『呪いの思想』

<『呪いの思想』1>
図書館で『呪いの思想』という本を、手にしたのです。
おお 白川静×梅原猛という蒼々たるマッチメイクではないか♪
それでは、お二人の対談で、三千三百年前の昔まで遡ってみましょう


【呪いの思想】
呪い

白川静×梅原猛著、平凡社、2002年刊

<「BOOK」データベース>より
白川静と梅原猛、奇の二人が語る。「呪の思想」。すべてが神に問われた。神はすべてに答えられた。神に卜(ぼく)する占。昔、むかし、三千三百年前のむかし、神々と人々が交通していた、時代のものがたり。

<読む前の大使寸評>
おお 白川静×梅原猛という蒼々たるマッチメイクではないか♪
それでは、お二人の対談で、三千三百年前の昔まで遡ってみましょう

amazon呪いの思想

土偶遮光器土偶

日中文化の黎明期を、見てみましょう。
p164~169
<殷と日本> 
編集部:「沿海族」というくくりの中では殷も日本も夷族であると、殷の文化が日本に残っていると考えてよろしいんでしょうか。 

白川:沿海族の共通の特徴は前回にも言いましたが、まず文身の俗です。内陸には全くない。

梅原:殷には文身はあるんですか。

白川:殷は文字の上にね、文身の俗がたくさん残っている。身体に付けた文身は残りませんけどね。文身というのは、「文」というのが「人」の正面形に「イレズミ」を加えた形なんです。胸に心臓の形を書く。これは葬る時にね、ここに心臓の形を書いて棺に納めて、再生を祈ったんでしょうね。女の場合には乳房がありますから、こういう風な文字を胸の左右に付ける。これが「セキ」、明らかという言葉で美しいの意。
 女の人の白い肌にね、乳房の所へ付けるのです。生命力を回復させるために、強い朱で描くのです。場合によっては×を文身に使いますからね。×を付けると「爽」、さわやかという字となる。

梅原:そうすると「爽」という字は文身に付けた形なんですか。

白川:そう、亡くなった夫人に付ける。「誰々の妻」、例えば「武帝の爽の某」という妻の字に使う。文身を入れて葬ったからでしょう。

梅原:男と女で違うんですね。

白川:男は胸間、女は乳房のあたり。生まれた時にはね、額につける。「〇」という字ね。中に「生」を書いたら、「産」になる。成人式の時にも使う。「△」を入れると「彦」になる。顔へ付けますからね。「彦」に拝む形の「頁」を付けると「顔」になる。これらは通過儀礼やからね、身分の上下なしにやると思う。

 我が国では赤ん坊の場合はアヤツコとか、安産するように「犬」を書いたりするというんですが、生れてから「犬」を付ける必用はないんですね。もとは「大」であったんでしょうけど、後で「犬クソ」とかね、地域によってまだ残っています。

梅原:柳田国男の「阿也都古考」にね「昔は犬と書いたんだろう」という一文があるんです。犬と書のは犬の真似をする服従儀礼です。柳田のいうものがここで見つかった訳ですが、今、先生のおっしゃるのは殷でその習俗が行われ、周になってなくなる訳ですか。

白川:周にはないですね。キョウ西のような奥地にはない。

梅原:そうですか、沿海族しかないということですね。『魏志倭人伝』に倭の人は入墨もしていると書いてありますね。それと繋がると思いますね。日本では縄文人が入墨をしていますが、弥生人になるとなくなる。だから縄文人はどうも沿海族のようです。

 弥生人はしなくなるが、隼人とか蝦夷は入墨をしていた訳です。神武天皇が来た時に、海人族の安曇部が目に入墨をしたという。これは言うなれば殷の風習ですね。そうすると縄文文化は殷の文化と繋がる訳です。

 それがずっと続いて、アイヌの人たちは、僕の知っているハル婆ちゃんは、口の周りにこう入墨をしていた。このハル婆ちゃんはアイヌに生れて17歳の時にシャモ(日本人)の家へ子守に行った。それ以後はアイヌ語を使わなくなった。頭のいい人で昔のアイヌのことをよく覚えていて、さっと出て来るんです。

