『日本中世に何が起きたか』

<『日本中世に何が起きたか』>
図書館で網野善彦著『日本中世に何が起きたか』という文庫本を、手にしたのです。
裏表紙には「宗教と経済活動との関わりを解明」「網野史学の全容を俯瞰できる名著」とのコピーが出ていて華々しいが・・・
この文庫本が装いも新たに今年(2017年)発刊されたわけで、それだけ売れるロングセラーなのかも♪



【日本中世に何が起きたか】
網野

網野善彦著、KADOKAWA、2017年刊

<「BOOK」データベース>より
「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか」。高校教諭時代、教え子から問われて以来30年余、通説を覆す数々の研究の過程で見えてきたものとは何か。「無縁」論から「資本主義」論へー対極に考えられてきた、宗教と経済活動との関わりを解明。中世社会の輪郭を鮮明に描くと共に、国民国家という枠組みをも超えてゆくべき、現代歴史学の課題を提言。網野史学の全容を俯瞰できる名著。

<読む前の大使寸評>
裏表紙には「宗教と経済活動との関わりを解明」「網野史学の全容を俯瞰できる名著」とのコピーが出ていて華々しいが・・・
この文庫本が装いも新たに今年(2017年)発刊されたわけで、それだけ売れるロングセラーなのかも♪

rakuten日本中世に何が起きたか


この本の核心ともいえる「無縁」=「資本主義」という辺りを、見てみましょう。
p46~48
<「資本主義」の源流> 
 さて中世の後期、室町期以降になりますと、中世前期までと比べて自然と人間の関係が大きく変わってくる。それにともなって当然ながら、商業、金融、貿易、技術のあり方、とらえ方も大きく変わってまいります。これまでこれらの行為は境界的ととらえられていたのですが、それが銭によって換算された目に見えるもの、あるいは数字や文字で表現できるものになってくる。神仏の影がうすくなってきます。

 かつて、私が、「無縁」と表現したことについて、中沢新一さんが、これは「資本主義」ではないかといったことがありますが、そう言われれば、商業、金融、技術、そして貨幣も「無縁」ということになるので、確かにこれはやがて資本主義として展開していく緒活動、緒要素であります。

 このことは逆に今まで資本主義の発達として経済学の分野からだけとらえられていた社会の動きを、もう一度、このように自然と人間の関係、宗教の問題の中で、根源に遡ってとらえ返してみる必要のあることを教えている、と私は考えます。

 それはともかく、商工業者や金融業者は、貨幣流通の発展、活発化に伴って、その活動は著しく発展していきます。おのずと鎌倉後期ごろから新しく神人、供御人になろうとする人びとが急増してくるので、王朝はそれを懸命に統制しようとして、たびたび新制を出すのですが、それだけではなくて、仏教の方でも、禅僧。律僧をはじめ、上人、聖などといわれる人びとの活動も、単に宗教的な活動だけではなく、金融、商業、交通、技術、芸能にまで及ぶ広い範囲に及んで非常に活発になり、これがまた、鎌倉後期の大問題になってくる。いわば、神人、供御人性の枠をやぶる動きが鎌倉後期から澎湃とおこってくるのです。

 非人とも関わる「悪党」の動きもその一つにほかなりません。この動きを頭から実力によって禁圧し、たとえば『天狗草紙』や藤原有房の『野守鏡』にみられるように罵倒と憎悪をもって対処する動きがあったことは、よくご承知の通りだと思います。にもかかわらず、これまで境界的といってきた人びとの動きは抑え難くひろがり活発になってきます。その中で王朝側も、鎌倉幕府も、これを禁圧するだけでなく、新しい方式で統御しようと試みはじめます。

 王朝側では、亀山・伏見・後宇多など、それぞれに努力していますが、最も積極的かつ大胆にこの動きを組織しようとしたのは後醍醐天皇であったと私は思います。後醍醐はすべての神人、つまり商工業者や金融業者などの職能民を天皇の直轄下に置こうとしました。全神人の供御人化を意図していたと思われます。これに対抗して鎌倉幕府も西国の神人交名を、きちんと注進させ、自らそれを掌握しようとしはじめているのです。

