『もっとも危険な読書』3

<『もっとも危険な読書』3>
図書館で『もっとも危険な読書』という本を、手にしたのです。
図書館大好きの大使としては、書評集もツボになるわけで・・・
高橋源一郎著のこの本など、そのツボに的中しているわけでおます。


【もっとも危険な読書】
危険

高橋源一郎著、朝日新聞出版、2001年刊

<「BOOK」データベース>より
スリル、緊張、集中、恐怖に近い感情の揺れ。やがて世界が一変する。静かで単調な表面の奥に、そんななにかを隠した本を読んでみたい。-読書の快楽を通して人と時代の機微をとらえた129篇のエッセ・クリティーク。

<読む前の大使寸評>
図書館大好きの大使としては、書評集もツボになるわけで・・・
高橋源一郎著のこの本など、そのツボに的中しているわけでおます。

rakutenもっとも危険な読書


老人力あたりを、見てみましょう。
p110~112
<老人力元年か、晩年学元年か> 
 暮れに風邪をひいた。なのに、寒い中わざわざ初詣でに行き、風邪をこじらせてしまった。なかなか治らない。熱は引かないし、咳も止まらない。鼻水は出っぱなしだ。んなもんだから、ほんとの寝正月。なにかを積極的にやろうという気分にならんので、テレビをだらだら見ている。『古畑任三郎vsSMAP』まで見た。稲垣吾郎の「ぼくだってSMAPの一人だ」というセリフにジーンときた。

 そうだ、きみだってSMAPの一員なんだ、イジメられても辞めるんじゃないぞ。おれにしても『ソムリエ』の演技はクサすぎて、ついていけんかったが…。

 テレビばかり見ていて、これ以上バカになると社会生活ができなくなるので、本の買いだしに出かけた。
「若くて元気がなんぼのもんや」という帯のコピーに惹かれて『無為の境地!』(森毅著、青土社)を、 「はてさて、人生いかに終るべきか」という帯のコピーに惹かれて『ただいま故障中 わたしの晩年学』(上野瞭著、晶文社)を買った。どうも最近、興味が老年・晩年に向かって突き進んでいる感じがする。

 それを敏感に察知したのが赤瀬川原平さんの「老人力」なんだろう。「老い」を生命力の減少と捉えるとマイナスのイメージに変えようと「人生の知恵」が加わった状態だと思うことにした。それに対して、赤瀬川さんは「マイナスこそが素晴らしい」と宣言したわけだ。逆転の発想である。

 すると他の人まで「老人力は素晴らしい」といいだす。NHKが「ゆく年くる年」のすぐ後、インタビューに引っ張りだして「いま人々の間で『老人力』がたいへんな話題となっている」とナレーションを流す。わかっているのだろうか。「老人力」の中身は具体的な「力」ではなく、ボケたり忘れたりすることを積極的に評価しようという価値転換なのである。じゃあ、「老人力」は身につくのをじっと待つしかないのか。そんなことはない。そのへんのところを、「老人力の先達」森毅さんが書いていらっしゃる。

 「この齢にしては世間でうろうろしているが、そんなこと自慢にもならない。何もしないのが一番。…。これは若いときからだ。学校の帰りなど、駅のベンチで何もせず、空いた電車の来るのを待つ。ぼくの経験では、1時間ぐらい待つと、たいてい座れる。ただ、そうしたときにかぎって、お年寄りが乗ってくるのが難だったけれど。…。昔はもっと、町で何もしていない人を見かけたものだ。床机に腰をおろして、道を行く人を漫然と眺めているおじいさん。そのうち石になって苔が生えるのではないか。その存在によって、町の風景がびしっと決まる。何かをするなんて、たかが機能性であって、機能よりは存在」

 おみごと。ここまで悟れば、実際に老年になってもこわくもなんともないかもしれない。けれども、ぼくはとても悟れそうにないので上野瞭晩年さんの「晩年学」の概念の方に惹かれる。

 「人はね、老人になって初めて晩年に遭遇するのと違うのですよ。いつだって晩年と背中合わせに生きている。晩年学というのはね、『老人学』じゃなくって、年齢・性別を超えて人の『生き死に』を考える研究会であって・・・」

 「老い」はいくつからでも、そして「軽く」も「重く」も考えることができるのである。


『もっとも危険な読書』1:料理の哲人・島田雅彦
『もっとも危険な読書』2:関川夏生の「かたち」

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