『イネが語る日本と中国』

<『イネが語る日本と中国』>
図書館に予約していた『イネが語る日本と中国』という本を、待つこと5日でゲットしたのです。
図書館に予約するには、この種のやや専門的な本が狙い目かもね♪


【イネが語る日本と中国】
イネ

佐藤洋一郎著、農山漁村文化協会、2003年刊

<「BOOK」データベース>より
【目次】
1 ジャポニカのイネは中国生まれ/2 黄河と長江ー中国二つの顔/3 イネの遺跡・遺物/4 水稲の誕生/5 中国の稲作風景/6 イネ、日本に至る/7 占城稲のゆくえ/8 現在水稲品種の系譜/9 米の日中比較

<読む前の大使寸評>
図書館に予約して5日後にゲットしたが、この種のやや専門的な本が狙い目かもね♪

<図書館予約:(3/19予約、3/24受取)>

rakutenイネが語る日本と中国

イネ

この本の冒頭あたりを、見てみましょう。
p8~10
<長江流域の遺跡から出土したイネたち>
 そもそもイネのおこりは中国大陸にある。今世界各地で発見されている稲作遺跡のうち、7000年をさかのぼる年代を持つものは長江の中・下流以外の地には見つかっていない。こうしたことから、世界で最初にイネが栽培されたのが、長江の中・下流域でえあることがわかる。

 長江の中流の湖南省や江西省南部の山岳地帯には多数の洞穴遺跡が見つかっており、そのいくつかからはイネの遺存体など、人がイネとかかわっていた痕跡がいくもみつかっている。このあたりは石灰岩が作る複雑な地形をなしており、奇抜な形の山々が連なるところとして知られる。日本でも有名な桂林(江西壮族自治区)もこの一角にある。

 湖南省の玉セン岩遺跡の約12000年前の地層からは野生のイネのものと思われるイネの種子が出土している。もっともこの年代値は地層の年代であって、そのイネ種子の年代ではない。よって玉セン岩遺跡の野生イネが本当に12000年前のものかどうかはわからない。
(中略)

 これら華南の山岳地帯から少し北に移動すると、長江やその支流が作った大氾濫原に出る。この地域は、氾濫原とは言うものの、平野と平野の間にはそれ以前の地層が作ったなだらかな丘が連なり、全体としては複雑な地形をなしている。大きな低地にはかの杜子春で著名な洞庭湖やバン陽湖などの浅くて広い湖が広がっている。これら湖沼のふちやその上に広がる扇状地にも太古の稲作遺跡が広がっている。

 それらのうちのひとつ、城頭山遺跡(6500年まえ)からは巨大な宮殿または神殿とも思われる建物跡のほか、城郭と思われる構造物やそれに伴う門などの都市機能、さらには多量のイネ籾などの遺物が発見されている。この遺跡は、梅原猛氏や安田喜憲氏らが長江文明の探求の一環として発掘した遺跡のひとつであり、その解明が待ち望まれているもののひとつである。また、城頭山遺跡の数キロ南には、籾の圧痕がついた9000年前のものとも言われる土器のかけらがみつかったボウ頭山遺跡がある。

 長江下流にも、この地が太古から稲作が営まれてきたことを示す幾多の遺跡が発見されている。セツ江省の河姆渡遺跡や羅家角遺跡は約7000年前の稲作遺跡とされる。このうち河姆渡遺跡では多量のイネ籾とともに膨大な量の農具や建物あと、さらには精巧な道具や土器などが出土して大きな話題となった。発掘現場には、発掘当時の建物あとが発掘された状態で保存され、往時の姿がしのばれる。また、出土したイネ種子の中には、あとに述べる野生イネの種子が混ざっており、7000年前の人々がまさにここで野生イネを栽培イネに改良しつつあったことがわかっている。

 イネはインディカとジャポニカという二つのグループに分かれる。詳しくはまたあとで書くが、両者はその祖先を異にするほどに違った存在である。インディカとジャポニカの違いはその種子の形や食感にあるとよくいわれるが、それは俗説でただしくない。長江流域の遺跡から出土したイネ種子(5000年ないし7000年前)からDNAを取り出して調べてみると、この時期、この土地のイネのほとんど全部がジャポニカであるとの結論が出た。つまり、数千年前の長江流域のイネはジャポニカのイネだったことになる。


ネットで河姆渡遺跡を探していたら長江文明の伝播と水田稲作を拒否した縄文人がヒットしました。
遺跡


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