『二十一世紀の人類像』

<『二十一世紀の人類像』>
図書館で『二十一世紀の人類像』という本を手にしたのです。
晩年の梅棹さんは見えない目でというか透徹な目で、テロや難民が頻出する21世紀を予想していたのか・・・興味深いのです。


【二十一世紀の人類像】
21

梅棹忠夫著、講談社、1991年刊

<内容紹介>より
噴出する世界の民族問題をどう考えるべきか。東西冷戦後の世界は21世紀へむけ国家体制を乗りこえ民族のせめぎあいが強まる。民族・人種・国家の概念さえ判然としないわれわれ日本人は、それらの理解なしには世界に貢献できない。ますます強まる民族の自己主張の本質はなにか。本書は卓越した見識をもつ著者が豊富なフィールドワークから世界を見る目=民族学的視点を開示する刮目の書である。

<読む前の大使寸評>
晩年の梅棹さんは見えない目でというか透徹な目で、テロや難民が頻出する21世紀を予想していたのか・・・興味深いのです。

kodansha二十一世紀の人類像


梅棹さんは21世紀をどのように予想していたのか、見てみましょう。
p47~50
■開発の時代
 20世紀という時代は、全地球的規模における開発の時代であった、ということができるとおもいます。資源開発、産業開発、さらには社会開発が、地球上のすべての地域において進行しはじめたのであります。数百年来、あるいは数千年来、ほんとうにかえりみられることもなく停滞をつづけていた諸制度が、発展をはじめたのです。

 こうして、地球上の広大な地域が、開発途上国、あるいは発展途上国とよばれることになったのです。20世紀はこのような発展の時代であったとっもいうことができます。
 これは、19世紀以来の科学・技術の進歩の恩恵が、ようやくこれらの地域にも及んできた結果である、とみることもできようかとおもいます。

 もちろん、現代の地球上における地域格差、いわゆる南北問題は、たしかに深刻な問題です。デベロップト・カントリーとデベロッピング・カントリーとのあいだの格差は、なおひじょうに大きいものがあります。しかしその格差も、19世紀以前の帝国主義諸国家と植民地のあいだにみられた。絶望的断絶にくらべますならば、これはまったく質的にちがうものとなってきております。たとえば、各地における農業生産力のひじょうな向上、それから輸送力の発達というようなことの結果として、現在地球上においては、飢餓の問題が、いちじるしく少なくなってきております。

 もっとも、地球上の現在の状況をみますと、たしかにインドにおいて見られますような、一種の慢性的飢餓というような状況、あるいはアフリカ、サヘール地方における旱魃というような状況は、たしかにありますが、全体として人類の社会をみますと、19世紀以前にくらべて、問題にならないくらい改善されております。地球上から飢餓というものはなくなりつつあります。さらにまた、世界各地の保健、衛生、医療の状況がいちじるしく改善された結果、全人類はいまや、ひじょうな人口増加の時期をむかえているのであります。それは、人口爆発とさえ言わなければならない状況になってきております。

■都市と人類学
 今日の世界をまわってみますと、すべての国で平行的にいちじるしい都市化の現象がおこっているのが観察されます。人口の都市への集中による都市の肥大化、都市の政治的・経済的・文化的比重の増大というようなことであります。

 むかしは都市といえば、ロンドンであり、パリであった。あるいはニューヨークであり、東京であったのですが、そのように、都市が先進文明国の象徴的存在であったような時代は、すでに過去のものであります。今日においてはむしろ、いわゆる開発途上国における都市の発展に目をみはらされます。今日、世界最大の都市はどこか、みなさんご存知でしょうか。世界最大の人口をもつ都市はメキシコ・シティーだそうであります。ブラジルのサンパウロなどとともに、とっくに1千万を突破し、なおひじょうないきおいで巨大化がすすみつつあります。

 そのほか、アジア、アフリカにおきましても、各地に、数百万あるいは1千万の人口をもつ都市が発生し、ますます巨大化しつつあります。いまや人類の大半は都市居住者となりつつあるともいえます。こういう現象も、ながい人類の歴史のなかで、まだ一度も経験したことのない事態であります。

 従来、人類学、民俗学の研究対象というのは、主として未開社会でした。いわゆる文明化されない、文字をもたない、孤立した小集団というのが、われわれの主たる研究対象であったのです。さきほども申しましたように、今日ではそういう人たち自体がきわめて少なくなっており、わたしどもが研究対象をみつけることが難しくなってきています。

 現代は、全世界の都市化が着実に進行している時代です。現在、人類というのは、まさに都市人類になりつつあるということです。したがいまして、人類学もまた都市人類学にならざるをえないのではないか、というふうにわたしは考えております。また、いままでは文化人類学ともうしました。いまや、文化の人類学から、文明の人類学へとげなければならない時代が、もうすでに来ているのではないかということです。

 人類学あるいは民族学の内部におきましても、もちろんすでにそういう方面の開拓は活発にすすんでおりました、文明の人類学、あるいは都市人類学への変化の兆候は顕著にあらわれてきております。


この本も人類学あれこれR1に収めるものとします。

 

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