白川:沿海族の極めて特徴的なものは、文身と貝の文化ですから、殷は沿海族であったと僕は思う。殷は最後までその文化を持っていたと思う。ところが周の中頃になると、殷の部族自体が同化して、そういう固有の文化自体が崩壊するんです。一部は賤民となって細々と残っている。だから北魏の時代にね、洛陽の片隅に殷人の子孫と称する者が、まだ残っておったという記録が『洛陽伽藍記』にある。

梅原:周になると貨幣は貝から金属になるんですか。

白川:金は金ですけど馬蹄金か分銅金か知らんが、金はこう鋳型に詰めて抜くから、頂度鉄道のレールを切断した形。この金というのは銅のことです。銅の塊一斤、そういうものをご褒美に与える。

梅原:上海で貨幣の博物館があったので見に行ったのですが、春秋戦国時代には非常に色々な貨幣の形があって、随分違うんですね。刀の形とかもあって。それが秦が統一した時に、貨幣も統一される。そして貝は使われなくなるんですね。貝は殷人だけが使っていた。

白川:そうそう、殷の時代だけ使っています。

梅原:宋という国は殷人の国家だったんですか。

白川:その子孫が封じられた国です。

梅原:この宋という国は春秋戦国時代にはどんな位置付けだったんですか。

白川:それは風俗習慣もかなり違うので、特別扱いされておった。何か間の抜けた人の話は全部、宋の国の人の話。例えば「株を守る」というのは待ちぼうけの話。「宋人に…」という言葉で始まる。
(中略)

梅原:宋は実際には同化されて、殷の風習はなくなってしまうんでしょうか。

白川:いや、やはり殷の系統の者がそこには残っている。国を建てて何千人の単位で入っていますから、一応は続いておった訳ですが、しかし戦国以後、秦・漢時代になると全国的にローラーをかけたみたいに変動しますからね、地域的なものは滅びます。日本はそういう意味では、神代がそのまま残っている。

梅原:先生、あの「殷」という字ですけど、少し説明して頂けますか。

白川:「殷」は商の蔑称ですからね。扁は身重の形。旁は「叩く」。どういう意味か解らんけれども、妊婦を叩くんだから、何か呪的な行為としての意味があったんでしょうね。
 「殷」というのは「盛んな」、「激しい」とか「破壊」、血が出る場合には「万里朱殷たり」という風に、万里血染めになるという。だから非常に激しい意味を持った字ですね。

梅原:ああ、そうですか。これは面白いですね。その妊婦についていえば縄文の土偶は、全部妊婦なんです。成年の女性で、腹が大きい。これが一つ目の特徴です。二つ目は顔がみな異様な形をしていることです。ミミズク形とか円筒形とかハート型とか、いずれにしてもこの世の人の顔ではない。三つ目は腹に縦一文字の筋がある。へこんでいるのも盛り上がってるのもあるんですけどね。四つ目はみんな手足や胴体がバラバラになっていて、完全なものは一つもない、壊してある。最後は総てに当てはまるものではありませんが、丁寧に埋葬してあるものもある。この五つの特徴がある。(中略)

梅原:「目」というのは重要ですね。遮光器土偶というのがありますが、こんな大きな目をしているのに中は堅くつぶれている。やはり死んだ人間なんです。ではどうして大きな眼窩をしているのか。これは『ユーカラ』を読んでて解ったんですが、目のある死人と目のない死人が出てまして、目のある方は再生可能な死人を意味する。だから再生可能を示すために大変大きな目を付けた。目は再生のシンボルなんですよ。

白川:上に「目」を置いて、襟に「玉」を置いて、「環」。「玉」は生命の復活を意味した。

梅原:古代日本の信仰は「玉」なんですね。私が館長をしている三方の縄文博物館が調査している鳥浜遺跡と青森の三内丸山遺跡を見ると、米が出て来ないんですが、あとのものはみんな共通に出て来る。玉とか瓢箪とか。みな中国と同じものが出て来る。「玉」の甦りの思想が入って来ていると思う。玉の文化は稲作より遥か前に入った。大変面白い話ですが、「衣」とはどういう意味でしょうか。

白川:「衣」はね、魂の受け渡しをやるという信仰がある。魂寄せ。


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