『亜米利加ニモ負ケズ』3
<『亜米利加ニモ負ケズ』3>
図書館に予約していた『亜米利加ニモ負ケズ』という本を、待つこと3日の超速でゲットしたのです。
著者のアーサー・ビナードと言えば・・・・
宮沢賢治やベン・シャーンの紹介、自身の詩作で知られる、日本語ぺらぺらの詩人ではないか♪
ビーナードさんが大阪の夕陽丘を語っているので、見てみましょう。
『亜米利加ニモ負ケズ』1
『亜米利加ニモ負ケズ』2
図書館に予約していた『亜米利加ニモ負ケズ』という本を、待つこと3日の超速でゲットしたのです。
著者のアーサー・ビナードと言えば・・・・
宮沢賢治やベン・シャーンの紹介、自身の詩作で知られる、日本語ぺらぺらの詩人ではないか♪
【亜米利加ニモ負ケズ】 ![]() アーサー・ビナード著、日本経済新聞出版社、2011年刊 <「BOOK」データベース>より 「日本人」のあなたのルーツは、日本語のどこにある?「アメリカン」の意味は、これからどこへ広がる?生活の根っこをさぐり、ユーモアの種を大胆にまくこの一冊から、本物の「対等な日米関係」が始まる!最新エッセイ集。 <読む前の大使寸評> 著者のアーサー・ビナードと言えば・・・・ 宮沢賢治やベン・シャーンの紹介、自身の詩作で知られる、日本語ぺらぺらの詩人ではないか♪ <図書館予約:(3/02予約、3/05受取)> amazon亜米利加ニモ負ケズ |
ビーナードさんが大阪の夕陽丘を語っているので、見てみましょう。
p159~163 <大阪にひそむ鎌倉文化> ある年の6月に、大阪で講演することになった。前日の夜更けまで話の内容を考え、新幹線の中で原稿を練り、大阪市営地下鉄とタクシーの中ではおさらいして、せっかくの梅雨晴れだったが結局、周りの景色をほとんど見ないまま会場に着いた。 控え室に入り、主催者が用意してくれた弁当を食べ、窓外を眺めてみると、街路樹の向こうに工事現場が広がっていた。 どうやらマンションが建設中らしく、看板にはカタカナで「リベールグランタ」と書かれ、それから漢字の「陽丘」も最後についていた。 「リベール」はたぶんlibertyやliberalとつながる「自由」のイメージだろうが、「グランタ」ときたら、イギリスのケンブリッジ大学から始まった由緒ある文芸誌『Granta』のことかしら・・・・ひょっとして英文学に詳しい人がオーナーかもしれない。 でも、最後の「陽丘」はどうも落ち着きがなく、中国の古い地名にあったような気もするが、この場合は「ひがおか」なのか、「ひのおか」なのか・・・・とそう思った瞬間、「グランタ」の「タ」がするりと「夕」に変身。実際は「リベールグラン夕陽丘」というネーミングだった。 そこで夕陽丘に今、自分が来ていることを初めて悟り、うれしくなった。いつかは歩いてみたいと思っていた町だったからだ。 というのは当時、週刊誌に「へそくりヶ丘」と題した連載を書いていて、その表記に「ヶ」を使うか「が」にするか迷っていたときに「夕陽丘」が参考になった。 「光が丘」「緑が丘」「自由が丘」「ひばりヶ丘」「百合ヶ丘」「富士見ヶ丘」・・・・あれこれリストアップする中で、大阪には「ヶ」も「が」も「ガ」も入らない優雅な「夕陽丘」という地名があると知った。さらに織田作之助が夕陽丘を愛し、『木の都』ではそこが舞台になっていることも分かった。 『木の都』は、「大阪は木のない都だといわれているが、しかし私の幼時の記憶は不思議に木と結びついている」と、随筆みたいな書き出しから始まり、回想録すれすれの私小説がつづられていく。どうということもないストーリーであるにもかかわらず、不思議に印象深く、書き手といっしょに「口縄坂」を何度も登り、夕陽丘の町を歩いた実感が残る。 「口縄(くちなわ)とは大阪で蛇のことである。といえば、はや察せられるように、口縄坂はまことに蛇の如くくねくね木々の間を縫うて登る古びた石段の坂である。蛇坂といってしまえば打ちこわしになるところを、くちなわ坂とよんだところに情調もおかし味もうかがわれ、この名のゆえに大阪では一番さきに頭にうかぶ坂なのだが・・・・」 これを読んで、来る前から夕陽丘が好きになっていたのだ。 講演会の主催者に聞いても、口縄坂のことはよく分からぬらしかった。が、親切に調べてくれて、講演が終わって控え室に戻ってみたら、道順のメモと簡単な地図が置かれていた。それをたよりに、夕方の夕陽丘散策を楽しむことになった。 「下駄屋の隣に薬屋があった。薬屋の隣に風呂屋があった。風呂屋の隣に床屋があった。床屋の隣に仏壇屋があった。仏壇屋の隣に桶屋があった。桶屋の隣に標札屋があった」と織田作之助が記録した町は、いうまでもなく大きく変遷していた。 それに口縄坂も「蛇の如くくねくね」ではなく、わりとまっすぐ上り下りできる、きちんと整備された石段だった。高層マンションが多く、でも合い間合い間に古い木造住宅が粘り強く、ひっそりと建って、庭先に紫陽花が咲き、どこからか梔子の花も香っていた。そんな一角で思いがけず、ぼくは鎌倉へいきなりワープさせられた。 というのは、電柱に針金でとめられたアルミの看板に、「鎌倉文化以外 ゴミホルナ」と縦に書かれ、その下には横書きで「不動明王」とあった。最初は自分がまた、なにか読み間違えているのではと思い、一字ずつ確認して、もしや「コミッショナー」みたいな「ゴミホルナ」というカタカナ語の名詞があるのかとも考えてみた。 けれど、やはり「ゴミを捨てるな」という意味だろう・・・ならば「鎌倉文化以外」は、つまりほかの文化を捨てないで鎌倉のそれだけは捨ててもかまわない・・・いや、あるいは「鎌倉文化」が捨てる側の主語であって、仏教の中に「不動明王」が衆生をそんな具合にさとす場面が・・・? いよいよ頭がこんがらかったところへ、買い物袋を下げた白髪のおばあさんが通りかかり、ぼくは看板を指し「すみません。これってどういうことでしょうか」とたずねてみた。 「鎌倉さんの文化住宅はあそこや」と、おばあさんは路地の奥のほうを指さした。 「あっ、その文化住宅の住人以外の人がゴミを捨てちゃダメって・・・なるほど」とぼくがいうと、「さいな」とおばあさんは笑みを浮かべた。 「おたく、日本語がお上手やなぁ」 町はちょうど夕陽に染まりつつあった。ぼくは夕陽丘の「文化」に、うっとりしていた。 |
『亜米利加ニモ負ケズ』1
『亜米利加ニモ負ケズ』2
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