 禅律僧や日蓮宗、浄土真宗など、新しい仏教、僧侶たちの動きについても同様です。後醍醐、あるいは花園天皇が、禅律僧を身辺に積極的に招いていたことはよく知られていますし、北条氏が律僧の力に積極的に依拠して海外貿易に積極的に乗り出そうとしていること、禅僧を招いて禅宗に保護を加えてること等々、積極的に動いていることもよく知られております。

 ところがその方式がなかなか成功しないうちに、まさしく境界的な人びとである悪党・海賊、職能民や非人をふくむこれらの人びとの爆発的な動きの中で、まず鎌倉幕府が後醍醐によって倒され、その後醍醐の建武新政府も2、3年後に崩壊し、南北朝の動乱が60年にわたって続くということになっていくわけです。



さらに宗教と資本主義の関係を、見てみましょう。
p52~54
<宗教と資本主義>
 その点で日本の社会について考えてみますと、確かにキリスト教に相当する宗教が、先ほどふれた仏教の諸宗派、禅宗、律宗、真宗、時宗、日蓮宗等々がこの転換に大きな作用を及ぼしており、これらの宗教は、それぞれに、戦国期、その方向を模索していたと考えられます。

 一向一揆の場合にそれが最も強力な形で表面化したのだと思いますし、16世紀にヨーロッパから入ってきたキリスト教も同様な役割を果たそうとしていると思いますが、そういう宗教が、すべて俗権力によって徹底的に鎮圧され、大流血ののちに力を失う、あるいは俗権力に組織されていくことになっていくわけです。もちろん社会のごく一部に、戦国期の宗教の名残りが残ってはいますけれども、江戸時代には大きな社会的な力を持ちえていない。いわば「宗教のない」状況が日本の社会の場合に現れてくるのです。

 これは一体なぜなのか。この問題は、やはり単に宗教の問題にとどまるだけでなく、先ほどいいましたような、かつての境界的な行為、金融、商業、技術、貿易のような活動にも関わってくるのです。ヨーロッパの場合には、キリスト教がこのような行為に新しい聖なる位置付けを与えているように思えるのです。マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』はまさしくそのことを問題にしているのだと思いますが、西欧では新しい宗教によって、資本主義がある位置付けを与えられているわけです。

 ところが日本の場合、こういう行為は室町期以降、ふつうは世俗的な経済行為という理解の仕方をされており、鎌倉期以前の聖なるもの、マジカルな意味を持った神仏とは異なる、何らかの新しい聖なるもの、新たな宗教や思想によって、そういう行為の持つ意味に位置付けを与えることは、日本の社会の場合、積極的には行われていないように思われます。

 もちろん鎌倉新仏教の思想の中にそうしたことを考える余地は十分にあり、江戸後期には、商業行為の正当性を説く心学なお、いろいろな思想がでてきますが、これは宗教とはやや異なると思います。またこのことは非人、あるいは遊女に対する差別が、江戸幕府によって、ついに固定化されるにいたったこととも関わりがあるし、商人や手工業者、芸能民の位置付けが日本の社会の中では決して高いとはいえないということも大いに関係のあることだと思います。

 よく私は「後醍醐が負けたから、非人が差別されるようになった」といいたいのかというご批判を受けます。しかし天皇、神仏の力が弱くなったことと、非人の差別化の固定化とが、表裏をなしていることは事実なのです。つまり天皇の権威の低落のあと、それに代わる聖なる権威、宗教が現れようとしながら、社会的にその権威を確立しえなかったことが、非人あるいは遊女に対する差別の固定化と深くむすびついているのだと思います。

 このことの意味を、われわれはよく考えてみる必要がある。天皇と被差別部落の問題はわれわれ自身の、まさしく普通の庶民によって構成されている日本の社会が生み出した現象である以上、この問題をわれわれ自身もう一度深く問い直してみる必要があると思うのです。

 なぜ、日本の社会に宗教がないのかという問題は、現代にも大きな意味を持つ、解決すべき問題だと思います。私は無神論者なので、宗教によってのみこの問題が解決されるとは考えておりませんが、しかし、日本の社会に宗教がないということが、現在の日本の社会にさまざまの形で「小さな宗教」が現れていることと関係があることは間違いありません。無秩序極まる猛烈な自然の開発も、この問題と決して無関係ではありません。


ウン 目からウロコが落ちるように網野史学の全容(大使の場合、一部が)が俯瞰できるのでおます♪

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