『南方マンダラ』3

<『南方マンダラ』3>
図書館に予約していた『南方マンダラ』という本を、待つこと1ヵ月でゲットしたのです。
ぱらぱとめくると、自然科学や民俗学や宗教など、まるで万華鏡のような有様で・・・
知の巨人の秘密の一端でも見えるかも♪


【南方マンダラ】
南方

南方熊楠, 中沢新一著、河出書房新社、1991年刊

<商品の説明>より
世紀を超えてなお知の巨大な風貌をとどめる南方熊楠。日本人の可能性の極限を拓いた巨人の中心思想=南方マンダラを解き明かす。中沢新一の書き下ろし解題を手がかりに熊楠の奥深い森に分け入る。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱとめくると、自然科学や民俗学や宗教など、まるで万華鏡のような有様で・・・
知の巨人の秘密の一端でも見えるかも♪

<図書館予約:(5/12予約、6/16受取)>

amazon南方マンダラ


解題の続きを、見てみましょう。
p31~34
<解題 南方マンダラ>
 「理不思議」には、認識したり、記述したりする力だけでなく、未知のものの存在を予言したり、予測したりできる力もある、と彼はここで語っているのだ。人間の知性には、可知の世界の表面に顕在化されてこないものまでも、推論の力によってとらえることができ、しかもその推論がきちんとした表現にまで達するときには、いままで世界の表面からは隠されていた何かの実在が、あらわに浮上してくることになる。

 π中間子の発見のプロセスが、このよい例だ。そこでは推論の力が、未知の素粒子をこの世に引き出した。湯川秀樹はそのときに働いていた力を「存在の理法」と呼んでいるが、熊楠に言わせれば、その「理法」は「物不思議」である物質的実在に内在しているだけではなく、物質と知性の両方を巻き込みながら、活動をつづける、宇宙の全体的ロゴスそのものにほかならない。人間は、いかにして自分の生きている世界を知るのか。熊楠は巨人の足取りで、一歩一歩、事の中心に近づいていく。

 明治36年8月8日の書簡で、熊楠はついに「南方曼荼羅」の核心にたどりつく。ディオゲネスのオ〇ニーがどうのこうのと、よたを飛ばしたり、坊主は科学を知らなくて困ると愚痴をこぼしたりしたその後で、いきなりマンダラ論の要点が、語りだされるのだ。このあたりの呼吸、じつに熊楠らしくて、かっこうがいい。熊楠はつぎのように書く。

熊楠

 ただし、予は自分に腹案なきことを虚喝するものにあらず。簡単に示せとのことながら、曼荼羅ほど複雑なるものなきを簡単にはいいがたし。いいがたいが、大要として次に述べん。すなわち四曼荼羅のうち、胎蔵界大日中に金剛大日あり。その一部心が大日滅心の作用により物を生ず。物心相反応動作して事を生ず。事また力の応作によりて名として伝わる。

 さて力の応作が心物、心事、物名、名事、心物心、心名物、・・・心名物事、事物、心名、・・・事物心名事、物心事、事物・・・心名事事事心名、心名名名物事事名物心というあんばいに、いろいろの順序で心物名事の四つを組織するなり。

 例。熊楠、酒を見て、酒に美趣あることを、人に聞きしことを思い出だし、これを飲む。ついに酒名を得。・・・

 右のごとく真言の名と印は物の名にあらずして、事が絶えながら、胎蔵界大日中に名としてのこるなり。これを心に映して生ずるが印なり。故に今日西洋の科学哲学等にて何とも解釈のしようなき宗旨、言語、習慣、遺伝、伝説等は、真言でこれを実在と証する。すなわち名なり。


 この短い文章の中で、熊楠はじつに膨大な内容を伝えようとしている。それを、順々に解きほぐしていってみよう。
 熊楠はまず、宇宙の全体運動そのものである「大日如来の大不思議」から、いかにして「心」や「物」が発生してくるのか、そのプロセスを描こうとしている。それによると、「心」と「物」は、この宇宙にもともと別のものとして発生してくるのではなく、「大日如来」という全体運動の中から、まるでコインの裏と表のようにして、まったく同時に、分離発生してくるものと考えられるのだ。

 この書簡で熊楠が描いている図では、「大日如来」の「心」から、直接的に「物」が生まれ、そのふたつのあいだの交わりや反応や動作から、「事」がつくりだされてくるように描かれている。


『南方マンダラ』1
『南方マンダラ』2

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