『くらしの昭和史』1

<『くらしの昭和史』1>
図書館で『くらしの昭和史』という本を、手にしたのです。
著者は「昭和のくらし博物館」の館長とのこと…どおりで選んだ題材、内容が充実しているのか♪



【くらしの昭和史】
くらし

小泉和子著、朝日新聞出版、2017年刊

<「BOOK」データベース>より
 昭和30年代は史上、もっともくらしが充実した時代だった。昭和になって普及したちゃぶ台を囲んで、一家団欒が満面開花する。戦争中のもんぺ着用、戦後の衣服払底を画期に、キモノから洋服への衣服革命が進化したのも昭和20年代~30年代半ばである。明治以来の西洋医学が一般家庭に普及し、吸入器や注射器を常備するなど家庭看護がハイレベルで浸透したのもこの時代であった。著者が館長をつとめる「昭和のくらし博物館」では、17年に及ぶ企画展示で、くらしの変化とその要因を詳細に検証してきた。その成果をまとめ、戦争、敗戦から経済成長による奇跡の発展を遂げた昭和史の変化と画期を鮮やかに描き出す。

<読む前の大使寸評>
著者は「昭和のくらし博物館」の館長とのこと…どおりで選んだ題材、内容が充実しているのか♪

rakutenくらしの昭和史

はこぜん箱膳

ちゃぶ台の歴史を、見てみましょう。
p37~42
<ちゃぶ台の歴史>
 筆者の調査によれば箱膳(銘々膳)とちゃぶ台が交替するのは昭和初めで、ちゃぶ台とテーブルが交替するのが昭和60年ごろである。ちゃぶ台と昭和はパラレルで、ちゃぶ台はまさに昭和の食卓だったのである。ちゃぶ台は、毎日、家族が三度三度の食事で使うもので、くらしの中心である。そこでちゃぶ台を通して、昭和時代のくらしと社会を検討することにした。

 まず、ちゃぶ台を定義すると、「みんなが囲んで、座って食べる食卓」である。ちゃぶ台のほかにも飯台とかしっぽく台など、さまざまな呼び名があるが、ここではちゃぶ台に代表させる。膳とも呼ぶが、ここでは膳は伝統的な銘々膳をさすことにする。

 ちゃぶ台が使われるようになったのは意外に新しく、明治に入ってからである。それまでは平安時代に宮中で宴会のときに大きなテーブルを使ったことを除けば、歴史的に一貫して、支配層、被支配層を問わず、銘々膳であった。

 これは日本の社会が縦構造の社会といわれるように、身分の上下にきわめて厳しい社会だったからで、同じ食卓を囲むことによる身分秩序の混乱を避けるためだったのである。身分の順に並び、身分に応じた膳を用いることで、身分秩序を視覚的にも明確にしたのである。なぜそうなったかといえば、日本は鎌倉時代以来、江戸時代に至るまで、武士が圧倒的な支配力を持ち続けた社会だったためである。
(中略)

 そうした中で三度三度の食事は家の秩序を示す場として、また躾けの場として位置づけられ、家長を上座に、商家なら番頭、手代、丁稚と並び、家長は高御膳、手代は脚の低い宋和膳、丁稚は箱膳と、身分に応じて異なる膳を前に正座し、家長が箸を取るのを待って食べ始める儀式であった。食事は決して楽しいものではなく、もとより団欒の場ではなく、家族なら家族という集団の枠の中にきちんと位置づけられていることが唯一生きる道であることを、日夜、身体にたたき込む場となったのである。

 このため幕末に開国を求めてやってきた西洋人との外交折衝の際、必ず問題となった食事の方法であった。そもそも会談のの際、彼らは椅子だが日本側は畳である。これでは見下ろされてしまうので具合が悪い。といって彼らを畳に座らせるわけにはいかず、さんざんに揉めたあげく、日本側は畳を積み重ねて、その上に座るという方法で決着した。
(中略)

 四民平等の明治になって、やっと日本人も同一の食卓を囲めるようになった。しかしすぐに人間関係が平等になって取り入れられたわけではない。洋風テーブルの導入というワンクッションがあった。洋風テーブルを最初に用いたのは上流階級である。彼らの場合、武士出身者が多かったから、本来なら同一食卓を囲むことはもっとも忌避するはずなのだが、西洋化の先兵とっしては、文化の違いということで、従来の身分差がスルーされてしまったのである。

 一方では洋食屋やミルクホールなど、椅子テーブルを使う飲食店ができてきて、庶民たちも同一の食卓を囲むことに次第に慣れていった。
(中略)
<ちゃぶ台と一家団欒>
 一家団欒ということも、ちゃぶ台を使うようになって生まれたものである。大正デモクラシーの中で「食事は一家揃ってちゃぶ台を囲んで楽しく食べる」ことが唱えられ始めた。だがまだこの段階では、封建的束縛も強かったし、ちゃぶ台自体が都会中心のもので、全国的にみれば銘々膳が多かったこともあり、まだちゃぶ台は一家団欒の場ではなかった。

 ちゃぶ台が広く普及し、国民の食卓となるのは、最初に書いたように昭和に入ってからである。ちゃぶ台を囲んで楽しく食べるという家族も増えてきた。それでも戦前までは、必ずしも一家団欒の場ではなく、家族の中での身分秩序を教える躾けの場といった意味合いも大きかった。

 以下団欒が満面開花するのは第二次大戦後である。戦後の民主主義革命がもたらしたものである。茶の間でラジオを聞きながら、家族揃って楽しく食事をするということが、ようやく当たり前となった。「明るい茶の間」「茶の間のひととき」といった茶の間を冠した番組がつぎつぎと作られ、茶の間という言葉も全国に広まった。その際、中心となったのがちゃぶ台である。

ウン ちゃぶ台とか茶の間とかは、まさしく昭和30年代やでぇ♪

箱膳については、杉浦日向子が『隠居の日向ぼっこ』1で取り上げています。

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