『砂の海』6

<『砂の海』6>
図書館で『砂の海』という本を、手にしたのです。
ちょっと古い本ではあるが、砂漠、西域は大使のツボでもあるし、シーナの紀行とあれば期待できそうやでぇ♪


【砂の海】
砂

椎名誠著、新潮社、2000年刊

<「BOOK」データベース>より
目的地は、探検家ヘディンが「さまよえる湖」と名づけたロプノールと2000年前の幻の王国・楼蘭。太陽のコノヤロ光線、岩山も刻む砂嵐の中、“あやしい探検隊”隊長は、“正しい探検隊”である日中共同探検隊と、ずんがずんがと砂漠を突き進む。金属味の缶詰料理に辟易し、激しく車に揺られながら、著者が最終地点で目撃したものは?ハードな旅をユーモアで描く、シルクロード紀行。

<読む前の大使寸評>
ちょっと古い本ではあるが、砂漠、西域は大使のツボでもあるし、シーナの紀行とあれば期待できそうやでぇ♪
借りたのは、1998年刊のハードカバーです。

amazon砂の海

楼蘭楼蘭

楼蘭に入るあたりを、見てみましょう。
p160~162
<燃える輝玉>
 第三キャンプから楼蘭へ向かうのは日本隊25名、中国隊20名だった。楼蘭まではそこから直線距離で20キロ。しかしそこまでのルートはモロにヤルダン帯を渡っていくので、どのような状態になっていくのかわからない。8時間で到着、という計画のようであった。

 前日につくっておいた荷物を点検する。自分の背中に自分の荷物だけを持っていくことになっている。水は第一日目の2リットル分だけ支給された。その水を水筒に入れかえ、ザックの一番上にくくりつける。今日の旅はおそらく喉の渇きとのタタカイになるのだろうな、と思った。

 出発前に中国隊の楊隊長と日本隊の轡田(くつわだ)隊長から、その日のルートの簡単な説明と、カメラ類を持っていかない・・・ということ、を改めて強く言い渡された。ドキュメンタリー撮影隊の表情は暗く重い。

 朝食が30分遅れたので、出発も遅れて9時30分だった。第三キャンプを出るとすぐに緻密なヤルダン帯に入った。北東からの風にそってずっと地平線の果てまで幾筋もの固い畝が走る。ヤルダンの背は固く引き締まっているからその上を歩いていくのは楽だが、問題はそこを何度も下りたり上がったりしていかねばならないことだった。
 その日もよく晴れていた。風は冷たいが、いかにも紫外線ムキダシ! といった陽光は朝から体に痛い程であった。

 なんだかおれは緊張していた。
 日本を発ってから17日目であった。まだ僅か17日、という気分もあったが、むしろ飛行機や自動車を使って超スピードで移動できる現代の旅でも17日間かけなければここまで到達できない、というべきなのだろう。

 この探検隊から楼蘭への同行を乞われてから8ヶ月。小学校6年の時にヘディンの『さまよえる湖』を読んでいつか行きたい、と思ってから33年間。
 おれにとっての17日間は、その背後にまあ自分で言うのもナンであるけれど、33年間の「旅の重み」があった。

 大きな問題がなければその日のうちに楼蘭古城に到達することができるのである。そのとき、日本人として一番最初にそこに入っていこうという秘かな作戦があった。そのために出発前の半年間、毎朝トレーニングしていた成果をそこで実らせなければならない。

 靴の紐を改めてきちんと結び直した。「ICI石井」の越谷英雄さんが探してくれた砂に強い靴はたしかに具合よくわが足もとを力強く固めてくれている。
 強い陽ざしの中を、ふいに45人の「突入隊」は歩きはじめた。百人あまりの第三キャンプ残留隊が見送ってくれる。

