『世界「最終」戦争論』

<『世界「最終」戦争論』>
図書館で『世界「最終」戦争論編』という本を予約して、待つこと5日でゲットしたのです。・・・本屋の店頭から消えた頃の新書が狙い目なのかも♪


【世界「最終」戦争論】
戦争

内田樹, 姜尚中著、集英社、2016年刊

<「BOOK」データベース>より
アメリカの国力の低下と共に勃興する諸大国の新たな覇権主義。拡大する中東の戦乱、国境を越える大量の難民、欧州のテロ事件。行き過ぎたグローバル経済と格差社会。国内に目を転じれば大規模な災害が起こる中、平和主義の戦後レジームからの脱却を主張する動きが勢いを増している。いよいよ混迷を深める世界と社会の情勢。その背景にあるのは、世界史レベルのパラダイム(知的枠組)の地殻変動である。顕在化している近代の崩落過程についてリベラル派の言論人を代表するふたりが語り合い、難局を避けるために必要な世界の見取り図を提示する。

<読む前の大使寸評>
予約して待つこと5日でゲットしたが、本屋の店頭から消えた新書が狙い目なのかも♪

<図書館予約:(2/13予約、2/18受取)>

rakuten世界「最終」戦争論


トランプさんの登場で、抜き差しならないほど先鋭化してきた米帝とイスラムの対立あたりを見てみましょう。
p103~106
<帝国再編のコスモロジーと宗教>
内田:今、「グローバル化」と呼ばれている趨勢は現実にはアメリカが主導しているものですよね。英語が公用語で、キリスト教が「国教」で、金を持っている人間が一番偉いという価値観が共有されているけれど、これは、規模は大きくても、所詮はアメリカ・ローカルの民族誌的偏見を量的に拡大したものに過ぎません。でも、それで世界を覆い尽くそうとした。そうすれば「歴史の終り」が来ると思っていた。

 でも、「歴史の終り」は来なかった。アメリカ・ローカルの民族誌的偏見ではやっぱり世界は覆い尽くせなかった。そういうことだと思います。アメリカン・グローバリズムがイスラーム共同体に衝突してしまったからです。

 イスラーム共同体のほうがグローバル共同体としてはるかに老舗なわけです。なにしろ7世紀から存在するのですから。モロッコからインドネシアに至る人口16億の巨大な共同体がある。この共同体は宗教、言語、食文化、服飾規定、なかんずく「喜捨の文化」という固有の経済感覚を共有している。その文化圏に向かって、「君たちが信じて実践しているのは、全部ローカルな奇習であるので、そういうものは捨てて、これからはグローバル・スタンダードに従うように」と言っても、通りませんよ。

 特に「金があるやつが偉い」というグローバル資本主義の基本的な信憑がイスラームの価値観とは相容れない。そこが大きいと思います。
 「金があるやつが一番偉い。だから万人は金儲けのために生きるべきだ」ということをグローバリストは自明のことだと思っているけれど、それよりも神の教えに従うほうが大切だと思う人たちがいる。これでは衝突するのが当然です。

 プロテスタンティズムと資本主義は相性がよかったけれど、資本主義とイスラームとは相性が悪かった。そういうことだと思います。

姜:やっぱりイスラームの共同体は、グローバル資本主義の外部にあったということなのでしょうか。その異質性がアメリカン・グローバリズムと折り合わなかった・・・・。

内田:イスラーム圏が一貫して資本主義によって収奪される対象であったという歴史的事実もあると思いますけれど、根本にあるのは宗教の問題じゃないでしょうか。「喜捨の文化」「歓待の文化」というのは遊牧民にとって生き延びるために必須のモラルなわけです。

 砂漠では利己的にふるまうと生き延びることができない。最も重要な生活資源は、それなしでは生きられないがゆえに、見知らぬ他者とでも共有しなければならない。そういう発想はグローバリストには絶対理解できないと思います。

 中田先生によると、イスラーム圏では、タクシーに乗っているときに、ドライバーがミネラルウォーターを飲むのをじっと見たりしていると、必ず「飲む?」と訊かれるのだそうです。それが遊牧民の文化なんです。

 前に村上龍がエッセイで書いていましたけど、彼がテレビクルーと一緒にパリ=ダカール・ラリーの取材に行ったとき、日本人のテレビスタッフがミネラルウォーターのボトルに自分の名前を書いておいたら、現地のスタッフたちが「こんなやつとは仕事はできない」と言って辞めると言い出したそうです。日本人は「砂漠では水が大切だから、私的に独占するのが当然だ」と考える。でも、遊牧民はそうは考えない。「砂漠では水が大切だから、私的に独占してはならない」と考える。その落差はなかなか僕たちには理解できないんじゃないですか。

 遊牧民は幕屋を訪れた人を追い返しません。見ず知らずの人であっても、食事と一夜の宿を提供して、歓待する。そのほうが自分自身にとっても生き延びる上で合理的だからです。自分自身も遊牧民ですから、ある日荒野で食べ物も飲み物なくさまようという可能性は常にある。そのときに、荒野の向こうに幕屋があって、「水をください」と頼んだときに、水がもらえるかどうかが幕屋の主人の人間性次第ということでは困るわけです。


ウーム 清教徒にしても、イスラムにしても、体感的にぴんとこないニッポンである。
戦後のアメリカ・ローカルの民族誌的偏見(グローバル化)に過剰適応してしまったニッポンにおいて・・・・さらに尻尾を振るような安倍さんがいるわけか。

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