『南方マンダラ』2

<『南方マンダラ』2>
図書館に予約していた『南方マンダラ』という本を、待つこと1ヵ月でゲットしたのです。
ぱらぱとめくると、自然科学や民俗学や宗教など、まるで万華鏡のような有様で・・・
知の巨人の秘密の一端でも見えるかも♪


【南方マンダラ】
南方

南方熊楠, 中沢新一著、河出書房新社、1991年刊

<商品の説明>より
世紀を超えてなお知の巨大な風貌をとどめる南方熊楠。日本人の可能性の極限を拓いた巨人の中心思想=南方マンダラを解き明かす。中沢新一の書き下ろし解題を手がかりに熊楠の奥深い森に分け入る。

<読む前の大使寸評>
ぱらぱとめくると、自然科学や民俗学や宗教など、まるで万華鏡のような有様で・・・
知の巨人の秘密の一端でも見えるかも♪

<図書館予約:(5/12予約、6/16受取)>

amazon南方マンダラ


熊楠と法竜の交流を、見てみましょう。
p11~15
<解題 南方マンダラ>
 ふたりは明治26年(1893)10月、ロンドンで出会った。この当時すでに熊楠のほうは、イギリス滞在2年目に入り、一部の学生たちからは、なかなか優秀な東洋人があらわれたものだと、評判がたつようになっていた。大英博物館への出入りも自由にできるまでになっていたし、アマチュアもプロも同じ資格で投稿することのできる、有名な科学週刊誌『ネイチュア』に載った熊楠の論文「東洋の星座」は、学者たちの世界でも、高い評価を得ていた。彼はあいかわあらず貧乏だったが、すこぶる意気軒昂だった。

 熊楠は素晴らしい語学力をもっていたので、西欧の学問の伝統が、いかに偉大なものであるかを、正しく認識することができた。しかし、それと同時に、彼はその限界をもすばやく見抜くだけの力をもっていた。彼がひとつの学問のことしか見えない、学問馬鹿のような人なら、なかなかそれは見抜けなかったことだろうが、さいわいにして、彼は宗教から哲学から自然科学まで、なんにでも興味をいだいている人だったので、西欧の学問のシステムの、全体構造を見渡すことができたのである。

 それぞれの個別の学問は、その根底にあるエピステーメーの全体構造から、生み出されてくるものだ。だから、ひとつひとつの学問を見ているだけでは、ものごとの本質は見えてこない。その反対に、個々の学問をつねに、エピステーメーの全体構造のほうから見てみると、それがどんなにか限界性をもった世界観や生命感にしばられているかが、はっきり見えてくる。熊楠はそういうやりかたで、西欧の学問の世界とわたりあっていたので、ほかの多くの日本人留学生のように、コンプレックスのかたまりになってしまうことが、けっしてなかった。

 そのため熊楠には、いまここに西欧の学問として実現されているものだけが、唯一人類に可能な知の形態であるとは、考えられなかったのだ。西欧には、いまこうして「現代(モダン)」の学問や技術が、素晴らしい発達をとげつつある。しかし、それだけが、唯一の「現代」ではないのではないか。
(中略)

 19世紀末のロンドンにあって、「1日1食して」驚異的な勉強をつづけながら、熊楠はそういう未知の可能性を探っていたのである。
 そこにあらわれたのが、土宜法竜だった。彼は熊楠の前に、法衣をまとった真言僧としてあらわれた。パリの東洋学のメッカであるギメー博物館で、仏教関係の資料の調査と研究をおこなうことを目的にして渡欧した彼は、短い期間、ロンドンを訪れたのである。熊楠と法竜は10月の30日の夜、はじめて出会った。そしてまったく意気投合したふたりは、法竜がロンドンを発つ11月4日まで、毎日のように出会って、熱のこもった議論をつづけた。

 土宜法竜がパリに落ちつくと、その議論は今度は書簡によって、さらに続行された。パリ-ロンドン2都の間を、おびただしい書簡が往来した。現在みつかっているものだけでも、23通。そのどれもが、書簡による大論争と呼んでいい、高い程度と密度と熱気をはらんでいる。ふたりはおたがいの存在を鏡として、自分のかかえる思想上の問題を、投げかけあった。
(中略)

 仏教の将来にたいする強い使命感に燃えていたこの真言僧にとって、熊楠の出現は、あらゆる意味で衝撃的だった。この天才的な若い日本人の中に、彼はひとつの希望をみいだしたのだ。

 もちろん熊楠は熊楠で、土宜法竜の中に、はじめて自分の思想を語るにたるべき人間をみいだして、大満足だった。彼は大英博物館を中心に、専門の植物学からはじまって、人類学、宗教学、社会学など、当時めざましい発達をとげようとしていた、新しい西欧の学問を、それこそスポンジが水を吸うように、学びとっていた。

 彼は自然科学の方法の素晴らしい可能性を、同時代の日本人の誰よりも深く理解していたけれど、その方法が世界の実相をとらえるためには、いくつかの重要な欠陥をもっていることをも、明確に理解していた。そして、その限界をのりこえていくために、「東洋の哲理」とりわけ真言密教のマンダラの内包する思想によって、来るべき未来の学問の方法を、構想しようとしていた。

 ところが、彼のまわりには、そんな話題に興味をもってくれる人間は、日本人にもヨーロッパ人にも、ひとりもいなかった。そこに土宜法竜があらわれたのだ。彼の頭脳は興奮した。幾晩も寝ないで、パリにある友人にむけて、長い書簡をしたためた。熊楠は萌芽の状態にあった自分のアイデアや構想の渦を、土宜法竜という手ごわい相手にぶちあててみることによって、それをひとつの宇宙にきたえあげようとした。そして、これによって、熊楠の学問はまさに「釈然として上達した」のである。


『南方マンダラ』1

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