 第三キャンプ出発20分ぐらいの距離まではTVカメラを回してもよい、という約束になっていたので、ギプスの永島はオニのような顔をしてカメラを回している。田川副隊長のやるせない顔を見るのがつらい。やがてTVカメラはそこまでついてきた残留隊に渡された。
 正面から吹きつける冷たくて強い風の中をがしがしと歩いていく。 
 太陽が上昇するにしたがってそれとわかるぐらい陽ざしが強くなっていく。朝方は羽毛服を必要としていたくらいなのに、1時間も歩くと綿の長袖シャツで充分という状態になっていた。

 やがて隊列はどんどん長くなっていった。歩き方のペースには個人差がある。1日がかりの砂漠オフロードレースのようなものになるだろうから、どのくらいのペースで歩いていくかが問題だった。

【注】ヤルダンとは<風化土スイ群>のこと。風はつねに一定方向から吹きつけてくる。軽い砂は全部はぎとられ、固いヤルダン地形になる。


楼蘭へ数時間のあたりを、見てみましょう。
p171~176
<砂の古城>
 砂漠の太陽が頂点に達し、自分の影が足元に小さく頼りなげにかたまって存在している。影というのは、普段あまり意識しないものだが、砂漠を歩いていると妙に気になるものだ。理由がだんだんわかってきた。

 楼蘭へ30キロ圏に入ってきて、あたりの砂の色はきわだって白くなってきた。その真白な砂の地表に、むきだしの太陽が照りつける。要するに影が濃いのである。
 そんなふうに影が自己主張しはじめると、逆に自分の影が見えなくなってしまうのがどうも心細い。

 北方のヤルダンがしだいに巨大化してきた。ところどころに枯れたタマリスクの根が見える。隊列はさらに個人と個人の距離を引きはなし細長くなっていた。おれはきっちりトップ集団の中にいた。中国隊員と日本隊員7、8人ぐらいだ。長澤和俊教授もトップ集団にいる。

 60歳を超えている筈だが、積年の辺境地探検の経験と強靭な足腰がモノを言っているのだろう。朝日新聞の内山記者もいる。彼は背中に私物のほかに十キロの無線装置とアンテナを背負っている。登山やフィールドワークの経験が豊富な人らしい。
(中略)

 午後三時すぎ、楊隊長がヤルダンの上に立って双眼鏡を覗き、しきりに首をかしげている。イデリスをリーダーとする先発隊が、進むべきルートに小さな赤旗を立てている筈なのだがそれが見つからないらしい。
 大体3キロ間隔ぐらいに先発隊の立てた旗を追って進んでいるのだが、そのルートがどうも間違っているらしい。旗の方向と、地図とコンパスで割りだす進むべき方向がどうも大分違っているらしい。
 間もなく進路が変わった。後々判明するところとなるのだが、やはり先発隊がルートを間違え、直線コースに対して大きく東にふくらんで進んでいたのだった。
(中略)

 トランシーバーで隊列の情報が次々に入ってくる。足をくじいてしまったり、足の皮がひどくむけてしまう隊員などが出ているという。体が痙攣して倒れてしまった隊員は血糖値が下がってしまったらしい。「従軍医師」の中沢先生が忙しくなってきた。

 楊隊長のトランシーバーに、しきりに「ビバーク」という言葉が入ってくる。歩けなくなっている日本人隊員を中国の若い隊員が背負っているらしい。なんとなく全体が騒然としてきた。立ち止まって振りかえると、やや乱れた直線を描いて沢山のヘッドランプが上下に揺れながら動いている。美しい光景だが内実は皆必死だ。向かうべき目標点に光がついていることと、砂嵐の兆候がないのがなによりであった。

 長澤教授の著書『楼蘭古城にたたずんで』のこの砂の行進のあたりを読むと、もしあのとき砂嵐がきたら犠牲者がでたかもしれない、と書いている。
 すでに「灯」が見えてから2時間以上歩いている。目的地の灯はずっと見えている訳ではなく、深いヤルダンの下に降りるとまったく見えなくなってしまう。次のヤルダンによじ登ったところで再び灯を見るのが嬉しい。



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