『東インド会社とアジアの海賊』2

<『東インド会社とアジアの海賊』2>
図書館で『東インド会社とアジアの海賊』という本を、手にしたのです。
ぱらぱらとめくると、アジアの海賊、国姓爺、アヘン戦争とか興味深い史実が見られます。要するに、清朝末期の列強の大陸侵食が興味深いのでおます。



【東インド会社とアジアの海賊】
東インド

東洋文庫編、勉誠出版、2015年刊

<「BOOK」データベース>より
誰が海賊だったのか?海賊の多様性を歴史から読み解く。17世紀初頭にヨーロッパで誕生した東インド会社とその海上覇権の確立にあたって大きな障壁となった現地の海賊たち。両者は善と悪という単純な図式では表せない関係にあった。東インド会社もまた海賊であったー。東インド会社と海賊の攻防と、活動の実態を明らかにする。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱらとめくると、アジアの海賊、国姓爺、アヘン戦争とか興味深い史実が見られます。要するに、清朝末期の列強の大陸侵食が興味深いのでおます。


rakuten東インド会社とアジアの海賊


悪名高い後期倭寇のあたりを、見てみましょう。
p138~142
<徽州海商と後期倭寇>
■初めに
 2005年1月31日、中国安徽省黄山市のある村で、南京市の大学教員が、王直という人物の墓碑を破壊するという事件が起きた。王直とはこの村の出身で、16世紀中期に、五島列島や平戸を拠点に、日本と明朝を結ぶ密貿易を取りしきった、いわゆる「倭寇」の大頭目であった。

 その4年前に、五島市の福江商工会議所の一行が黄山市を訪問し、王直一族の墓が荒れ果てているのを見て、日中貿易の先駆者であった彼に感謝しようと、寄付を募って墓碑を修復したのである。このニュースを知ったくだんの大学教員は、「王直とは、日本人とグルになって中国沿岸を遊撃した、民族の裏切り者だ」として、友人とともにこの墓碑を破壊したのだという。

 この事件をめぐって、五島市の福江商工会議所では、「王直は海賊だという評価もあるが、五島が港を中心に栄えたには貿易を起こした彼のおかげ」として、感謝の気持ちで墓碑を修復したのだと述べている。一方、中国国内では、民族の裏切り者を顕彰することは許されないとして、大学教員の行為に賛同する声もあった。これに対し、明代社会経済史の大家である、復旦大学のハン樹志教授は、「無知で偏狭な民族主義の表れだ」として、墓碑破壊を非難し、「王直の海上貿易は明代の資本主義の芽を育てた。彼を全否定すべきではない」と主張している(以上、朝日新聞・2005・2・25)。果して王直は、日明貿易を推進し、経済発展に貢献した海商なのだろうか。それとも倭寇と結託して中国を荒しまわった海賊なのだろうか。

舟山

■徽州海商と双ショ密貿易
 教科書でもおなじみのように、倭寇というのは「前期倭寇」と「後期倭寇」にわけられる。まず前期倭寇は、14世紀なかごろから、おもに朝鮮半島や華北沿岸を襲撃した。ただし15世紀前半になると、明朝や朝鮮王朝が海防を強化し、室町幕府も倭寇の禁圧につとめたので、前期倭寇は次第に沈静化していった。

 一方で明朝は、14世紀末に「海禁」政策を施行して、民間の海外貿易を禁じ、対外貿易を明朝と周辺諸国との「朝貢貿易」に限定してしまった。朝貢貿易とは、周辺諸国が明朝に臣従して、朝貢使節を派遣する際におこなわれる国家貿易である。日本でも15世紀はじめに、足利将軍が明朝から「日本国王」の称号をあたえられ、朝貢貿易をおこなうようになった。

 ただし15世紀後半になると、明朝の海禁政策はしだいに弛緩し、特に福建南部では、南シナ海域への密貿易が拡大していった。とはいえ16世紀はじめまでは、華人海商の日本への密貿易はほとんど記録されていない。

 当時の日本には中国向けの特産品も少なく、華人海商が海禁を破って、日本に密航するだけのインセンティブも乏しかったようだ。ところが1530年代から、石見銀山の産出量が急増したことによって、状況は一変する。そのころ明朝では、銀が主要通貨になっていたが、国内での銀の産出は乏しく、銀の流通量はつねに不足していた。そこに日本銀がにわかに登場したのである。

 1540年代になると、華人海商が日本銀を求めて、九州各地に渡航しはじめる。むろんこれは、海禁を破った密貿易である。しかし日本銀のもたらす膨大な利益に引かれて、九州に渡航する華人海商は急増していった。あたかもそのころ、ポルトガル人も東シナ海貿易に進出しはじめていた。こうして浙江省の舟山列島には、華人・ポルトガル人・日本人などが終結する密貿易基地が生まれていく。それが双ショ港であった。そして双ショの密貿易は、後期倭寇が出現し、拡大していく発源地ともなったのである。
(中略)

 15世紀末は、同時に南シナ海域で密貿易が拡大しはじめた時期でもあった。それを主導したのが、福建南部の海商である。彼らは海禁を破って、シュウ州湾から東南アジア各地に渡航していった。さらに1526年には、福建の密貿易者が、舟山列島の双ショ港に密貿易拠点をきずいた。舟山列島は浙江東部の、寧波近海につらなる群島である。双ショは舟山列島南部の六横島に位置し、福建方面から寧波に北上する船舶が通過する海峡に位置していた。当初の双ショは、福建海商の浙江方面での前進基地だったようだ。


『東インド会社とアジアの海賊』1

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