『天下大乱を生きる』3

<『天下大乱を生きる』3>
図書館で司馬遼太郎×小田実著『天下大乱を生きる』という本を手にしたのです。
おお 偉大な思想家とも言えるお二人の対談とは・・・すごい対談が企画されたもんやでぇ♪
初版が1977年とかなり古いのだが、当時の歴史認識には興味を惹かれるのです。


【天下大乱を生きる】
天下

司馬遼太郎×小田実著、風媒社、1996年刊

<「MARC」データベース>より
渾沌とする時代状況をまっすぐにつき進んだ二人の「自由人」。国家とは何か。日本人とは何か。アジアを駆け、世界を股にかける唯一無二の対談集。1977年潮出版社刊行の再刊。

<読む前の大使寸評>
なんか見覚えのある表紙の装丁であるが・・・
まっ 再読になってもいいか、と思って借りたのです。

帰って調べると、およそ1年前に借りていて、再読となることが判明しました。で、(その3)とします。

amazon天下大乱を生きる


資本主義の問題あたりを、見てみましょう。
p26~32
<開発途上国の三つの型>
小田:たいへん明らかなのはインドネシアの場合、スカルノはものすごい関税障壁設けて輸入制限をして、自国産業を育成しようと考えたわけですね。そのかわりちょっとあける。そのちょっとあけたときに汚職が猛烈に発生する。岸信介がそこへ組んだわけだ。猛烈な汚職してますね、スカルノは…。それが一つの倒された理由ですけど…。

 だけど根本的にはあけない。あけないで自国産業を育成する。そのときに、インドの場合だったらまだしも、タタ財閥とかなんか基準があり、ある程度の教育水準、工業水準があったからできたんですね。インドネシアはなかったんですよ。なかったとこで締めたから何にもない…。何にもないところに締めてちょっとあけただけで、スカルノだけがメチャクチャにもうかった。それに怒ってスハルトが出てきて、若いヤツが一緒になってひっくり返した。外資ともに100パーセント、オーケーだもん。なんの制限もないにわあっと入ってきたでしょう。その結果どうなうかというと、たとえばあらゆる車、りっぱな車が入ってくる。入ってくるかわりに、完全に自国産業はゼロになりますね。

 太刀打ちできないもん。これも結局、新植民地主義というか、新帝国主義の中に全部沈むでしょう。いまそれがインドネシアの場合で、二つ目のタイプですよね。
 三つ目のタイプとして中国ですね。ぼくはその点は中国を評価するね。やっぱり社会支配制度を整備しないとだめよ。あるいは北ベトナムもそうですよ。そうでないかぎり、全部インド・パターンになるか、インドネシア・パターンになる。

<資本主義と消費文明の流入>
司馬:うん、インドネシア・パターンがいちばん教訓的やね。
 たとえば、日本の場合、嘉永6年に来た資本主義というのは、いまのような消費文明を伴っていないから、たとえばテレビ見んでもよかったわけです。要するに蒸気船ぐらいのものが資本主義のシンボルだったわけですから、われわれがあの魅力的な消費文明というヤツによろけなくてもすんだわけで、やっぱり米の飯食って、大小差して、わらじはいて歩いていたら、それでしまいだった。

 ところが、いまのたとえば朝鮮半島に来た資本主義も、南ベトナムに来たのも、ものすごい消費文明を含んでいるでしょう。だから、テレビを見たいと思ったら(見たいだろうと思うけれども)銅線が要るでしょう。送電線が要るえしょう。銅山がなければ銅買わんといかん。発電所つくらんならん。そんなものを米だけ作っててつくれるはずがない。それをいっぺんやったら、それこそスハルトじゃないけども、全部向こうさまの商品になるかなんかでしょう。

 だから、それを消費文明だけ切り離して、資本主義なら資本主義を育てようと思ったら、やっぱり関税の障壁を高くするか何かしなきゃしようがない。ところが資本主義の本能というのは、大変なもので、たとえばスカルノが針の穴突いたような抜け道をつくらざるを得ないところがあって、その針に物を売ることしか考えない資本主義が入り込んで、政権ぐるみの汚職をつくってしまう。

 サイゴンにいるとしみじみ思うのは、やっぱり開発途上国というのは、毛沢東システムか、ハノイのシステムでなかったらしようがない。関税の壁どころか政治の壁もじゅうぶんに張って、変な消費文明を入れない。それで育成できなかったら、これはしようがないけれども、管理をしっかりして50年、百年の時間をかければなんとかなっていくと思うな。それさえやれば…。それ以外手がないと思うな。そうでないと、どの政権も汚職の団子になる…。

小田:そうですね。ぼくが見てて、いまいちばん興味があるのはタイですね。

 タイはいまいったインドネシア型で進行しているでしょう。それが日本経済に全部やられちゃったわけですね。それではならじというので、学生たちが軍事政権を押し倒して、一種のミニ革命をしてサンヤ政権ができた。だけど、その後どうしていいかわからないんですね。これはものすごい重大な問題だと思います。世界の中でそういう問題がたくさんあると思うんです。ギリシャもそういう意味では似てますよ。ギリシャはヨーロッパにおける後進国ですからね。

 そこでまあ二つのことを、ぼくがつき合った連中は考えるわけです。それはどういう連中かというと、まあ簡単にいえば改革しようとする人たちですね。
 一つは社会制度をかえなきゃいけない。もう一つは、消費文明に対して意識改革をせんとしようがない。
(中略)

 そういうふうな考え方が、アジアの中にちょっと出てきた。タイがそうですね。それはやっぱり革命したからですよ。革命した国としない国の違いがあるんですね。それからフィリピンの山の中に立てこもってマルコスと戦っているのは、中間あたりですよ。マルコスはだめですよ。マルコスはトラクター入れてこいというほうですからね。

司馬:そうそう、フィリピンは徹底的な財閥支配…。

小田:そうすると、向こうの農民が日本へ来ることによって、初めて日本の農民との間に交流できるでしょう。交流ができれば、ちょっと違う形ができる。いままでの連帯は(連帯ということばを使えば)資本主義国も社会主義国もおんなじことやった。つまり、演説ばかりしていた。資本主義国は金持を集めて、社会主義国は運動家を集めて、美辞麗句で演説しているだけで、結局どっちにしても権力者のつき合いだけですよ。そうでない、対等のつき合いが初めてできるだろうという感じがするな。

 権力者同士やったら、強いほうが勝つに決まってる。社会主義国がそうですね。権力者でない人間がやれば、おんなじ農民だもん、そこに違うものができてくると思うんですよ。


『天下大乱を生きる』1:精神構造において官僚的な日本人p170~174
『天下大乱を生きる』2:ファシズム論p116~120

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