。そして、この幹線道路にはロールスロイス、ジャガー、BMW、メルセデスベンツなどが走っている。もちろん運転手付きで。

 小型自動車にすれ違うこともあるが、その持ち主は決まって黒人か混血の人だ。
 私たち二人がやって来たのは、世界で最も裕福で、清潔で、最高級車の走りまわる地域だった。そこにいるかぎり、ヨハネスバーグの中心がどうなっているのかわからなかった。アフリカらしさはどこにも見当らなかった。


『野生のティッピ』1

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