『「地球のからくり」に挑む』3

<『「地球のからくり」に挑む』3>
図書館で『「地球のからくり」に挑む』という新書を、手にしたのです。
地球科学者が語る科学と文明史ってか、ちょっと地味めであるが・・・興味深いのでおます♪



【「地球のからくり」に挑む】
地球

大河内直彦著、新潮社、2012年刊

<「BOOK」データベース>より
地球は謎の塊である。その塊からエネルギーを次々に獲得し、万物の長となった人間は、今やエネルギー中毒に罹っている。なぜこんなことになったのか?そもそも地球の定員は何人か?宇宙から飛来した石油の源、毒ガス開発学者が生み出した新肥料、未来の新エネルギー…第一線の地球科学者が工学、文化人類学、文学などの広範な最新知見を縦横に駆使し、壮大な物語を綴る。科学と文明史が見事に融合した快作。

<読む前の大使寸評>
地球科学者が語る科学と文明史ってか、ちょっと地味めであるが・・・興味深いのでおます♪

rakuten「地球のからくり」に挑む


イギリスにおける蒸気機関と森林破壊・再生の関係について、見てみましょう。
p89~92
<漱石が見た「産業革命」その後>
 イギリスでは、18世紀にはじまった産業革命以降、産業を長らく支えたのは石炭である。ジェームズ・ワットがエネルギー効率に優れた蒸気機関を発明したのは1765年のことだが、その頃にはヨーロッパ各地では再び、薪を得るために森林破壊がかなり進んでいた。石炭の燃焼は、大気汚染や大気中の炭酸ガスの増加などマイナスの側面が強調されがちだが、歴史的に見ると森林破壊を食い止めるのに役立ったというプラスの側面があったことも忘れてはならない。

 しかしやがて、13世紀と同じことが起きる。特にロンドンの大気汚染はひどかった。コークスは高値で、一般には掘り出されたままの石炭が用いられることが多かったのである。
 夏目漱石がロンドンに滞在したのは、ちょうど世紀の変わり目の明治33~35年(1900~1902年)のことだ。ロンドンに到着して数週間後の日記には、次のように記されている。
倫敦(ロンドン)ノ街ヲ散歩シテ試ミニ痰ヲ吐キテ見ヨ。真黒ナル塊リノ出ルニ驚クベシ。何百万ノ市民ハ此煤煙ト此塵埃ヲ吸収シテ毎日彼等ノ肺臓ヲ染メツツアルナリ。我ナガラ鼻ヲカミ痰スルトキハ気ノヒケル程気味悪キナリ。

 ちなみに「スモッグ(smog)とは、ちょうど漱石が留学していた頃、イギリス人によって「smoke」と「fog」を掛け合わせて作られた造語である。石炭から石油へとエネルギー源が転換する20世紀半ばまで、スモッグは日々ロンドンの空を覆い、人々の健康を害し続けるのである。
 たかがスモッグと思うなかれ。1952年冬のロンドンでは、1万人を超える人々が犠牲になる大惨事となった。(中略)

 一方、日本では明治に入り、巨大な蒸気船が建造され、鉄道が敷かれて蒸気機関車が走り始めるようになる。それに合わせて、燃料である石炭の商品価値は一気に高まる。さらに、政府主導の富国強兵策が施されて石炭の軍事需要が急増し、石炭鉱業は国営で進められた。

 しかし国の慢性的な財政赤字の解消や時代の流れも相まって、明治中頃になると官業は順次民間に払い下げられていく。その代表例が富岡製糸場であり、三池炭田である。当時黒字経営だった三池炭田とはいえ、時代の流れもあって明治22年に民間に払い下げられることになる。

 三井炭田を買い取ったのが三井財閥の一角、三井物産である。落札価格は455万5千円で、当時としては破格の高値だった。ちなみに、ほぼ同じ時期に三菱に払い下げられた長崎造船所の価格は9万円である。

 三井財閥は、その後三井炭田をテコに大きく成長を遂げ、現在に至っている。国内で使用される石炭のほぼ100パーセントを輸入に頼っている今となっては信じがたいことだが、明治初期に採れた石炭は海外にも輸出され、わが国にとって外貨の稼ぎ頭だった。国営で開発された三池炭も海外に輸出されており、それを一手に引き受けて儲けていたのが三井物産だった。

おお ニッポンも石炭を輸出している時代があったんやなあ。その後に閉山の嵐がふいたけど。

ちなみに、イギリスにおける蒸気機関と森林破壊・再生の関係については、『鉄の文化誌』4あたりに載っています。

『「地球のからくり」に挑む』2:ハーバー・ボッシュ法の光と影
『「地球のからくり」に挑む』1:「ハーバー・ボッシュ法」の登場

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