『対談 中国を考える』4
<『対談 中国を考える』4>
図書館で『対談 中国を考える』という文庫本を、手にしたのです。
とにかく…
中国に関する対談としては、近年においてベストのお二人ではないだろうか♪
よくよく調べてみると、この本は去年の6月に借りていました。・・・で、(その4)とします。
舟山群島
海や島を恐れる漢民族だったようだけど、そのあたりを見てみましょう。
『中国を考える』1:海や島を恐れる漢民族p41~44
『中国を考える』2:宋のナショナリズムや尊皇攘夷p66~69
『対談 中国を考える』3:シルクロード、その歴史と魅力p199~203
図書館で『対談 中国を考える』という文庫本を、手にしたのです。
とにかく…
中国に関する対談としては、近年においてベストのお二人ではないだろうか♪
よくよく調べてみると、この本は去年の6月に借りていました。・・・で、(その4)とします。
【対談 中国を考える】 ![]() 司馬遼太郎×陳舜臣著、文藝春秋、2013年刊 <「BOOK」データベース>より 古来、日本と中国は密接な関係を保ってきた。だが現実には、中国人は日本にとって極めて判りにくい民族なのではないか。ぶつからないためには理解すること、理解するためには知ることー両国の歴史に造詣の深い二大家が、この隣人をどのように捉えるべきか、長い歴史を踏まえて深く思索する中国論・日本論。 <読む前の大使寸評> とにかく… 中国に関する対談としては、近年においてベストのお二人ではないだろうか♪ rakuten対談 中国を考える |

海や島を恐れる漢民族だったようだけど、そのあたりを見てみましょう。
p41~44 <海や島を恐れる漢民族> 司馬:魚をとる技術を持っているのは、原日本人の一派らしい「ウ」の側であって、鮮卑の軍隊は持っていない、という話が前に出たけど、これは非常に面白い。僕はこの前、台湾の横っ腹にある与那国島に行って、「ほう」と思ったんだけれども、そこではむろん古来、日本語の一派を話してる。つまり、中国語の影響を受けてないわけだ。なぜ漢民族はここまでこなかったのかと、よく考えてみたら、漢民族は海や島をとくに恐れたり嫌ったりするのやな。漁をして食べていく技術がないから、こんなに中国の近くに島があっても来たがらない。だから、台湾が漢民族化するのはびっくりするほど遅い。台湾に漢民族がやってくるのはずっと時代がくだるわけで、日本の時代区分でいえば徳川初期ですね。 陳:鄭成功のころ(17世紀中期)。鄭成功のころは商売人しかいなかったので、鄭成功が中国本土から移民を呼んできた。 司馬:そのくらい漢民族は海や島を恐れたわけだ。おそらく舟山列島とか海南島とか、中国周辺にはいろいろな島があるけれども、当時は漢民族的風習を持っていない連中が住んでいたんだろうね。与那国島でつくづく僕は漢民族というのは大陸でないと安心できない、大陸でなかったらメシが食えないという文化を持つ巨大で頑固な農耕民族だという感じがしたな。 陳:こんなことを言うたら悪いけど、中国史から見ると、漁撈についたものは階級からはじき出された連中、つまりアウト・カーストという感じがする。明の時代に、明の洪武帝に反抗した人たちが本土から追い出されて、漁をしていたわけだね。 司馬:やむなくね。 陳:広東の蛋民もおそらくそういうことだね。ほんとうは人間は陸で生活すべきもので、なにか事情のある人たち、追放された人たちが海のそばにおるという感じね。その連中は、科挙の試験が受けられなかったんです。科挙は原則としてだれでも受けられるんですけれども、その例外に数えられてたんですよ。だから蛋民も異民族ではないんです。政治的な関係で戦争に負けて、そうなったんですね。 だから呉越の戦いで、夫差が殺されるとき、勾践がこいつはかわいそうだから助けてやろうと言って指定したところが舟山列島なんです。それがいやだと言って死んだけれども、島というのはそういう人を置くところという感じがあったのですよ。 司馬:漢民族圏のそばには漢民族文化に同化しなかった頑固者が、島やら、山に上がっておって、その対策は大変だったろうけど、根本のところでは、中国文化というのは農耕のできるところ文明であって、農耕のできない島やら山奥に入ると、漢民族の利用度の薄いところだから、そこに住んでるやつは勝手に住めとほったらかしておったような感じがするね。 陳:春秋戦国時代の漢民族は、お城の中に住んでいて、農民は早朝その外に出て行って、耕して、夜になるとまた帰ってくるわけでしょう。自分らは畑をつくっているけれども、蛮族が荒らしに来たら城の中に逃げ込む。そういう感じがあるから、点ですわ。 司馬:点以外の面に実際はいろんなやつがいっぱいいたわけやね。 陳:遊牧している人たちは貯蔵をしていませんから、ときどき食べられなくなりますからね。もらいにくれば、それで恩恵を施して友好状態を保っていたんでしょうね。だから漢民族は農耕民族であることは間違いないけれども、城郭民族でもあった。 |
『中国を考える』1:海や島を恐れる漢民族p41~44
『中国を考える』2:宋のナショナリズムや尊皇攘夷p66~69
『対談 中国を考える』3:シルクロード、その歴史と魅力p199~203
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