『敵機に照準』3

<『敵機に照準』3>
図書館で『敵機に照準』という本を手にしたのです。
渡部洋二氏といえば・・・
今次大戦の戦闘機、「雷電」とか「二式水戦」などについて、いろいろと渋い著作を出している作家である。
ということで、飛行機オタクのツボが疼いたのです。



【敵機に照準】


渡辺洋二著、潮書房光人新社、2016年刊

<「BOOK」データベース>より
戦闘機や爆撃機を筆頭に、たいていの攻撃用機は射撃、爆撃、雷撃などのための照準器(陸軍は照準具)を備えている。あやまたぬ照準が命中と破壊をもたらし、敵戦力の消耗が戦局の好転につながる。どれほど雄大な戦略、巧妙な戦術を抱いていようとも、個々の戦場での具体的勝利がともなわなくては、画餅でしかない。

<読む前の大使寸評>
渡部洋二氏といえば・・・
今次大戦の戦闘機、「雷電」とか「二式水戦」などについて、いろいろと渋い著作を出している作家である。
ということで、飛行機オタクのツボが疼いたのです。

rakuten敵機に照準

二式飛行艇

「二式飛行艇」を、見てみましょう。
p84~87
■大艇、多難のとき
 内地にいた二式飛行艇のラバウル往復は、実際に行なわれていた。
 ラバウルの航空兵力の総引き上げが実施されてから3ヶ月後の昭和19年5月中旬に、第11航空艦隊司令部に直属のサイパン派遣隊が務めたのが、その一番手だったと思われる。

 十一航艦の本拠地ラバウルに飛行機がなくなっても、その出先機関の同派遣隊は、二式飛行艇を輸送用に直した同型の「晴空」を一機もっていて、残留搭乗員や司令部の参謀ら30~40名を救い出してきた。

 二回目の6月11日は派遣隊指揮官の楠目亮中尉が機長を務め、トラック諸島・夏島を中継ののち、ラバウルに面した夜のシンプソン湾に着水。湾内の小さな松島で、燃料を補給しつつ、ゴム艇に乗ってやってくる搭乗員たちを乗せる。早朝に発進し、無事に任務を完遂した。

■雷撃などナンセンス
 二式飛行艇の原型である十三試大型飛行艇の試作発注がなされた昭和13年は、航空兵力の真の威力がいくぶん理解され出したころだ。しかし、連綿と続いてきた海軍の中心思想たる、大鑑巨砲主義を基幹とする艦隊決戦方針には、大した影響は及ぼさず、航空はあくまで補助戦力の域を出ていなかった。

 したがって、遠く洋上へ進出、敵艦隊を雷撃し、1隻でも減らして味方艦隊の砲撃戦に貢献することが四発飛行艇の重要な任務、と考えられたのはむしろ当然だ。

 長大な航続力と、大艇にしては高い速度と機動性を、用兵側が求めたのはこの運用法のためだが、そこには、空対艦攻撃についての判断力と、戦闘機を積んだ敵空母の存在が、ともに欠落していた。

 飛行性能が世界水準を抜いていても所詮は鈍重な大艇が、敵艦隊の弾幕を突っ切って雷撃を成功させ得るはずはなく、ましてや戦闘機とは勝負にならない。米英のこの機種がそうであったように、偵察と輸送、それに対潜哨戒が適役だったのだ。二式飛行艇は確かに優秀ではあっても、敵の同級機との飛行性能差の分だけ有利だったとは思いにくい。

 二式飛行艇の主生産タイプである一二型の、最大速度455キロ/時は、四発大艇としては傑出している。けれども軍令部、航空本部の用法上の思惑は、さらに高速な二二型を生んだ。
(中略)

 米軍の航空優勢に拍車がかかった昭和18年以降、いかに優秀な搭乗員をもってしても二式飛行艇の敵艦隊雷撃など夢のまた夢、昼間の要地爆撃も不可能で、攻撃用兵器としては使えなくなった。制空権がなくては偵察、輸送、対潜哨戒も、敵戦闘機が出てこない薄暮から黎明のあいだに実施せざるを得ない。

 こうした状況に、受け身の戦いが苦手な海軍の、使い勝手のよくない大艇に対する期待と関心が薄らいだのは当然で、川西航空機の受注数も急速にしぼんだ。ほんとうは不利な事態のもとでこそ、ラバウルへの空輸をはじめ、敵の意表をつく隠密行動力を発揮する機会があるのだが。


『敵機に照準』1:「二式水戦」「強風」
『敵機に照準』1:「雷電」

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック