『蜜の流れる博士』4

<『蜜の流れる博士』4>
図書館で『蜜の流れる博士』という本を、手にしたのです。
目次を見てみると、南方熊楠をメインテーマに据えた随筆のようである。
ぱらぱらとめくると「ブレードランナー」を絡めて博物学、民俗学を語ったりして・・・ええやんけ♪


【蜜の流れる博士】
中沢

中沢新一著、せりか書房、1989年刊

<「BOOK」データベース>より
古書につきデータなし

<読む前の大使寸評>
目次を見てみると、南方熊楠をメインテーマに据えた随筆のようである。
ぱらぱらとめくると「ブレードランナー」を絡めて博物学、民俗学を語ったりして・・・ええやんけ♪

amazon蜜の流れる博士


南方熊楠への思いを「あとがき」で、見てみましょう。
p367~369
<あとがき>より
 聖ベルナルドのものまねして、私が「太陽と雨、野のゆりと空の鳥」について書いているときにも、私はいつも自分の内部にひろがる青い空や、そこをよぎって飛ぶ鳥や、しなやかに立ちあがる樹木についての体験を、言葉にしようとしている。そのような「樹木」たちは、私が自然の内部にひろがる「ただひとつの空間」を知ることができたとき、はじめて私の内面で成長を開始するのだ。

 南方熊楠は、自然科学が対象にするすべての物の中にこの「ただひとつの空間」がひろがっていることを知ったとき、深い驚きをこめて、それを「大日如来の大不思議」とよんだ。彼はこの体験のたしかさにたいして揺らぐことのない確信をもっていた。そしてこの「空間」の体験をベースにすえて、人間の知性と自然との全構造を解明しようとする不可能な仕事にいどんだ。

 パスカルはその「空間」のひろがりを真空の中に見出して、心の底からそれに恐怖をおぼえた、と書いている。この真空はどのように巧みな「くりこみ」の技術を駆使したとしても、その中からたえまなく発生してくる無限を、くいとめることはできない。無限の充実をはらんだ真空。すべての物質の生成-消滅と、あらゆる精神の運動がこの真空の中でおこっている。パスカルは華やかな数学者としての生活を捨てたのちも、最後までこの真空にたいして、厳密な表現をあたえようとする努力をやめなかった。

 厳密な表現―それこそが重要だ。なぜなら「人々は、神的な事柄に対して、確実であってほしいという要求を失ってしまった」(シモーヌ・ヴェイユ)からだ。「神的な事柄」はすこしも失われてはいないのに、それにたいする認識を独占していると称する宗教が、それについてあまりにごまかしにみちた表現ばかりつづけてきたので、心ある人々はそれが確実であってほしいという要求も、それにたいする信用も、いまではすっかり失いかけている。

 厳密さへの要求は、むしろ現代の数学的な科学においていちぢるしい。しかし、多くの科学者はパスカル的な冒険に踏みだそうとはしないし、厳密さをめざそうとする努力を重ねている現代哲学も、「哲学者に残されたただひとつの仕事は、言語の分析である」(ウィトゲンシュタイン)と語る禁欲によって、自分たちの探求の領域を、好きこのんで狭苦しいものにしたがっているようにみえる。

 私は知性の言葉が、すべての物の内部にひろがっている「ただひとつの空間」や、私たちの内部に成長する「樹木」の息吹きについて語るのを、聞きたいのだ。


中沢さんの南方熊楠論については、ただいま『南方マンダラ』という本を図書館に予約中(現在3位)なので、近日中に紹介の予定でおます。

【南方マンダラ】
南方

南方熊楠, 中沢新一著、河出書房新社、2015年刊

<「BOOK」データベース>より
日本人の可能性の極限を拓いた博覧強記の巨人・南方熊楠。中沢新一の解題を手掛かりに、その奥深い森へと分け入る“南方熊楠コレクション”第一弾は、熊楠の中心思想=南方マンダラを解き明かす。楽しいかな学問。「南方曼陀羅」の全体構造をあたえられた学問は、宇宙の不思議を前にして、驚きと喜びにみたされる。

<読む前の大使寸評>
追って記入

<図書館予約:(5/12予約済み、副本2、予約5)>

rakuten南方マンダラ


『蜜の流れる博士』1
『蜜の流れる博士』2
『蜜の流れる博士』3

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