『イネが語る日本と中国』2

<『イネが語る日本と中国』2>
図書館に予約していた『イネが語る日本と中国』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。
図書館に予約するには、この種のやや専門的な本が狙い目かもね♪


【イネが語る日本と中国】
イネ

佐藤洋一郎著、農山漁村文化協会、2003年刊

<「BOOK」データベース>より
【目次】
1 ジャポニカのイネは中国生まれ/2 黄河と長江ー中国二つの顔/3 イネの遺跡・遺物/4 水稲の誕生/5 中国の稲作風景/6 イネ、日本に至る/7 占城稲のゆくえ/8 現在水稲品種の系譜/9 米の日中比較

<読む前の大使寸評>
図書館に予約して5日後にゲットしたが、この種のやや専門的な本が狙い目かもね♪

<図書館予約:(3/19予約、3/24受取)>

rakutenイネが語る日本と中国

杭州杭州

長江流域、江南の地の農耕風景を、見てみましょう。
p46~50
<裏作のムギとナタネ>
 江南の地は水の風土をもっている。そればかりか蘇州は、かの始皇帝が開いたとされる大運河が通る町でもある。大運河は南の豊かな物資を北に運ぶため、莫大な資材と労力を費やして掘られた人工の川で、別名を京杭運河とも言う。大運河は、蘇州市の郊外でかの寒山寺の脇を流れるから、それとは知らずとも見たことのある人は多いと思われる。運河とはいえ、大運河の幅は広いところではゆうに百メートルは超える。京とはいうまでもなく北京、そして杭とは杭州をさす。大運河は途中長江を横切り、蘇州を通って杭州に達する。

 船は、ジャンク船のような小船の船をいく艘もロープでつなぎ、それをはしけが牽くという風変わりなものであった。狭いキャビンのなかには二段ベッドがおかれている。その上の段に席を取ったのが間違いだった。下段の乗客たちの吸うたばこの煙が換気の悪いキャビンの天井にこもり眠ることができない。

 たばこの煙に嫌気がさして外に出てみると何かの香りが鼻をくすぐる。目を凝らしてみると、月に照らされた白っぽくみえるナタネの花が河岸の畑一面を覆っていた。江南の地では、夏の表作にはイネを作るが、冬の裏作の王者はナタネとムギである。日本ではすっかりすたれた裏作であるが、江南の地ではナタネは今なお春の風物詩となっている。

<苗代の光景>
 日本でも中国の湖南でも、イネはまず苗代にまきつけ、大きくなった苗を田植えする。これが水田稲作の大きな特徴のひとつである。ただしこうしたスタイルをとる地域は限られている。苗代を作り田植えするという稲作の方式の類似性が、日本から朝鮮半島、中国江南のイネと稲作の類似性を証明している。

 機械化が進んだとはいえ、中国の稲作の風景はまだ人力の稲作のそれである。高度経済期までの日本がそうであったように、農民はまず田の一角を苗代にし、そこにじかに種籾をまきつける。一方今の日本には、もはや苗代は見られない。ほとんどの農家では、苗を「ライスセンター」から買い付けるのがあたりまえになってしまった。ライスセンターとは農家に苗を提供する機関で、田植え機にセットできるよう、専用の箱にまいた種子をじゅうたんのように育てるのである。

 しかし中国ではむかしながらの苗代はまだ健在である。周りの畑にはソラマメや春の野菜がみえる。ごくまれにレンゲを植えた田も見られる。こうした光景をみていると、一瞬自分がどこにいるのだろうかという錯覚を覚えることがある。とくにうららかな春の日差しをあびる晴れた日の午後など、子どものころの郷里に舞い戻ったような妙な気分にさせられる。しかしここは、紛れもなく江南、中国の大地である。その証が、後方にかすんでみえる家々の屋根の形である。

 夕暮れ時、あたりには夕餉の煙がたなびくころ、野良から帰った人々の声が聞こえだす。幼子を背負ったおかみさんたちが、夕飯の野菜を畑でつみとり、裏の水路で土を落としている。アヒルの群れが、それぞれのねぐらに帰ってゆく。水田とその光景が、かつての日本と江南との間で驚くほど似ていることは古くから言われてきたことではあるが、こうしてその現実を目の当たりにすると昔の人々がここを水稲の故郷と直感したのもなるほどとうなづける。


まだ中国を訪れたことのない大使だが、なぜか江南の地の風景に魅かれていた理由は・・・このあたりにあったのかもね♪
それとも中原から見ると南蛮にあたる楚の国に魅かれるのか?

大使好みの南宋の山水画をひとつ。
モッケイ牧谿

『イネが語る日本と中国』1


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